きみのお祭り

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■映画レビュー 「こころに剣士を」

 

去年から映画を観に行くようになったので、せっかくならばレビューを書き残しておきたいと思い今年から始めます。気分によるボリュームの差はご愛嬌です。

 

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「こころに剣士を」

http://kokoronikenshi.jp/

12日 ヒューマントラストシネマ有楽町

 

映画初めということで、2日の夜、初詣を終えた後に東西線と銀座線を乗り継いで観に行った。

 

■ 五感に訴えかけてくる言語、色彩、風景

 恥ずかしながら、この映画を観るまで「エストニア」という国が正確にどの位置にあるのかすら知らなかった。バルト海に面していて、フィンランドの真下。ロシア、ラトビアとくっついている。東欧だと思っていたらフィンランドノルウェーなんかと同じ北欧だった。

 映画を通して一番印象深かったのは、言葉の響きのおもしろさと、アジアでは見られないような、おだやかでやさしい淡い色彩だった。

 エストニア語という言語を初めて聞いたのだけど、最初は息の使い方の独特さからロシア語かと思った。けれどロシア語にしてはモゴモゴしていなくて、ドイツ語のようなきっぱりした感じもありながら、スペイン語のようななめらかさもあり、フランス語のようなやわらかさもある。けれどドイツ語ほど語気は強くないし、スペイン語ほど早口でもなく、フランス語ほど気だるそうな感じもない。ずっと聴いているとマントラのようにも聞こえてきて、おまじないにぴったりの言語だなと思った。エストニア語。

 「おだやかでやさしい淡い色彩」と言ったが、光に溢れているような色使いが多かったというわけではない。むしろ、冷たい冬の雲によどんだ空や、昼間でも薄暗いコーヒーショップ、ほこりっぽい体育館の殺風景さなど、色味のない風景がよく登場する。けれど、晴れた空や昼下がりの窓からときどき差す陽の光に照らされると、北欧独特というべきか、パステルカラーを少し強めたような、濃淡のちょうど中間にある黄色や緑で塗られた体育館の壁や、風に揺れる透き通った白いカーテンがあまりにやさしくきらめくのだ。「何色」と言いがたい色がたくさん出てくるのも楽しい。

 この映画の中で「誰かが何かをいきいきと語る」という場面は非常に少ない。心情の揺れ動きや展開の明暗が、色と光を無造作そうに放り込んだ日常の景色で表現されていて、「言語を介さずに表される言葉」の力をいっそう強く感じた。そうして描かれている風景の多くが―体育館の壁や自室のカーテンなど―ありふれた日々のワンシーンであるからこそ、余計にぐっとくる。たとえるなら、夏休みにおばあちゃんの家に遊びに行って、いつも見ているはずなのに見えるもの全てから「夏休み」を感じてわくわくうずうずした人は、この感覚にどっぷりとハマれると思う。

 

■ 言葉で語られないメッセージ

 正直なところ、この映画が押し出している「勇気の先に未来がある」というメインメッセージは、物語からはあまり感じ取れなかった。話の構造はとても単純だし、展開も予想がつく。けれど、「歴史的、社会的な事情から、人びとが自由に生きられない」「家族をいとも簡単に失ってしまう恐ろしさ、悲しさに日々苛まれている」という要素が加えられていることで、「それでも未来を信じて生きていきたい」という思いの強さが刺さるように染みてくる。けれど作中では一言も「未来を信じて生きていきたい」なんてポジティブな言葉は出てこないし、誰もそんなことを語らない。

 この映画の好きなところのひとつに、激しい感情表現がほとんど出てこない、というのがある。大切な家族を目の前で奪われても、フェンシングを始められることになっても、誰かが大泣きしたり飛び上がって大喜びしたりすることがない。出来事に対して感じることの多さや、その思いの強さゆえに、眼差しや表情のわずかな変化だけでそのときどきの「感じているもの」の全てが表されている。その淡々とした様子から、「これはもしかして、この人にとって想像以上に意味深い出来事なのかもしれない」と思えたりもして、それがとてもリアルで、かえって自分の感情に共鳴した。

 

■ 子役の作る余白

 感情表現が少ないというのは、「余白」がたくさんある、とも言い換えられる。観る側が好きに想像できる余白。大人ならばなんとなく「ああ」と分かるかもしれないけれど、目を見張ったのはメインの子役2人がそれをとてもナチュラルに表現できているところだった。「嬉しい」を「やった!」と飛び上がらない。「悲しい」を「どうして」と泣き叫ばない。表情をほとんど変えない。無愛想に近い。それが余計に観る側の気持ちをぐしゃぐしゃと掻き立てて、わたしの気持ちのほうが前のめりになる。大人が作る余白は「含みがあるんだな」と感じるくらいだけれど、子どもの作る余白は、居ても立ってもいられなくなるようなもどかしさがある。日々の生活でふつうに笑ったり悲しんだりしながらも、ふとした拍子に「自分がいま感じているこの感情は本物なのかな」とか「笑ったり怒ったりしている自分を見ているもうひとりの自分がいる気がする」と感じるひとはハッとさせられるのではないかと思う。