きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

2017.04.08

 

感情はびっくりするほど当たり前のようにこんこんと湧き出てくる。食事中にスマホをいじられたら誰だろうとすごくいやだし、ちょっと背伸びしたファッションを褒めてもらえたらそれだけで1日がハッピーになる。

 

感情や感覚は当たり前に湧くものとして、問題はそれをどのように処理するかである。さまざまを感じるのは心の知性の役目だけど、それを(特に対人において)表すのは頭の知性の役目だと思う。何を、どうやって、いつ、誰に、どんなタイミングで。それらをわたしたちはおそらくものすごく素早く複雑に計算していて、その計算が少し足りなかったり、激しい感情にとらわれて思わず反射的に厳しい言葉を相手にぶつけたりすると、あとあと後悔することが多い。

 

アカデミックにも哲学的にでもなく、ずっと感情に関して考え続けているような気がする。何かがあったとして、そもそもそれに感情が湧くこと自体適切なのかそうでないのか、湧いた感情をどう言葉や態度に変換するのがいいのか、はたしてそれは表現すべきなのか、表現するとして、どんなふうに表現するのがいいのか。感情は頭で「発生するな」と押さえつけることができないし、感情に関して正解と不正解という観点を持ち込むこと自体間違いだ、という考えを多く見てきた。けれど、特にネガティブな感情を必要以上に感じるとものすごく疲れるし、「それはそういうもの」と自分と一線を引くことで、いくらか負の感情を感じにくくすることはできる。しかしこれはやりすぎると気持ちが不感症になるので、いかんせん何や誰に対してそういうやり方を持ち込めばいいのか加減が掴めず、むずかしい。

 

こういうことをたまに、本当にたまにほんの1ミリくらい他人に話すと、たいてい「そんなこと考えたことない」「いろいろ考えててすごいね」「複雑に考えすぎだ」などのレスポンスが返ってくる。べつにどんなレスポンスをされようとかまわないのだけど、こちらとしてはけっこうな死活問題なので、むしろ感情をうまく付き合っているひとはどうしているのかを知りたい。どうしているのか教えてくださいと切実に乞うても、なんとなくの苦笑いで去られる。夏道路の逃げ水みたいに。つまり、気持ちに対して「考える」という姿勢自体が違うのかもしれない。違うのかもしれないけれど、そうやって二十余年やってきてしまったのだからしかたない。話の着地点がぐらついてきたぞ。オチはつけられないけれど、誰か何か、感情について知っていることや感じていること、わかっていることがあったら教えて下さい。以上。