きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

万引き家族 感想メモ

万引き家族、観てきた。映画を観ること自体ひさしぶりで、何を観ようか迷ったんだけど、とりあえず手近なところで、という気持ちで観たので、特に事前情報などは仕入れず、期待も持たず。

 

久しぶりに映画を観たせいなのか、それともこの映画であるからそう感じたのかはわからないけれど、「これを人に伝えたい」という思いで差し出されたものを素直に受け取るのってむずかしいなあと思った。なんというか、論評されたり批判される要素がこれでもかというほど詰め込まれていて、胸焼けした、というのが個人的な感想。途中から中身についていくのに疲れてしまい、樹木希林安藤サクラ、子役の佐々木みゆの一挙手一投足にばかり注目していた。この映画は女性俳優たちの演技がものすごくよかった。過剰すぎない、自然すぎない、不自然すぎない、語りすぎない。うるさくないのが一番だ。松岡茉優はかわいかったけれど、役がハマりすぎて知育玩具のおもちゃみたいな感じ。

 

おそらくこの映画は、いろいろな文脈からいろいろな論評や批判をされるのだろうし、監督もそれを望んでいるのだと思う。じゃなきゃこんなにも描く生活にリアルさを追求しなかっただろうし、論点もたくさん詰め込まなかったはず。頭のいい人たちが、この映画のなかで描かれた社会問題とか、共同体の構造とか、そういうものについてここぞとばかりにインターネットで持論を書き綴るのが目に見える。だけどわたしはすごくひねくれているので、そういった批判の機会みたいなのを与えられてしまうと、すごく戸惑う。作品から何を受け取るかはわたしの自由であって、そこに作り手の「ここを見てください!」が入ると、すごく萎えてしまう。ツアーバスと一緒。右手にかの有名な観覧車がございまーす!というやつだ。ツアーバスと違うのは、差し出されたコンテンツは消費されるだけでなく、そのさきもどんどん人の手によってさまざまなかたちをとって積み重なっていくこと。誰かのブログとか、日記とか、レビューとか、そういうかたちで。それを読んだ人が作品を見て、なにかを残して、それを読んだ誰かがまた…というふうにつながっていくところ。誰かが残してくれなければそのコンテンツはすぐにみんなの視界から消え去って忘れられてしまう。だから、ストックされるレビューを残す作品っていうのはそれだけですごい、のかもしれない。