きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

2015.05.22

 

昨日は珍しく、スターバックスの新作のフラペチーノを飲むなどした。

朝起きたときは別に飲みたいともなんとも思っていなかったのだけど、病み上がり以来初めてショートパンツをはいて脚を出して、新しいHARUTAの靴をおろしたもんだから、朝から気分ごとまるっと女子になってしまったのだ。

 

わたしの仲の良い友達にも「朝着る服で今日は『男する』か『女する』か決めるの」と言う人がいる。彼女は与えられた性別と期待される性別の間でときに激しくふるえたり揺れ動いたりしながら、自分自身と手を組んだり、あるいは邪険にしたりしながら、毎日性別を着せ替えて日々をわたっていく。彼女がわたしにその話をしてくれたのは初めて会った酒の席で煙草を吸いにベランダに出たときで、煙草を片手にその日完全に『女して』いた彼女は、暗い水の底に隠れたちいさな動物のような眼でわたしを見つめていた。

 

「わたしは、見る人がわたしを無限に解釈してくれるようにありたい。わたしは個体としてここにいるけれど、みんながわたしを勝手に解釈してわたしを好きなように受け取ってほしい。誰かに「これがわたしです」と差し出すのは自信がない。そういう意味では中性的かもしれない。けれどこうしてスカートもズボンも楽しめるし、お洒落の幅も広がるし、そういう機能的な意味では女でよかったと思っているよ」

 

そう、フラペチーノ。あれは過程の飲み物だね、と、公園の丸い岩のベンチに座りユニ子と笑った。フラペチーノを買うには、まずスターバックスに入るぞという気概とお金が必要だ。普段はスターバックスを使わないから。そしてレジの前で恥ずかしい長ったらしい呪文を唱えなくてはならない。「あの、新しく出たイチゴのやつをひとつ」なんて言おうもんなら、店員に優しく呪文返しをされて居た堪れない思いをする。そして出てきた飲み物を受け取り、友達と一緒に写真を撮ってSNSにアップロードする。一緒に飲むのが彼氏の場合は、さりげなく奥側に異性がいることを感じさせるのがポイント。こうしてフラペチーノは完成する。SNSにアップロードするところまでがフラペチーノ。過程を踏まなきゃ飲めないのがフラペチーノ。