きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

音もなく忍び寄るもの

 深夜は猛毒だ。栄養にならない字ばかり読んでしまう。10日前に立ち寄った店の食べログ、新聞に挟まっていた受験塾の広告、架空請求メールの文面。人生にとってどうでもよすぎる文字をひたすら目で追い続けながら、頭のなかではぼんやりと「アーー」という自分の声が響き続けている。

 深夜は猛毒だ。身体と気持ちと感覚のすべてが、いろいろな痛みと近くなる。背骨に張り付いている筋肉が縮んで疼痛を起こし、息がうまく吸えない。どうして同じようなことでまたうまくいかないのか、頭が悪いのか、生きていていいのか、と自分をいじめる声の再生ボタンを何度も何度も押す。目の前の空気が薄暗い陰の色に変わり、身体に触れるすべての刺激や触覚がピリピリと痛く、ときとしてはテレビ越しの話し声すら金属のように奥の方の神経に触れ、耳を閉ざして座り込みたくなる。誰かにやさしくそばで大丈夫だよと言って手を握っていてもらいたい甘えた気持ちと、誰にも指一本触れられたくない体を振り回すような乱暴な衝動が同時にあって、わけが分からなくなる。何かに支えられたいのに、何かに支えられるほど自分の身体は形をなしていない、泥のような、沼の底のような気だるさ。

 深夜は猛毒だ。刺激物に触れたくなくて、音楽もテレビも流さない時間を過ごしても、次第にそのしずけさがひたひたと骨や筋肉の隙間から圧迫してきて、耐えきれずにイヤホンで耳をふさぐ。一人にしてほしいのに、独りという実感が心臓にキュッと突き刺さる瞬間、居ても立っても居られなくなり、無意味に部屋の中をうろついたり、しきりに寝返りを打ったりしている。

 

 深夜は、猛毒だ。誰も彼も救いがない。痛みに呻く自分の声を、ただただ自分だけが聴いている。逃げるように眠り、魂を身体から遠ざける。静かに、沈んでいく。明日の朝を信じたくない気持ちを、夜だけが肯定してくれる。