羊とメトニミー

過不足なし

200104diary_変な時間に寝て起きる

一昨日は3時に起きて海岸に日の出を見に行き、今朝は5時に起きて別の海岸に日の出を見に行き、そんなこんなで今日は夕方の6時に少し昼寝をしたつもりが、目が醒めたら深夜だった。みかんを食べる。変な時間に寝起きするのは時間感覚がなくなってすこし楽しいけれど、身体のサイクルが乱れるのがいやだ。正月休みが終わる。やっと世の中がもとの生活サイクルに戻ってくれるのがうれしい。習慣や定期的な時間が乱されるのはすごく苦手。同じくらい苦手なのは、人が大きな声を出していること。自分のいま住む家にはテレビがないのでそのような場面に遭遇せずに済み、至極静かで穏やかな正月だった。テレビやYouTubeで芸をして生計を立てている人の表情を見ていると、ときどき、太宰治の「人間失格」の冒頭を思い出す。

『私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。
(中略)
まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺しわを寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。』

おもしろくないことに、笑わなくていいのに。

新居には備え付けの魚焼きグリル付き3口コンロがあるのだけど、4つあるガスのひねり口がこれまで使っていたものとあべこべで、料理をしている最中に戸惑うことが多い。噴いている鍋の火を止めなくては!という場面で該当コンロをひねったつもりが別のコンロの火が消え、鍋は噴きこぼれる。そういえばこの家は、玄関の鍵の開け閉めもこれまで住んできた家とは逆だった。キッチンと風呂場にある湯沸かし器操作盤の追い焚き機能も風呂場にしかついていない(これまでの家はキッチンのほうにもついていた)。こういう小さな違和にストレスを覚えるたび、環境が身体に染み込ませる認知や行動の根強さを感じる。人が自分の心だと思っているものは、案外環境の集積の結果でしかないのかもしれない。年末に遠くの国からメールをくれた人も、そのようなことを言っていた。

祖父母の家に挨拶に行った。先に家族が3人行っていて、あとから合流する形で。年賀代わりにケーキを買っていった。母や妹はそれを切る。皿に盛る。洗い物をする。父やおじいちゃんは当たり前のごとく動かない。おばあちゃんは「いいのよ、そんなことやらなくて。おばあちゃんがやりますから」「普段主婦はなんにもせずにぐうたらしてるだけだからこういうときくらい働かなくっちゃね」「女の子がたくさんいると(家事を進んでやるから)やっぱりいいわね」などと言いウロウロしている。状況の何もかもに全然同意できなかった。でも思えばわたしはこういう環境で25年間過ごしていたのだ。家を出て本当に良かったと思う。家族や親族のことは概して好きだけど、受け入れられないこともあるし、それでもいいとわかったことも良かった。

年末年始の振り返りや抱負に関する長ったらしい文章が嫌いだ。なんというか、それをやる人が嫌いとかそういうことではなく、年末年始というきっかけで長文が連なる事象そのものが嫌いなので、Facebookで流れてくるたびに高速でスクロールして見なかったことにする。なんで嫌いなのかはよくわからない。

東京の真ん中に久しぶりに帰ってきて、この街は建物と建物のあいだに隙間がまったくないなと思った。電車はすぐにくる。街がこんな容れ物だったら、そりゃここに生活を置く人たちも自然と合理性や効率性だけが大切になるよねと思った。いま住んでいる土地は非常に交通が不便かつ資本主義に取り残された残骸が積まれたような歪みを抱えているためまったく好きではないが、街という容れ物について考えるきっかけを与えてくれたという一点においてはここに来てよかったなと思う。あと牧場が近く、おいしいソフトクリーム屋があるところも良い。それ以外は一ミリも好きになれない。家は好きだけど土地は好きになれないので、仕事から毎晩帰るたびにどういう感情でこの道を歩けば良いのかわからないなと思う。次は海の見える街か、合理性がそこまで染み込んでいない東京に住みたい。

 

二人暮らしを始めたら、いよいよ逃げられなくなった

 

