きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

わたしの父は仙人です


「どうしてパパはママと結婚したの?」
「パパはママの笑顔に騙されたんだってさ」
 
 
わたしの父は、仙人だ。今年51歳になる、少しハンサムな仙人である。
 
 
まず、欲がない。21年間育てられてきたなかで、父が、何かをもっと欲しいとか、何かをしたいとか、そう言っているところを見たことがない。おいしいものは全国から取り寄せもするし、休みの日にはホームセンターに鉢植えの花を買いに行く。金魚が増えれば大きな水槽も買うし、友達に誘われれば飲み会にも野球観戦にも行く。でも、もっと良い車が欲しいとか、どこかに旅行に行きたいとか、そういった「want」を父の口から聞いたことが一度もない。休みの日は家で寝ているか本を読んでいるかゲームをしているかのどれかだし、「こうしてほしい」と他人にお願いすることもない。新婚当初、母は父に「何も期待していないよ」と言われたという。よく聞くと「「お前は何もできないだろう」ということではなくて、自分のためにこうしてほしいとか、こうなってほしいとか、そういうことは一切ないよという意味だよ」と言われたらしいが、当時そこまで父について理解が及んでいなかった母は、大変ショックを受けたそうだ。
「でもそれって、人間が生きていく上ですごく重要なことだと思うんだよね。他人は自分を満足させるための何かじゃないということ。口下手だし、ママもそこまでパパのいうことが分からなかったから、人格が否定された気分になってすごくショックだったけど」
 
 
そして、心配をしない。たとえばわたしと妹の入試のときや、身内の誰かが手術をすることになっても、一度たりとも心配をしているところを見たことがない。自分の昇進や転勤などの結果を待っているときも、そわそわするでもなく、ああなったらこうしようと思っているなどの話をすることもなく、いつものように部屋で本を読んでいる。極めつけは震災が起きたときと、犬を拾ってきたときのことである。震災のときは、家族と連絡がつかなくなっても普段と全く変わらない様子で当たり前のようにして歩いて家に帰ってきた。わたしはたまたま沖縄にいて東京の様子が全くわからなかったから、不安になって何度も父に電話をかけた。回線はパンクして全くつながらない。父から連絡が来たのは震災当日の夜中のことで、それもこちらの様子を聞くでもなく「みんな無事だよ」のメール一通で片付いてしまった。わたしが10年前に犬を拾ってきたときも、犬を見た第一声は「やあやあ(父の定番の挨拶)」の一言で、そのあとは
「きみはどこで拾われてきたんだい」
「児童館の近く」
「そうかい。それじゃあ、もう寝るよ」
とさっさと寝てしまった。新しい飼い主が見つかるまでどうしよう(当時は社宅に住んでいて、犬は飼ってはいけないことになっていた)とか、これからこの犬はどうなるのだろうとか、そんなことには全くお構いなしの姿勢を見せ、子供ながらに「この人は変だ」と思った。無関心とまでは言わないが、限りなく無関心に近い不干渉である。人間のコミュニケーションのお約束として「どうなるかいね」「きっと大丈夫だよ」「なるようになるよ」と言うことはあっても、父が心の底から何かを懸念するところを、21年間で一度も見たことがない。
 
 
それから、頭がものすごくいい。歴史の話でもしようものなら、30分は一人でしゃべり続ける。教科書のようにしゃべり続ける。でも、決して知識だけの頭の良さではなく、賢さも併せ持っている。合理的だし、計算が早いから無駄のない選択がうまいが、決して計算高くはない。「心配しない」というのも、こういった性質から由来しているのかもしれない。不必要なことはとことんしない。確かに、誰かが試験や手術を受けようが、自分の昇進がかかっていようが、結果はそのときにならないと分からないのだから心配するだけ無駄である。そういうことを分かりすぎている。けれど向上心に燃えているわけでもない。欲はないのである。頭が良くなりたいと思っているわけでもないし、知識欲の権化であるわけでもないのに、驚くほどたくさんのことを知っているし、よく覚えている。歴史や科学を知ることを面白いとは感じているらしいけれど、そこから何か生産的なものを生み出そうとしている様子はない。
 
 
あとは、コミュニケーションが下手だ。何を考えているか全然わからない。頭がいいので、効率的に分かりやすく「伝える」ことはうまいが、そもそも「自分のことを伝えよう」という意志がない。人の気持ちをくみとるのも下手である。共感が下手だから、母にはいつも怒られる。そして誰かとコミュニケーションを楽しみたいという意志もない。おそらく楽しいコミュニケーションとつまらないコミュニケーションなら楽しいコミュニケーションの方がいいのだろうけれど、そもそもコミュニケーションにあまり必要性を感じていないようなので、こちらが何も話さなくても、何も聞いてくることがない。でも挙動は面白い。いつも「へえへえ」とヘラヘラ笑って変な動きをしながら歩いたり踊ったりしている。こう書くと完全に不審者のようであるが、事実だからしょうがない。
 
 
父はとにかく理解が難しい。去年、家の周りに何日か不審者がうろついていた時期があった。鍵をしめていないと勝手に我が家のドアを開けたり、家の周りの隙間に入り込んだりするものだから、我が家の女三人はみんなで怯えていた。
「パパ、鍵はきちんとしめるようにね。最近不審者がいてね、ドアを開けたり、家の隙間に入ってきたりするの」
「へえそうかい。分かったよ」
それから数日して、ある日玄関にゴキブリが入った。わたしと母が殺虫剤で追い詰めたところ、ヤツは玄関に直置きしていた父のゴルフボールカゴの中に逃げこんで、姿が見えなくなってしまった。大量のボールに隠れてしまい、死んだかどうか分からなかったので、わたしたちはカゴをそっと玄関の外に出しておいた。
翌朝起きたら、玄関にカゴが戻してある。ゴキブリはいない。きっと父が夜中に帰ってきて入れたのだろうと思い気にもしなかったが、2階のリビングに上がり昨夜の事の顛末を話したところ、
「ああ、それで夜中にカゴが外に出ていたんだね。てっきりパパは不審者が「俺は夜中にこんなこともできるんだぞ」っていう意思表示のためにゴルフボールカゴを外に出したんだと思ったから、「やるなお主…」と思って、仕返しに中に戻しておいたんだ。お前はカゴを外に出せるだろうけど、パパはしまうこともできるんだぞってところを見せたかった」
と父が言う。このことが我が家の2014年おもしろエピソード大賞に決定したのは言うまでもない。とにかく父は謎だ。何を考えているか分からない。分からないけれど、はためで見ている分にはおもしろい。母は父と結婚するとき、父のお姉さんに「あの子、仙人みたいよ。霞食べて生きてるみたい。よく結婚する気になったわね」と言われたらしい。わたしも、よく結婚したな、と思う。母は今でもときどき「パパとはすごく友達になりたいと思うけど、パートナーとしては大変なことが多かった。でもパパと結婚して後悔したとか、他の人と結婚すればよかったと思ったことは一度もないよ。生まれ変わっても結婚したいとは思わないけれどね」と言う。わたしは、この人が父親でよかったと思う。いっけんまともそうに見えて、限りなく変である。チョコレートは普段からよくあげるので、たまにはこういった文章をプレゼント代わりに書くのも悪くない。これからもよろしくね。ハッピーバレンタインデー。