きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

死ぬのって、夢から覚めるみたいなもんなのかな

 

眠っているときに見ている夢のなかって、現実世界ではありえないような出来事やシチュエーションをいつの間にか当たり前のものとして受け入れてストーリーが進んでいく。あれ、目が覚めたあといつも不思議だなあと思うんだけど、ほんとうに違和感なく「そういうもの」として受け入れて進んでいくよね。たとえば死んだ人が出てくるとか、小学校の頃の名前も覚えていないような同級生と今の仕事仲間の人とじぶんがめちゃくちゃ仲良しとか、空を飛んでいるとか。

 

ふと思ったんだけど、人生もそんな感じで、この世で心臓が止まって脳が死んだ瞬間、別の世界のじぶんがどこかでぱちっと目をさますんじゃないだろうか。

 

「はいお疲れさまでした〜」
「いや〜今回の人生はけっこう長かったね、特に最後30年くらいは医療の進歩すごかったもんね」
「長かったけどまあまあハッピーライフだったから終わったら一瞬だった」
「失恋からの失職からの家族騒動の回やばくなかった?32のときの」
「あれはな〜人生じゃなかったらありえないよねwww人生でよかったわwwww」
「でも奥さんすごくきれいな人だった!」
「ね!一緒に目覚めたかったけど、まだ人生もうちょっと残ってるっぽい」
「いやでも人生ほんとありえないことめちゃくちゃ起こるよね、人生だから変だなって思わないけど、人生じゃなかったらもうパニックだと思う」
「あ、葬式の中継見る?」
「参列してるwwwこの人www誰wwww全然知らないwwwww葬式で初めて顔知ったわwwwwwww」

 

みたいな、そんなやりとりが、わたしたちが天国と呼ぶ場所のどこかでなされていたりして。

 

今日の明け方の夢で、死んじゃった犬の夢を見た。まごうとなきわたしの犬。家のフローリングを歩く足音が元気そうで、すごくよかった。犬は爪を切るのがきらいだったから、歩くと「シャカシャカシャカ…」と、控えめでとてもかわいい足音がする。

わたしがリビングでひっくり返ってのびていると、どこからともなくシャカシャカシャカ…は近づいてきて、だいたい脚や腰のあたりにじぶんの尻をくっつけて寝ていた、犬。けっしてかまってほしそうな素振りは見せないし、かまうと嫌がってすぐ逃げてしまう。けれど知らんふりをしてひっくり返っていると、やつはかならず近寄ってきて、体のどこかにお尻をくっつけて寝ていた。そういう距離感もすごくすきだったな、と思い出した。夏は冷房の下で、冬は床暖房の上でふたりでひっくり返っては、床の硬さに身を任せてぼーっとしていた。何を考えるでもなく、時が流れていることをふたりでただただ感じているだけの優しい時間。

 

犬と人の間に流れる時間には7倍の差がある、と聞いたことがある。本当かどうかは定かではないけれど、もし本当だとすればつまり、わたしにとっての1分は犬にとっての7分で、わたしにとっての1年は犬にとっての7年だったのだ。床でふたりでひっくり返っていたとき、わたしと犬のあいだには、ぜんぜん違う速度で時間が流れていたのかと思うと、なんだかおかしい。同じ場所にいて同じ時間を過ごしたのに、なにひとつわかりあえないもんだ。けれども彼がこの1月、ここではないどこかで目を覚ましたとき、「悪くなかった」と思えるような、そんな時間をわかちあうことはすこしだけできたんじゃないかな、と思う。

 

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