二人暮らしを始めた。人と二人で、暮らし始めた。暮らしを始めて少しして、ああもう逃げられないんだなとわかった。わたしには、わたしの胸には、あらがいがたい穴がある。

昔から、それはもうほんとうのほんとうに昔から、胸の真ん中に穴があいている。穴はときどき大きくなったり小さくなったりしながら、ときどき身体の持ち主を飲み込みそうになったりもして、それは、ずっとずっと、ぼんやりさみしい。これはさみしいという言葉で表されるのだろうか。わからないけれど、穴があいている、としか言いようのない感覚がずっと昔から、ある。心臓より、少し大きいくらいの穴が。

人と暮らせば、この穴の感覚がなくなる。とは思っていなかった。けれども穴に対して、別の感覚を持つようになるのではないかと思ってはいた。穴をより客観視できるとか、穴からわたしを少しでも離すことができるのではないかとか。それは「さみしくなくなる」という安直な変化ではなく、穴とわたしの付き合い方が変わるのではないかという、そういう、あいまいな期待。

けれど、穴はどうにもならなかった。穴を抱えるわたしもどうにもならなかった。家族で暮らしていた頃と、一人で暮らしていた頃と、二人で暮らしているいまと、なんら変わらず穴がここにある。そしてわたしはその穴を、淵からわずか離れたところで、見つめている。穴はわたしを覗いたりしない。ただ、そこにある。わたしは穴から、離れない。離れられない。胸の、真ん中に。 

幸せな家庭。そういうものがゴールであると、かつて信じていた頃があった。そこに辿り着けば、すべてがハッピーに解決される。アルカディアアルカディアとしての暮らしは、信仰の対象であった。

ハタチを過ぎた頃に信仰からは脱したものの、愛する人とともに生きることが、なにかを浄化してくれるのではないかという信仰までは捨てられていなかった。捨てられていなかったことを、人と暮らし始めてから知った。同時に、穴が埋まらないことも。愛していないのではない。愛しているからこそ、埋まらなさがこんなにも際立って、それからいよいよ逃げられないのだという実感が、影のように全身にはりついてくる。

 

気づいてしまった。穴に必要なのは、大きい愛などではない。やさしいまなざしでもない。埋めようとしてはならない。穴は、わたしのなかにある。

 

二人で暮らしていく中で、きっとわたしたちはたくさん救われていくだろう。わたしが彼を、彼がわたしを、わたしたちがわたしたちを。それは、穴を埋めるための救いではなく、生活のための救いである。穴など、わたし以外の誰にも見えない。だから、そんなものはこの世に存在してない。と、いうていのなかで。わたしは、誰にも見えない胸に穴を抱えたまま、穴の淵から離れられないまま、いつの日か死ぬだろう。 

穴を抱えていることは変わらない。しかし、穴をどうこうしようとしなくなったとき、初めて、少しどうにかなれるような気がしている。どうにか。

わたしたちの暮らしを生きていくことで、わたしは穴のことを忘れ、どうこうしようと思わなくなるときがくるだろうか。穴を埋めようとする暮らしではなく、救いあう日々に間接的に救われることで。日々の意味や向かう先などわからないまま、わからなくてもいいと開き直れる日がくるだろうか。わからないままに積み重ねられるだろうか。埋めようとしないままに磨り減って老いていけるだろうか。わからない。わからないけれども、穴と生きていくのだ。認められるだろうか。

暮らしがここにあることを、ただよろこぶ。それだけが、いちばん遠くて、一番近いみちであるように思われる。

山田くんは怖かったけれど、怒っている彼はうつくしかった

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席替えがあるたびに、わたしは神さまに祈った。どうか、どうか山田くんの隣になりませんようにと。

