きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

200104diary_変な時間に寝て起きる

一昨日は3時に起きて海岸に日の出を見に行き、今朝は5時に起きて別の海岸に日の出を見に行き、そんなこんなで今日は夕方の6時に少し昼寝をしたつもりが、目が醒めたら深夜だった。みかんを食べる。変な時間に寝起きするのは時間感覚がなくなってすこし楽しいけれど、身体のサイクルが乱れるのがいやだ。正月休みが終わる。やっと世の中がもとの生活サイクルに戻ってくれるのがうれしい。習慣や定期的な時間が乱されるのはすごく苦手。同じくらい苦手なのは、人が大きな声を出していること。自分のいま住む家にはテレビがないのでそのような場面に遭遇せずに済み、至極静かで穏やかな正月だった。テレビやYouTubeで芸をして生計を立てている人の表情を見ていると、ときどき、太宰治の「人間失格」の冒頭を思い出す。

『私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。
(中略)
まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺しわを寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。』

おもしろくないことに、笑わなくていいのに。

新居には備え付けの魚焼きグリル付き3口コンロがあるのだけど、4つあるガスのひねり口がこれまで使っていたものとあべこべで、料理をしている最中に戸惑うことが多い。噴いている鍋の火を止めなくては!という場面で該当コンロをひねったつもりが別のコンロの火が消え、鍋は噴きこぼれる。そういえばこの家は、玄関の鍵の開け閉めもこれまで住んできた家とは逆だった。キッチンと風呂場にある湯沸かし器操作盤の追い焚き機能も風呂場にしかついていない(これまでの家はキッチンのほうにもついていた)。こういう小さな違和にストレスを覚えるたび、環境が身体に染み込ませる認知や行動の根強さを感じる。人が自分の心だと思っているものは、案外環境の集積の結果でしかないのかもしれない。年末に遠くの国からメールをくれた人も、そのようなことを言っていた。

祖父母の家に挨拶に行った。先に家族が3人行っていて、あとから合流する形で。年賀代わりにケーキを買っていった。母や妹はそれを切る。皿に盛る。洗い物をする。父やおじいちゃんは当たり前のごとく動かない。おばあちゃんは「いいのよ、そんなことやらなくて。おばあちゃんがやりますから」「普段主婦はなんにもせずにぐうたらしてるだけだからこういうときくらい働かなくっちゃね」「女の子がたくさんいると(家事を進んでやるから)やっぱりいいわね」などと言いウロウロしている。状況の何もかもに全然同意できなかった。でも思えばわたしはこういう環境で25年間過ごしていたのだ。家を出て本当に良かったと思う。家族や親族のことは概して好きだけど、受け入れられないこともあるし、それでもいいとわかったことも良かった。

年末年始の振り返りや抱負に関する長ったらしい文章が嫌いだ。なんというか、それをやる人が嫌いとかそういうことではなく、年末年始というきっかけで長文が連なる事象そのものが嫌いなので、Facebookで流れてくるたびに高速でスクロールして見なかったことにする。なんで嫌いなのかはよくわからない。

東京の真ん中に久しぶりに帰ってきて、この街は建物と建物のあいだに隙間がまったくないなと思った。電車はすぐにくる。街がこんな容れ物だったら、そりゃここに生活を置く人たちも自然と合理性や効率性だけが大切になるよねと思った。いま住んでいる土地は非常に交通が不便かつ資本主義に取り残された残骸が積まれたような歪みを抱えているためまったく好きではないが、街という容れ物について考えるきっかけを与えてくれたという一点においてはここに来てよかったなと思う。あと牧場が近く、おいしいソフトクリーム屋があるところも良い。それ以外は一ミリも好きになれない。家は好きだけど土地は好きになれないので、仕事から毎晩帰るたびにどういう感情でこの道を歩けば良いのかわからないなと思う。次は海の見える街か、合理性がそこまで染み込んでいない東京に住みたい。