きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

透明な世界

自分が存在しない世界のことを想像するのは不思議な気分だ。想像するはずの自分はいないのに、透明になって、あらゆる日常を見下ろしている。つまり、わたしがわたしの存在しない世界を想像するとき、それは常に、「わたしがいない/いなくなった世界」ではなく、「いるわたしが見えなくなった世界」でしかない。「いるわたしが見えなくなった世界」を想像できるのは、いながらにして「見えなくされた」経験や、あるいはほかの誰かを「見えなくした」経験があるからだ。ほんとうの意味で「わたしがいない/いなくなった世界」は、想像すら不可能だ。

その昔、もし自分が死んだら、あらゆる人に自分のことを忘れられたいと思っていた時期があった。どうしてそう思っていたのかはよくわからない。誰ひとりとして自分を知らない、覚えていない、そんな世界を透明になって見下ろしている想像は、なんだかとても軽やかでみずみずしく、気持ちよかった。それを眺める心のうちにさみしさはなく、またメランコリーもなかった。

たとえばわたしは、カワカミケイコさんという人を知らない。生まれてからいままで、見たことも聞いたことも、会ったこともない。もちろんそれは当たり前で、なぜならカワカミケイコさんはいまわたしが1秒で作り上げた架空の人物だからだ。けれども、本当はカワカミケイコさんという人は存在していて、わたしがカワカミケイコさんを知らないだけだとしたら(そして死ぬまで知らないとしたら)、カワカミケイコさんはわたしの世界に存在する、とほんとうに言えるのだろうか。

想像はできないけれど、誰も自分を知らず、自分のいない世界とは、存在していないと同時に、存在「しなかった」世界と言えるのだろうか。けれどそれを想像しているわたしはここにいるわけで、では、ここにいる自分は誰なのだろう。考えているとみるみるここにいる自分が透けていく感じがする。その感覚がまた、軽やかで、少しくすぐったい。そんなことを考えながら、今日もベランダから街と空を眺めている。

思い出したくない痛みのこと

自分が当たり前にいた環境を疑うことはむずかしい。それが子どもならなおのことそうだ。

ときどき、10年も20年も前のことが突然フラッシュバックしては感情の波にさいなまれるということをここ数年以上繰り返している。自分が育った家族や家庭環境について。フラッシュバックする原因はわからない。今は実家と程よく距離を置いているし、日常的に直接何か嫌なことを言われたりされたりするわけでもない。けれどいまでも時たま、その当時自分が受けていた扱いに通じる言動をふとした拍子に感じることがあり、その瞬間に心が固く冷えていくのがわかる。

わたしがどのような環境に晒されていたか、詳しくは書かない。偏った物言いになってしまうだろうし、そもそも思い出したくない。けれど、「偏った物言いになる」という前置きをしたうえでいうならば、およそ20年のあいだ、激しい感情や攻撃をことあるごとにぶつけられてきたことや、自分がそれをすべて受け止めざるを得なかったこと、にもかからわらず他方からは無関心を貫かれ、救いの手が一切なかった。それはいまでも事実と言っていいのではないか、と思う。

育ててもらった恩は感じている。死なせず殺さずにいてくれてありがとう、と思っている。けれどわたしは親の言う「愛情をかけて育ててきた」の「愛情」の部分を、どうしても思い出すことができない。いまになって思い出そうとして浮かぶのはいつも、自分が冷たく凍えた気持ちになった場面ばかりだ。ほんとうはたくさんあったと思うのだが、強すぎる負の経験の印象に暗く覆われてしまっているのだと思う。

自分が傷ついた経験しか思い出せないことは、実に都合のいいことだ。そうすればわたしはいつまでも「傷つけられた人」でいられる。愛情をかけられたことが見えていないのだと思う。「家族だから」という理由で許され認められてきたこともたくさんあるのだと思う。けれどいまになっても、どうしても思い出せない。気づいていないだけだ、見えていないだけだ、と自分の目の曇りを戒め続けているけれど、それでもどうしてもわたしは、「この家に生まれて本当に良かった」と思えないまま、愛憎とすらも名付けがたい感情に、時折ひどく動揺させられる。