山田くんは3年2組の問題児と目されていた。授業中はとにかく騒ぐ。大声でマシンガンのように喋り続ける。消しゴムをちぎって投げる。コンパスで前の席の子の背中をつつく。休み時間はすぐに男子同士で取っ組み合いを始めるので、いつも先生に怒られる。最初はふざけっこでやっているつもりが、山田くんはいつの間にかマジになって、3回に1回は本気の喧嘩になる。彼は3年生にしては体が大きく、本気の喧嘩でもあまり負けなかったが、ときどき相手に髪の毛を引っ張られて床に顔を擦り付けられるような負け方をして、そんなときはボロボロと大粒の涙をこぼす。ふしぎなことに、普段あれほど大声でしゃべる山田くんは、泣くときは決して声をあげず、ただ真顔で涙をボロボロこぼすのだ。

山田くんは給食中もとにかくうるさい。口にものをいっぱい頬張ったまま大声を出すので、噛んだごはんが口からしょっちゅう飛び出した。牛乳を飲んで盛大にゲップをするし、ひどいときにはゲップをした勢いがあまってその場で嘔吐した。給食の時間は机を5人一班で向かい合わせにするため、向かいの席の子はいつも被害にあってしまう。その頃、3年2組はハタノ先生の決めたルールで男女が隣同士になるように席が決まっていたので、山田くんの食べカス被害を受けるのはいつも女子だった。大抵の子は半泣きになり、中には本気で嫌がって給食の時間中に大泣きしてしまう子もいた。けれど山田くんは何度怒られても、食べながら大声でしゃべるのも、ゲップをするのもやめなかった。女子はみんな山田くんが大嫌いで、席替えのたびに彼の隣の席のくじを引かないよう本気で祈っていた。一部の勉強がよくできる男子も山田くんのことを鼻で笑って敬遠していたが、クラスの男子たちのあいだではそれほど嫌われていなかったように思う。大半の3年生男子は鼻水を垂らしてちんちんとうんこの話が大好きで取っ組み合いをするので、山田くんとそれほど大差なかった。違いといえば、大半の男子が先生に怒られるとたいてい調子に乗らなくなるのに対して、山田くんは何度怒られてもずっと問題行動を起こし続け、女子から徹底的に嫌われていることだった。学年一おっかないイワサキ先生が本気のげんこつで山田くんを殴っても、山田くんはずっと消しゴムをちぎり、取っ組み合いを起こし、給食の食べカスを撒き散らし続けた。

ハタノ先生は山田くんを怒るたびに「どうしてあなたはいつもそういうことをするの!」と問い詰めていたが、そのたびに山田くんは「はいはいすみませんでしたー!!!」と繰り返すばかりで、とにかく話を聞かないし、話が通じない。そういう態度が余計に先生を逆撫でするとわかっていてやっていて、それはイワサキ先生に怒られようとも変わらなかった。

いま思えば、山田くんがそういう態度をとっていたのは、山田くんだけの問題ではなかったように思う。彼はほとんど毎日同じ服を着ていて、一週間服装が変わらないのが当たり前だった。歯を磨かないからいつも口がくさくて、爪の間やほっぺは汚れとホコリで真っ黒だった。そうした不潔さも山田くんが忌まれる大きな原因の一つだったが、当時は一部のバカ男子以外の誰もが山田くんを避け、誰も彼と正面から関わろうとしなかった。先生は山田くんと向き合おうとするのではなく、山田くんを収めようとした。女子は山田くんを徹底的に排除した。

わたしもご多分に漏れず、山田くんが心底怖かった。最初は、なぜこの人は何回言われても同じことをするのだろうと思っていたが、そのうち、山田くんは言葉が通じない宇宙人なのかもしれない、と本気で考えるようになった。無論食べカスを撒き散らされることや突然大声を出されることも非常に嫌だったが、それ以上に、「言葉が通じない」ということの底知れぬ恐怖を感じていた。宇宙人。何を言っても届かない。わかってもらえない。だから、なるべく関わらないように。山田くんがそばに来るたびに空恐ろしい気持ちでいっぱいになり、いつもさりげなくその場から逃げた。

