きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

眠れる森の美女(78)

 

おばあちゃんは、自分が眠ることを許せない人だった。だから、娘であるわたしの母が眠ることも許せない人だった。

 

おばあちゃんは今年79歳になる。おじいちゃんが77歳で亡くなったのは4年前。生まれ変わってもまた一緒になりたい、とまで言った祖父が死んだ歳を超えたとき、彼女は何を思ったのだろうか。

 

おばあちゃんは今も綺麗好きな、大変まめな人である。若い頃はバリバリの働き者だったという。朝は早くから起きて家人の食事を作り、会社へ行き、遅くまで働いた。40代半ばで自動車の免許を取り、スクーターで会社に通った。

毎朝、当時の母の自室だった離れ家の扉をどんどんと叩き「いつまで寝てるの!早く起きなさい!」と母を起こした。休日の午後に母が寝ていると、「また寝て!だらしがない!きちんとしなさい!」と怒ったという。

 

そんなおばあちゃん自身は、今もこたつで小一時間ウトウトしていただけで「やだ、わたしったらずいぶん眠っちゃったんね」と照れ笑いする。8時半に起きてくれば「今日は遅くまで寝ちゃった」と家中の窓を開けてせっせと身支度を始める。

 

そんなおばあちゃんにある変化があった。今年のお正月、母が群馬の実家から東京へ帰ってきたあとのことだった。

普段は猫以外住まわないような田舎に住んでいるので、お正月やお彼岸などでワッと人が集まったあとは、おばあちゃんはいつも疲れて体調を崩しがちになる。そんなときは大抵2日くらい家にこもり、寝込むこともなくまたもとの生活を取り戻していく。

しかし、今年のお正月は違った。三が日が過ぎたあと、おばあちゃんは家中の電気を落とし、窓と鍵をしめて、電話を留守番電話に切り替えて、パジャマに着替えて、三日三晩布団で眠った。ときおり起き出して軽い食事を摂る以外はとにかく昏々と眠り続けた。

 

母は「こんなこと初めて」と驚いていたが、続けて「でもよかった」と言った。

 

 

「どうしてよかったと思うの?」

 

「人はね、何かしらこなさなくてはならない課題をクリアするために生まれてくると思うから。たとえばあなたが人とのコミュニケーションのとり方に悩んで、それを乗り越えたように。若い頃はたくさんの壁にぶつかってそれをひょいひょいクリアしていくんだけど、歳をとってクリアする課題は、その人にとってものすごく高い壁だと思うの。おばあちゃんはずっと自分が眠ることが許せなかったけれど、やっとぐっすり眠れるようになったんだなーと思って。だから、よかった。」

 

 

 

おばあちゃんに認知症の初期症状らしきものが出始めたと連絡を受けたのは、昨晩のことだった。

 

もうおじいちゃんを追い越してしまったから、たぶんこれから少しずつできないことが増えていく。分からなくなることも、きっと増えていく。いつか母やわたしの顔も忘れてしまうかもしれない。かわいがっている猫を探しに、夜中に家を飛び出してしまうかもしれない。何もかも忘れることが怖くなって、不安に押しつぶされそうな夜が来るかもしれない。

それでもわたしは、おばあちゃんがひとつずつおばあちゃん自身を許せるようになっていくことが、とてもうれしい。何かを忘れていってしまったとしても、元気なうちにすべてを許せる日がきてほしい。大きな不安や恐ろしさに出くわすことがあっても、ここにいるよと声をかけたい。わたしに今日を授けてくれてありがとうと毎日言いたい。できないことが増えてもいいから、ひとつでも多く、生きていてよかったと思える瞬間に触れてほしい。

 

先週訪ねたときに見た、こたつで微睡んでいたおばあちゃんの顔を思い出した。

わたしに1/4血を分けたその人の寝顔は、すりガラス越しの西日に照らされて、うつくしかった。

 

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先日、23歳を迎えた。

23歳を迎えに行った、という言い方が一番よく22歳を表している、そんな一年間だった。365日はあっという間なんかじゃなかったし、駆け抜けたような軽やかさはなく、引きずりまわして歩いたような22歳だった。苦しいことと楽しいことは半々くらいで、悲しいことと嬉しいことだと、嬉しいことのほうが少し多かった。目に見えて得られたものから、自分にしか分からないような変化もあった。ハードルはいつも飛び越えられるわけではなく、蹴飛ばして倒したり、くぐって抜けたり、腹が立って壊してしまったりもした。窒素ガスの入った風船を手放したように大切だと思っていた人と縁が切れたり、苦手な人と手を組んで大きなものを創り上げたりもした。課題と呼ぶべきものを見つけられすらしないまま365日を過ごしてしまったような気さえする。

 

だからせめて23歳は、焦って大人になろうとせず、過去のどこかにすがりつくこともなく、目の前のことだけに一所懸命になろうと思う。損得勘定やダサい未来予測などをせずに、今やれることだけをやっていく一年間にしたい。そうやって毎日を過ごすことがわたしに今日を授けてくれた誰かの励みになるのならば、そうやって積み重ねて創り上げたものが誰かの何かに役立てるなら、それ以上のことはない。

ひとりで黙って先を急ぐ旅よりも、そのときどきで色々な誰かと手を繋いだり殴り合ったりしながら歩いていくほうが、きっと遠くまで歩いていける。目的地は見えない。見えないけれど、どこに向かうかより、どうやって向かうかを大切にする一年を過ごそうと思う。