疑うことができなかった。家とは、家族とは「そういうもの」だと思っていた。だから当時は、つらいとも感じなかった。けれどそこから出て、社会や他人とかかわるようになったとき、そこがいかにいびつで自分がどれだけつらかったのかがようやく感じるようになった。しかしそう思っている、感じているいまの自分を「恩知らず」「自分勝手」と責める自分も同時にここにいる。どうすれば、いつになればこの矛盾した感情の波が引いていくのか、わからないままでいる。この文章のように、めちゃくちゃで、支離滅裂な気持ちになってしまうのだ。

2022春 祖母の記録

先日、久しぶりに祖母の家に遊びに行った。あいかわらず認知症はゆるやかに進行していて、耳も遠いから会話らしい会話はほとんどしない。祖母はわたしが冷蔵庫を開けたり、ねこの腹をぐりぐりやったりしているのをニコニコしながら見ている。わたしが家に行っても起きている時間はほんのちょっとで、一日の大半を西側の薄暗い部屋で眠って過ごす。ねこは祖母の横で寝たり、畑に出て行って土埃まみれになったりしている。真っ黒になったねこの全身を雑巾で拭く祖母は、おかあさんの顔をしている。笑っているわけでも怒っているわけでもかなしんでいるわけでもない、ただ一個の小さな命を眺めている顔で、黙ってねこをこてんぱんに拭く。

 

祖母の暮らしを見ていると、よくこれで一人でやっていけてるな、と思う。けっこうぎりぎりの綱渡りだ。電子レンジの「10分」のボタンには大きなバッテンの紙が貼られ(数年前、10秒と勘違いしてこれを押して、皿を一枚ダメにした)、冷蔵庫の中は漬物や火を使わなくて食べられるお惣菜の作り置きでいっぱいになっている。家中にカレンダーの裏紙を切って作った大きなメモ、メモ、メモ。「デイサービスは火曜・木曜・金曜」「カナ先生電話 XX-XXXX」「寝る前、ガス、電気、窓の鍵 必ず確認!!」注意書き等々のなかに混ざっている手紙、手紙、手紙。「おばあちゃん、楽しかったよ(^^)また来るね!」「体に気をつけて。いつも笑顔のお母さんが好きです」「誕生日おめでとう!84歳も元気でいてね」

あらゆる壁に貼られた溢れんばかりのメモや手紙を、祖母がどれくらい理解して活用しているかはわからない。けれどもこれらの紙ひとつひとつはすべて祖母の暮らしの軌跡であって、わたしはその喧しく無秩序な眺めが好きだなと思う。

 

午後4時。昼寝から目覚めた祖母がゆっくりゆっくり廊下を歩く。歩きながら、何かごにょごにょ言っている。母が大きな声で「なあに?」と尋ねると、祖母は、「うさぎに餌をやらなくちゃあ……」と何度か繰り返した。「物置小屋にサ、うさぎを飼ってるんだけど、それに餌をやる時間だから……」と小さくつぶやきながら、祖母はゆっくりゆっくりトイレに入っていった。母は、ちょっと呆れた笑い顔で「夢を見ていたんじゃないかな」と言って、洗濯物を干しに庭に出て行った。

10分かけてトイレから出てきた祖母に、「うさぎ、物置で飼ってるの?」と問うた。ふっと振り返った祖母の目には西日が射し込んで、黒目がほとんど透き通った橙色に輝いている。祖母は、初めて孫を見たかのような顔で、にっこり笑って「夢、だったかもしんない……」と言った。

2022april_最近の走り書き

うっかりここに何も書かないまま4月を終えそうになっているので、走り書きを残しておく。

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人生山あり谷ありというが、山だの谷だのの起伏にいちいち感情を持ち出すことがめんどうになりつつある。物事は常に起こり続け、時間は静止せず、その揺らぎがイコール生きているということだけが事実で、山に喜んで谷に憂鬱になるというのは、ちょっと考えてみると非常にあほくさい。ぜんぶ起きるだけなのに。宇宙船の窓の内側から、すべての起こっていくことをじっと静かに眺めていたい。

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という考え方と関連しているのかもしれないが、最近は「自分である」というより「自分をやらざるを得ずやっている」という感覚が一層強くある。望んでこの体や顔かたちや性格や価値観や癖を持って生まれたわけではないし、どういうわけか「たまたま」手に入れているこれをやることによって得られる損だの得だのは、ほんとうに些細でどうでもいいことのような気がしている。しかし、かといってそう思うことは、日常や生きていることをないがしろにするポジションに立つということでは決してなく、なんというか、「あきらめ」に近い。