けれども、わたしが唯一山田くんを怖いと感じない瞬間があった。それは、山田くんが癇癪を起こしているときだった。山田くんは怒ると手がつけられないほど暴れる。本気で怒っているとき、彼はとにかく暴れに暴れまくった。大声を出していることもあれば、涙を流して黙って暴れることもある。そのときだけ、わたしは、山田くんにふしぎな共感をおぼえた。山田くんは怒っているのだ、ということが、彼の全身から痛いほど伝わってきて、わかる、山田くんが怒っているの、すごくわかる、と思った。がんばれ、とすら思った。もっと、もっと怒れよ山田くん。そうだよ、きみはもっとそうやって、怒っていいよ。なぜだかわからないけれど、山田くんが怒ってるのは、嫌いじゃなかった。変な言い方かもしれないが、それほどに彼の癇癪はまっすぐで、正直で、さわやかだった。いつものようにふざけて暴れる姿とは全く違っている。だから山田くんが怒っているとき、わたしはこっそり応援していた。どうしてそれほどまでに山田くんの怒りがわたしを捉えたのかはわからなかったけれど、人が本気で怒る瞬間をずっと見ていたい、と思えたのは、後にも先にも山田くんしかいなかった。山田くんが怒っている理由はそのときどきでさまざまだったけれど、山田くんが怒っている姿そのものは、すごく、気持ちが良かった。

山田くんは4年生になってから転校した。その頃はクラスも離れてしまったので、どこに行ったのか、なぜ転校したのかなどは何も分からなかった。これでもう山田くんに怯える生活はなくなる。5年生のクラス替えで山田くんと同じクラスにならないかどうかを気にしなくて済む、と胸をなでおろした。けれども、ほんとうにたまにだけれど、いまでもわたしは、また山田くんが本気で怒って本気で泣いている姿を見たい、と思ってしまう。誰にも相手にされなかった彼が、唯一外部との接触をしようと本気で試みている瞬間が、その怒りにあった。救われない話だ。けれども、だからうつくしかった。彼がその後どうなったのかは知らない。願わくば救われていてほしいと思う。救われて、怒らずともうつくしくなっていてほしいと思う。

安定は安心を連れてきてはくれない

「安定した企業に就職したい」と目の前の子が言う。
どうして、と問うと、「だって、そうすれば将来安泰だから」。
「安泰っていうのはつまり、何も心配しなくていいということ?」
「そう」
「安心できるってこと?」
「うん。親も安心すると思う」
「でも、いまあなたは、安泰だよね」
「?」
「戦争のない国で高等教育を受けて、帰れば食べるものと寝るところがある。友だちもいる。スマホもパソコンも持っている。何も不自由していない。安泰そのものなのに」
「でも、受験があるし、将来がどうなるかわからない」
「それは、受験が終わっても大人になっても同じじゃないかな。受験が終われば就職試験があって、それをくぐり抜けて会社に入れば昇給や昇格があって、すると、どこまでもどこまでもあなたは”将来がわからない”状態だよね」
「……うん」
「じゃあなんで、将来安定した企業に入ることが安泰だって思うの」
「……」
「そもそも、安定って、何?」
「変わらないってこと」
「安泰は?」
「心配しなくて良いこと」
「その2つの違いは?」
「……わからない。でも、安定してれば安泰だと思う」
「でも、あなたはいまは安泰なのに、心配している」
「……」
「どうして?」

 

安定と、安心。特にわたしたちの親世代とって、安定という言葉が彼らの世代を象徴しているようにも思う。「良い会社」とはすなわち「そこそこの給与をもらえて、倒産の心配がない、安定した業績をあげつづける会社」を指し、「良い大学」とは「入学すれば『良い企業』への就職が望め、将来的に高い価値(笑)が安定し続けている大学」を指す。「良い」と「安定」を同一視し、奇妙なまでにそれを信仰している人の多いこと。まるで、そこに辿りつければ何も心配の要らないユートピアのように。

安定とは一体何なのか。状態の上下がない、変わらない、そういう状態、のこと?  だとしたら、それが「良い」とされる根拠は、いったいどこにあるのか。それは「良い」と、どうして言えるのか。

