羊とメトニミー

過不足なし

「いやな怒り方をする人」のほんとのところ

 

「叱るのは良いけど怒るのはダメ」って、じゃあ「叱る」と「怒る」をただしく使い分けられる人ってどれくらいいるの?と思う。そもそもムッとしたとき、イラッとしたときに一呼吸置いてそれを冷静に使い分けられる人は、なにかマズいことが起きたときに「怒る」というコマンド自体が画面に現れない気がする。

だから、怒られる側の人間が怒っている人間に対してのお作法や冷静な見解を備えている方が、「怒ると叱るを使い分けましょう」というアドバイスよりも有用なんじゃないだろうか。「怒る・叱る」よりも「怒られる・叱られる」ことのほうが圧倒的に多いわたしを含めた若者たちは、心構えをなんとなくでも知っておいたほうがいろいろと削られない、はず。

 

わたしはとにかく怒られたり叱られたりすることの多い子どもだった。落ち着きがなかったし、忘れ物をよくしたし、周りより出来ないこととか苦手なことなどが多かったし、嫌なことはすぐに放り出して逃げ回って後始末をつけない子どもだったから、いろんな場面でいろんな「怒る人」を見てきた。怒られのプロである。怒られのプロは、ある一定以上怒られ続けたせいで「この人の怒り方ってあの人に似てない?」とか「この人がこんなに些細なことでこんなに怒るのって、もしかしてこういう理由があるから?」なんて考えるようになった。そんなことを考えているせいでお説教が耳に入らずまた怒られる。怒られスパイラル。でも、そんな確かな怒られ実績に裏打ちされた経験により、怒っている人々の人間としてのある一面性が少し見えたような気がする。

 

怒られのなかでも「いやな怒られ方」がある。気力以外にいろいろが削られているタイプの怒られ。それもいくつかパターンがある。こういう怒り方をする人はどこのコミュニティにもいる。ほんとうに、「あれっ、この前お会いしませんでしたっけ!」と言いたくなるほど、彼らはどこのコミュニティにも偏在している。そんなことを考えているから怒られるのだ。まあいいや。

いやな怒り方をする人について、これまでに感じたことと、対処法を好き勝手書きます。特定の誰かを馬鹿にする目的もないし、こうやって怒る人みんながみんなそうというわけでもないので、テレビの星占いと同じくらいの気軽さで読んでくれたらうれしい。

 
◆ とにかく威圧的な態度で押さえ込もうとする人

自分に自信がぜんぜん持てない人。心無い誰かに殴られて心がへし折られてしまった経験を持っていることも多い。ステータスや肩書や生きてきた年数など、目に見えやすい数値を後ろ盾にしがち。自分の感じていることや考えていることに自信が持てないゆえに、他人と何かが食い違うとすぐに答え合わせをしたくなる。けれど、答え合わせをすることで自信がないとバレるのもいやなので、手っ取り早く威圧で「おれのほうが正しい」ということにしてしまいやすい。ときに大声を出すこともある。ほんとうはあなたが何歳でどんな人だろうと、思ったことや感じたこと、考えたことを素直に話してくれればいいのに、威圧という銃口と後ろ盾をこちらに向けて「おれはこうだ!」と言ってしまう。

でも銃口を向けている自分にすら自信が持てないから、冷静になった後で謝りたい気持ちでいっぱいになっていることもある。そのタイミングでこちらが悪いと思った点を謝ると、どんどん素直な人に戻ってくれる。

 
◆ ねちねち嫌味を言ってくる人

自分が傷ついていることを一番理解してほしい人にわかってもらえないまま大人になってしまった人。傷が膿んで、いつまでも「自分は傷ついた」ということをまわりに嫌味というトゲで訴え続けたくなってしまう。ねちねちの沼にいくら付き合っても終わりは絶対にこないので、耐え忍ぶ気持ちで嫌味を聞き続ける、あるいは聞き流し続けるのはすぐにやめるべき。始まったら、波風を立てないよう声が届かない場所に即避難しよう。聞き流すって、流しているようでいてバッチリ聞こえちゃうので、実はかなりストレスになる。