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犬と高校生の夢ばかり見る。4月は眠りが浅かった。

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寝ていると俳句がどんどんできる。夢のなかでできた句が起き抜けのほんのすこしの時間頭にぼんやり残っていて、見ていた景色をなんとか紙に書き留めている。写真が発明される前、人はこうやって景色を記憶しようとしていたのかもしれない。

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最近お世話になった農家さんが、「農業のあるべき姿っていうのは、畑に生ってる作物が全部同じ大きさと背丈、全部同じ質でちゃんと作れてるってことだと思うんだよ」と言っていて、なるほどなあと思った。
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「たとえばおまえが三ツ星レストランに行って、レアのステーキを注文したとして、そのあとずかずか厨房に入って行って、調理中のシェフに『本当にその手順でいいんですか?』『今その下ごしらえをすることって大事なんですか?』『本当にその火加減でいいんですか?食中毒になったりしませんか?』っていちいち聞くんか?お???」と言いたくなるような「ご意見」を未だにたまにいただく。ありがたくもなんともない。

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この春はネモフィラを見損ねたし貝も獲れなかった。

 

 

 

桜の話

春といえば満開の桜だが、桜が咲いている時間はほかの花と比べるとかなり短いように思う。あ、始まった、と思った数日後には満開になり、それから2日もすればもう花弁が欠ける。儚い花、一瞬の花だけれども、それでも桜は千年以上も前から、春の象徴であり続けている。それは、寒さと暗さに閉ざされた日々から、あたたかくおだやかな日々へと季節が移ろうことへの歓びと、この花の生命力とやさしさに満ち満ちた姿が重なるためではないかと思う。今年も春をともに祝ってくれたあなたたち、ありがとう。

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反進歩主義の話

はたして欲張る必要があるのだろうか。毎日同じことをしていても、全然悪くないと思う。毎日できる限りの、したい限りのことをしたいようにして。けれどもしていることに手は抜かず、自分に後ろめたさを覚えないように。それだけを繰り返していれば、自然とそれが積み重なって、気が付けば遠くに、あるいは高くにいられるのではなかろうか。でも、その点は目指したものでもなければ、桃源郷でもない。ただの一地点である。わたしたち人間は、とかくあらゆる意味付けをしたがってしまう。

上昇しようという意欲を、ずいぶん前に忘れてしまった気がする。理想や目標を掲げて達成することや、そこに辿りつくために努力を重ねるという世界観を善としてしまうと、そうあれない自分を許せなくなってしまうから。苦しかったなあ、がんばっていない自分と生きていかなければならなかったこと。

昨日の自分よりもできることがひとつ増えていたら、うれしい。いままでずっとやっていることが、いままでよりももうすこし丁寧にできるようになったら、それもうれしい。それくらいのテンションで生き始めるようになってから、がんばるという行為の価値がよくわからなくなった。

意図せずして身を投じた世界や手にすることとなったものが、想像したこともないほどの豊かさをもたらしてくれたこともあれば、求めてやまなかったものを手に入れたのに、何も埋まらず、さらなる渇きを呼び込んだだけということもあった。だから、何かを目指したり欲したりすることが、ある時期からけっこうどうでもよくなってしまった。いまここに流れ続けているこの時間を生きているだけで精一杯で、でもそれだけで十分な気がしているのだ。

違和感と共感の話

当たり前だが、違和感と共感は違う。なんか変だな、ちょっとおかしい気がする、という感覚と、わかる、正しいように思う、という感覚。

しかしこれら、ベクトルが違うだけで、実は同じ気付きをもたらすのではなかろうか。すなわち、「自分がどのような常識や良心を持ち合わせているのか」ということに気が付く機会である。人は、自分の常識や良心にそぐわないものに遭遇したときに違和感を覚え、嵌るものに遭遇したときに共感する。この二つの感覚は、己の物差を知るための手がかりである。

違和感は放置しているとだいたいうれしくないことにつながり、共感は納得や感動を呼び込む。大事なのは、どちらをよりたくさん感じる人生がよいということではなく、どちらかを感じたときに、何を自分が是とし非としているのかに気づくことなのだと思う。感の瞬間を目撃せよ。認識された認識は自らの手で変えてゆくことができる。柔軟であるというのは、たぶん、そういうこと。