安定と同列のように語られる「安心」という言葉がある。こころ、やすい。心が安らいでいること。多くの場合、この2つは意味するところが正しく区別されていない。この2つを使い分けられていない人が、「安定=良い」の構図を信じ込んでいる。だから特に親世代の人々と話をするとき、「安定」とか「安心」という言葉が出てくると、すこし警戒する。この人の語るそれらの言葉は、果たしてその内実がきちんと定義されているか。その2つの違いに自覚的であるか。わたしがそこまでこの2つの言葉の混同を警戒するのは、これらを下手に混同すると、人生が砂漠のような不安に埋め尽くされかねないからだ。

安定と安心。この2つは明確に異なる。安定は状態を指し、自分の一存ではどうにも叶えられないことがあるのに対して、安心は自分の心が決められる。多くの人々は安定が安心を連れてやってくると勘違いしがちであるが、まったくそうではない。誰もがすぐに思い当たるはずだ。どんなにお金を稼いでいようと、モテようと、好きなものを手に入れようと、漠とした不安がいつもどこまでもつきまとう状態。それは、そこに安心がないから。傍目から見たら、生活の心配がない「安定した」状態は羨ましがられるぶん、孤独感は一層深くなる。誰にも胸の内をわかってもらえないだろうという虚しさたるや。

安定は、ほんとうに自分を守ってくれるのだろうか。安心を持たずに世界を眺められなければ、いくら外的に安定がもたらされようとも、不安の種は次々に芽吹く。病気になるのではないか、事故に遭うのではないか、誰かに騙されるのではないか。昔の地位ある人々が不老不死を臨んだのは、安定を安心と取り違えたからだと思う。彼らはその地位の高さと財産の多さ、あるいは心通わせる人間関係の希薄さゆえに、いつも安心が得られなかったのだから。

安定は安心を与えてくれるユートピアではない。安心を得ている結果の状態である。安心が先にあり、そのあとに安定が来る。この順番を取り違えると、「安定して安心を得るために努力しよう」という発想になり、底なし沼にはまる。だって、安心が欲しくて安定を目指し続けているのに、安定をいくら手に入れようとしても、安心がついてこないのだから。それもそのはず、安心なくして安定はありえないから、そもそも目指している到着点それ自体が幻想なのだ。

ある種の人々から見れば、「安心」というのが、有名大学を出ているとか、大きい会社に勤めているとか、社会的地位があるとか、そういう材料から生じているように見えるらしい。実にばからしい。経歴や肩書き、社会的にどのような共同体に所属しているかは、あなたを一ミリも規定しない。証明もしない。もしそれらを拠りどころに「安心」を得ている人がいるとしたら、それは「安心」ではなく「慢心」だと思う。

安心とは何か。怯えたり恐れたりする必要がないこと。何ものも自分を脅かさず、損なわず、奪わないと知ること。安心は、不安を弾き返せるほどの強さや富を持っているから得られるわけではない。生きていくなかでかなしいことやうれしいことをたくさん経験して、人を傷つけて、立ち直れないほどに傷つけられて、愛して、憎んで、見放されて、何度も自分と他人を裏切って、ごまかして、慈しんで、どこにいくのか、自分とは誰なのか、何もかも分からなくて、それでもいまこの瞬間、どうしようもなくこうして生きているということを自覚したとき、「わたしはここに生きている」という思いがたちのぼってくる。「わたし」が誰なのかなんてわからなくても、どこへ行くのかなんて知らなくても、たしかにここに生きている。安心は決して、裕福な者や覇者だけが得られる財産ではない。あなたが、いまこの瞬間得られる、あなただけの富そのもの。

安心は、一度手に入れたら二度と失くすことがない。ときどきどうしようもなく落ちても、かならずまた戻ってこられる。激しい風雨の吹きすさぶなか、かならずまた空が見えるという確信を持って嵐を越えられるようになる。どうか、どうか「安定がすべて」なんて勘違いはしないでほしい。虚しいユートピアを虚しいままに手に入れてしまったら、安心のラットレースから抜け出すことさえ困難になる。あなたに、あなただけの富を。