嫌味が始まったら「あなたを傷つけたくてこの話をしたのではない」「傷つけてごめんなさい」ということを、傷口に包帯を巻くように伝えると、徐々にかさぶたになっていく。本当はカラッとしていたい、という気持ちの強い人なので、傷口をかさぶたにして、カラッとした光や風を当ていくと、夏の風みたいに気持ちよい人へと変身していくことが多い。

 

◆ 着火したようにすごい勢いで怒る人

痛みにすごく弱い人。それはプライドの高さの副作用でもあるかもしれない。感情の高ぶりに重なってマシンガンのように自分の正当性を主張するのは、「自分は間違っていないので傷つけないでください!」という魂の叫び。なぜそんなことを叫ばなくてはならないかというと、「おまえは間違っている」「おまえが悪い」と他人から指摘されるのが何よりも傷つくから。かつてのわたしがそうだった。咄嗟に口が回る人間がこのタイプだと、怒り出したとき本当に手がつけられない。「自分は悪くない」ということが一番大事なので、「あなたを悪いと責めているのではなく、ほんとうはこうしてほしかった」とか「ここをもう少しこうしてみては?」という具体的で生産的なことを、柔らかく直球で伝えられるとスッと熱が冷める。頭を使ったり議論をしたりするのが好きな人が多いので、非難ではなく的確な改善の要求があるとむしろ信頼関係が深まることもある。

 
◆ 「どうせぜんぶわたしが悪いんでしょ」とすねる人

ものすごく頑張り屋で口下手な人。がんばってがんばってすごくがんばるんだけど不器用だから、なかなかがんばっていることが周りに伝わりにくい。
このタイプの人々は得てして縁の下の力持ちポジションで、人より気配りができたり神経が細やかだったりする分、人よりも心配症だったり神経質だったりもする。みんなのために人知れず努力していることも多い。だけど縁の下だし口下手だから、伝えたいことがうまく伝わらなくてもどかしい思いをすることも多い。努力を誰にも認めてもらえない時期が長く続くと「もういいよ」とすねたくもなる。怒っている場合、少し時間を置いてから、常日頃の感謝の気持ちや、その人が自分にとってどれくらい大切であるかをちゃんと伝えられるといい。そして何より大切なのは、その人が普段がんばってくれていることをいつも自分も見逃さないこと。

  

◆ 半笑い気味に「どうしてキミはさあ」と小馬鹿にしてくる人

表向きは「お前(相手)って本当にバカだな、こんなこともわかんないのかよ」と自分が優位に立っているように見せかけて、実のところは怒っている自分に対して「くだらないなあ、チョロいなあお前は。こんなことでイラつくなんて、大人げない。あーいやだ」と思っている人。ほんとうは心に余裕がない自分のことが自分で一番きらいだし、自己評価がすごく低い一面があるんだけど、これ以上自己評価を下げるのが本当に苦しいから、無理やり他人よりも優位に立っていると見せかけてぎりぎりのところで気持ちを保とうとしていることが多い。

自信がなくて威圧してくる人と違うのは、「本当は誰よりも完璧な、誰よりも優秀な自分でありたいのに、それが叶っていない現状」というギャップに苦しんでいるところ。理想が高く現実が追いついていないことに対してストイックに自分を責めがち。能力は高いのにコミュニケーションが下手だとこれになりやすい。小馬鹿にされたら、鼻を明かしてやろうという気持ちではなく、真摯に「じゃあこれこれについてこれこれがわからないのでちゃんと教えてください」とまっすぐ目を見て言うと、意外と教えてくれる。そして教え方がかなりうまい。本当は誰よりも気高く賢い人。うやまう気持ちで接すると、どんどん品位を取り戻していく。

 

 

以上です。怒られない人生というのは無理な気がするので、怒られたら「この人、どうして怒ってるのかなあ」と、怒っている人の傷に目を向けられるとすこし楽に生きていけるように思う。自分にその余裕があるかは、そのとき次第なんだけどね。

でも、どんな人でもだいたいの場合は他人に見えない不安定さを案外抱えているものだということを多くの人が理解できれば、もうすこし世界ぜんぶが優しくなれるんじゃないだろうか。傷つける人が、一番傷ついている。

 

本日はこの辺で。刺すように寒い夜だね。おやすみなさい。