フライパンから炒めものをじかに食べる生活

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カブと小松菜を炒めたのをフライパンごと机に運び、鍋敷きを二重に敷いて、フライパンからじかに食べる。品というのはこういうところからなのだろうか。誰も見ていない家の中で炒めものをフライパンからじかに食べる女。せめて皿に盛り付けてはどうかと思ったが、洗い物をひとつ増やすのがめんどうくさい。油のついた洗い物はなるべく少ないほうが良い。けれどもし、目の前に素敵な人がいる食事の席なら? あるいは、ここが父方のおばあちゃんの家だったら? 彼らは100グラム980円の牛肉を「固くてまずい」と言う人々である。100グラム1280円を超えてくると「少しは食べられる」そうだ。孫が八百屋で5個98円のカブを買ってそれを葉っぱごと炒めてフライパンから直接食べているなどと知ったら、どう思うだろう。わたしの家の冷凍庫には、業務用スーパーで買った100グラム38円の鶏の胸ひき肉がラップに包まって大量に眠っている。きっと素敵な人を招いた我が家での食事会で、わたしはそれをトマトで作るキーマーカレーにして出すだろう。
品とはなにか。品性とはなにか。「あのおばあさんは、どこか品があるよ」という言葉を初めて聞いたとき、その形容詞のなんとも言えない大人びた感じに惹かれた。直感的に「その人が去ったあと、その空間に残りつづける淡い色の余韻のようなものではないか」と思ったし、いまもそう思っている。頭の先から指の先まで、所作のすべてにつつましやかな光が満ちている様子。大きくて穏やかで水々とした湖を連想させる。ゆるやかなテンポで規則正しくめぐっていく音。品を具体的に指し示すのはむずかしい。大きく豊かに構えている様子、とでも言おうか。だから品がある人は、決して焦ったり慌てたりせず、むやみやたらに動きすぎたりもしない。うつくしいと思う。
品はごまかしようがない。それは所作や行動、言葉、無意識の表情からにじみ出る。品は習慣の結果であり、習慣は美意識の産物であり、美意識は矜持の双子であり、矜持は魂に流れる血液であり、それは広い意味での思想だ。血の通った矜持の伴わない所作は、ステップを知らないダンスと同じ。違うのは、ダンスは何も知らなくても踊って楽しければうつくしいが、思想なき行動はうつくしくない。であれば、思想も行動も両方ないほうがまだいい。統一感がある。
フライパンからじかに炒めものを食べるのは品のある行為か。ないと思う。全然ないと思う。全然ないが、いまのわたしにとっては矜持よりも生活のほうが大切だ。生活に矜持を失わないすべはいくらでもあるのだろうが(そして人はそれを丁寧な暮らしと呼ぶのだろうが)、端的に申し上げてめんどうくさい。暮らしにわずかでも品という余裕を持ち込めるようになるまであとどれくらいかかるのだろう。わからない。成熟のこないまま品のないおばあさんになって死ぬかもしれない。それでもいい。矜持なんてさっき簡単に言ったけれど、それだって一長一短で身につくものではない。付け焼き刃になると間違いなくダサい。であれば、変にもったいぶった矜持なんぞ身につけず、生活では徹底して生活をやるという諦めへと完全に振り切れたほうがいいのではないか。そこには品とは違う素朴な高潔さがあるのではないかとわずかに期待している。

東京で生きていくということ

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東京を生きていくために必要な技術はいくつかある。他人と肩が触れ合うかどうかの電車に乗ったらすぐにポジションを確保しミニマルな動作でリュックサックを背中から前に抱え直す技術。スーパーのタイムセールの時間が近くなったらそれとなく店員さんの動きを追う技術。エスカレーターの右側を同じテンポで上り続ける技術。向こうから歩いてくる明らかに挙動が不審な人をさりげなく避ける技術。大きな本屋で欲しい本の棚を見つける技術。エレベーターで知らない男の人と乗り合わせたら意識をそらしつつこっそり最低限の臨戦対戦に入る技術。狭い土地のなかの緻密に編まれた街は、生きていくためにたくさんの振る舞いをわたしに要求する。不便かと問われれば、たしかに窮屈さを感じる瞬間はある。けれどわたしは生まれたときから東京の中で東京と一緒に東京として育ってきた。彼が要求する振る舞いはわたしの振る舞いそのものとして無意識へと定着したので、不便はなくいつも自然である。そしてわたしは、田舎の電車がめったに来ないことと、田舎のバスが時間通りに来ることにひどく驚く人間になってしまった。

土地が要求する振る舞いは、多かれ少なかれその人の振る舞いを形作る。何を選ぶか、何を選ばないか、何をするか、何をしないか。東京では、選ぶことが軽やかだ。何を選んでも誰もわたしのことなど見ていない。誰もわたしの名前を知らない。誰もわたしの顔を知らない。わたしに名前は存在せず、わたしの顔は街の人の顔だ。だから、すべてが軽やかだ。何を選んだっていい。選んだものをすぐに捨てたっていい。捨てたものを拾ったっていい。直して使ったっていい。好きに選び好きに味見し好きに捨てて、物があふれる街々から必要なものだけをほんの一掴み握って、軽やかに通り過ぎてゆけばいい。人の目が多いぶん許されたり見逃されたりすることが多く、人の目が少ないぶん許されなかったり見咎められたりすることが多いというのは、なんだかすこしおかしくなってしまう。そういう意味で、東京の人間は生まれながらに逸脱が逸脱になりづらい。逸脱という言葉自体がほとんど意味を持たないことすらある。どこにでもここじゃないどこかがどこまでも存在する。軽やかだ。どこへでも逃げ出せる。誰にでもなれる。この狭い土地の緻密に編まれた街では、誰も名前を持たなくていい。逃げ出せばいい。選べばいい。誰もあなたのことなど知らない。だからあなたはどこまでも、あなたとして好きに生きていけばいい。

「一言もの申し上げたい欲」のためにセンシティブな話題を燃やす人間が多すぎる

 

3年前の広告が燃える。最近ツイッターで火を見ない日はないんじゃないかと思われるほど毎日そこら中で火事が起こっている。常時スプリンクラーを全開にしてもきっと追いつかない。その多くはマイノリティやフェミニズムに関する炎上で、これらのムーブメントに食傷気味の人も多く見られる。

ツイッター上では、これまで声を上げられなかった不条理や理不尽に対する怒りの爆発が大流行している。今までおかしい、嫌だ、と思いながらも我慢してきたけど、でもぶっちゃけこれってやっぱりヘンだよね?という不条理に対して怒りを燃やす人が後を絶たない。実際、「人々が過剰にセンシティブになっているのではないか」という声も多く上がっている。しかし、専門知識を持つ一部の層を除き、「また炎上? もう疲れちゃったよ」「ちょっと過剰すぎない?」「みんながみんなに優しい世界ができるといいね」以上の議論が進んでいる様子は今のところほんどなく、これでは結局「つらかったのは分かるけどそんなに怒りすぎないで」「みんなで努力して良い世界に変えていこうよ」という小学校並みのオチしかつかない。

 

わたしは昔、殺人事件のニュースに強い興味を覚える子どもだった。幼稚園生の頃から、朝の登園前にニュースで殺人事件がやっていると画面に釘付けになっていた。いつどこで死んだのか、どんな凶器で殺されたのか、何歳か、性別は、名前は。しかしそれ以上に気になったのは「どうして殺したのか」だった。加害者はなぜ被害者を殺したくなったのか。幼稚園のばら組さんだった頃は難しい言葉や道理など一切わからなかったが「金が欲しかった」「人間関係のトラブルがあった」のように、殺す側には何かしらの理由があるのだということはなんとなくわかった。そしてそれはすべての場合において、加害する側の弱さが最悪の形へと変わって表れた結果であることも。

 

さて、燃えているツイッター。燃やしている側には、どんな理由があるのか。一連のさまざまな着火や炎上や延焼を見て、わたしが最も気になったのはそこだった。

はっきり言って、今ツイッター上でセンシティブな話題を燃やしている人のほとんどは、正義と大義名分を振りかざして「人に何かを言ってやりたい欲」を満たしたいようにしか見えない。加害は加害者の弱さそのものだ。加害する人は、同じように誰かに加害された経験を少なからず持つ。良い形の解決を本当に目指しているならば、他人の弱さを煽ったり晒したりする問題提起の仕方はすべきではないことくらいわかるはずだ。意図していなくとも「燃えそうな」書き方をする人は、心のどこかに「燃えたら良いな」という思いを持っているのだと思う。意地悪でそう言っているのではなく、人間誰しも、自分を加害したやつに仕返しをしたい気持ちを持っているのは当たり前のことだから。そして問題が道徳的な正義を背負える性質のものであるほど、「言ってやったぞ」という物申したい欲はなみなみに満たされていく。間の悪いことに、セックスとジェンダーを包括する「性」のトピックは、この性質と相性が抜群だ。

 

たとえばこれ。発端となったツイートはこの記事の本旨は関係ないため文脈は省略するけれど、ある誤った指摘をした人に対して、まったく関係のない外野が列をなして嬉々としてお説教を垂れている。誤った指摘をした当人の肩を持つ気は微塵もないが、「外野がそこまで寄ってたかって叩くようなことか?」という感想しか出てこない。

 

 

こんな現象は毎日何百何千と観測される。これだけでなく、「悪行をしたやつにこんな仕打ちをしてやってスカッとしたぜ」系のコンテンツは、古くからメディアに溢れかえっている。センシティブ炎上芸が流行るより、ずっとずっと前から。

正論で人を殴るのは気持ちがいい。大義名分を背負って野次を飛ばすなんて最高だ。わたしたちの多くは、程度の差こそあれ、「一言もの申し上げたい欲」「大義名分を掲げて何かを思う存分に殴りつけたい欲」を心のうちに秘めている。非常に、非常にダサいけれど。なぜそんなことがわかるかというと、わたし自身、そうやって他人のことを撲殺してきたからだ。圧倒的に正しくて強大な道徳を味方につけ、正義のために悪い奴らをやっつけたい。そうやって気持ちよくなりたい。でも一体、どうしてそんなことをする必要があるんだろう。

 センシティブ炎上芸は、いじめの構造と非常によく似ている。いじめっ子といじめられっ子は、客観的に見れば問答無用でいじめっ子が悪いのは間違いない。しかしいじめっ子たちの主観から見れば、彼らの行いは正当なのだ。自分のしていることを「(自分にとって)100%悪いことだ」と認識しながらそれをやる人間はいない。「(客観的に見たら)悪いことだよなあ」ということはわかりつつ、それでもそれをやることが自分にとって何らかの善であることしかやらないように人はできている。先生にいたずらの告げ口をしたから。弱っちいから。なんかムカつくから。だから、あいつをいじめる。彼らには彼らなりの正当な理由があり、彼らの正義に従って人をいじめる。その理由が客観的に見て不当であるかなんて、いじめる側には関係ない。これと全く同じ構造の炎上が、今まさにそこかしこで起こっている。

 

今後もやまないであろう炎上において意識すべきは、弱さと正義を盾にした炎上芸と本当に必要な問題提起を見誤らないことだ。その線引きはシンプルで「関係する全員にとってより良い形へと収束するような問題提起ができているかどうか」だと思う。傷つきました!嫌な思いをしてきました!許せない!という感情の発露は、ネガティブな感情を増幅させども、本質的に壁を壊す力にはなりえない。本当の解決とは、誰もの傷が癒え、同じ事態を二度と引き起こさない土壌を育てるところにある。綺麗事ではなく、本気でそう思う。加害された側が被害を受けた側に懲らしめられ一時は大人しくなったとしても、必ずいつか復讐が始まる。ならば、全員が傷を癒やすしか道はない。そのためには、まず問い方に慎重になるべきだと思う。どう世に問うか、どうあなたに問うか、どう自分に問うか。そこからすべては始まっている。