きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

23歳のわたしが選ぶ10の本

 

 

本を読むのが好きだ。どうして好きなの?と訊かれたら、「いろいろな楽しみ方ができるから」とこたえる。

 

物語をコンテンツとして消費したくなる日がある。答えのない議論を延々と頭のなかでやり続けたい日もある。好きな友人の好きな作家の本を読んで、感想を述べ合うことを口実にその人に会いに行きたい日もあれば、ただぼーっとさまざまな象形文字を眺め続け、何千年も前に生きた人たちの想像力に重なりたい日もある。

 

本はわたしの「したい」にだいたい答えてくれる。笑われるかもしれないが、身体を動かしたいときも本を読むことがある。たとえばうつくしい踊り子が主人公の文学短編を読んで、読み終わったら音楽に身を任せて部屋の中でデタラメに踊ったりする。自分がその踊り子になった気持ちで、ときにはその彼女がしたようにその恋人を想いながら(このときわたしが想うのは現実界の人間のことではなく、あくまでもその物語に登場する人間たちのことだ)、ただデタラメに季節や天気に合わせて踊ったりする。それだけですごく楽しい。

 

本はわたしをひとりにもしてくれるし、人と繋げてもくれる。だれかに教わった本をすごく気に入ったり、書店でふと目が合った本がきっかけで、さっきまで名前も知らなかった書き手とたましいのおく深いところで繋がったりできる瞬間が大好きだ。 

 

わたしをきっかけに誰かがわたしの好きな書き手とつながってほしいな、となんとなく思ったので、この記事を書くことにした。タイトルはそれっぽく「10」にしてあるが、べつに5冊でも20冊でもよかった。23歳のいまの自分がこれまで読んできた中で、「これは」と感じた10冊を紹介する。

ここで紹介する10冊以外にも自分が影響を受けた本は多くあるが、いまこの瞬間フィーリングで選んだものが、いまこれを書いている自分にとっての正解だと思う。なので、特に思い入れが深いとか、読めば絶対に何かを得られるとかそういうのとは少し違う。ただただ佳いと感じた作品だけを特に理由もなく紹介していく贅沢な試みである。

 

 

 

1】 白 - 原研哉

 

「 白があるのではない。白いと感じる感受性があるのだ。だから白を探してはいけない。白いと感じる感じ方を探すのだ 」

 

帯に書かれたこの一文だけで、ただならぬものの訪れを感じた。「白について語ることは色彩について語ることではない」という頬が痺れるような一文から始まる、白を巡る著者の考察の本。考察という体裁ではあるものの、文体が文学と独白のあいだのようで、「白」を崇拝する敬虔な信者の日記みたいだと思った。

 

読み終えると、自分の目に一枚上等なフィルターがかかったような気分になる。この本を読んで感銘を受けた、というレベルではなく、この本を読むと自然と目が変わらざるをえないのだ。真に力を持つ人というのは、存在するだけで飛び抜けている。この書き手は彼を見つめるひとたちをその空気に自然と巻き込んで、関わるすべての人を高みに導いてしまうような人なのかもしれない。それくらい、この本は飛び抜けている。

 

この方はデザイナーで、いまは美大で教鞭を執られている先生らしい。美大にはおもしろい先生がいるんだなあ。

 

 

 

2】 入門 実践する統計学 - 藪友良

 

 人生で一番回数読んだ本はたぶんこれ。学部4年生の頃にお世話になっていた計量経済学の先生の著書。

この本のすごいところは、誰にでも理解できる言葉で抽象的な概念を見事に説明しているとか、一冊読めば統計学のトの字も分からない人でも基礎がほとんどおさえられるとか、いろいろある。けれど何よりすごいのは「統計学が大嫌いだったわたしを統計学好きにしてくれた」に尽きると思う。本を読んで嫌いなものが好きになった経験は、あとにも先にも統計学しかない。

 

学部生の頃伺った藪先生のお話曰く、先生も大学生の頃は統計学計量経済学に対して苦手意識があったらしい。自分が苦しい思いをしたからこそ、初学者でもなるべく分かりやすいように、統計学から脱落しないように書いた、とおっしゃっていた。実際、内容は本当に御見事としか言いようのないくらい、なめらかで、明快で、親切だ。

 

自分の苦手なものを克服するというだけでも大仕事なのに、それを他人に分かりやすく説明して教えられる、というところまで辿り着いた先生は、本当にすごい。これこそが「学んで自分のものにする」ということなんだろうなあと、月曜1限にねむたい目をこすりながら必死にノートをとってこの本のページを繰っていたいたあの頃が懐かしい。

今でも、統計絡みで少しでも分からないことがあったらまずはこの本に手を伸ばす。ちょう頑丈な家、みたいな本。

 

 

 

3】 字通 - 白川静

 

4年前に亡くなった祖父の遺品として、葬儀の後に祖母から貰い受けた。わたしが漢字の成り立ちや象形文字が大好きになったきっかけを作ってくれた辞書。

 

気になる字を30くらい調べるだけでも余裕で午前中が終わる。雨の日曜日に読む辞書として最適。めくれどもめくれども漢字、漢字、漢字。ぼーっと眺めていると、ふとした瞬間にこれを書いている白川静先生の背中が見えることがある。白川先生も、こうしてときどきぼーっと自分のこれまでの人生をかけてかき集めてきた漢字を眺めていたんじゃないだろうか、と恐れ多くも思ったりする。お会いしたこともないし、わたしが白川先生のことを好きになった頃には、先生はもう亡くなられてしまっていたのだけど。

 

もし時代が許したら、白川先生に弟子入りしてみたかった。そして漢字のことをたくさん、祖父と話してみたかった。

 

 

 

4】 最果てアーケード - 小川洋子

 

小川洋子という作家の名前を知ったのは、小学生の頃に誕生日プレゼントでもらった「博士の愛した数式」がきっかけだった。その頃から何度も同じ本を読む癖があったけれど、当時は何度読んでも小川洋子を特に好きとも嫌いとも感じなかった。

しかし大学生になって「最果てアーケード」を読んだとき、なんというか、「今まで見えていたと思い込んでいたけれど実はすっかり見落としていたものを発見した」ような気持ちになった。小川洋子は、世界の解像度を上げるのがうまい。

 

彼女の文体は水のようだ。「最果てアーケード」は、小さな町のアーケードに暮らす一人の女の子を中心に、それぞれの商店の主や客たちの生活を描いた物語である。水のような文体で生活の物語を書くのだから、相性は抜群に決まっている。この小説を読み終えると、見落としていた当たり前の生活が、ひとつひとつおだやかなきらめきを帯びてくる。しかしそれは世界が変化したのではなく、知らぬ間にわたしの見る目が変わったのだ。「気づいたら身体に馴染んでしまう文章」というものを、わたしは小川洋子からたくさん教わった。

 

 

 

5  Into The Magic Shop - James R. Doty

 日本語訳版:スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジック

 

日本語版を読んですごくよかったので原著も取り寄せたらそちらも良かった。ただ日本語版はタイトルが胡散臭いので手にとるのになかなか勇気が必要だった。 

 

自己啓発本ではなく、マインドフルネス瞑想のやり方の本。そしてマインドフルネス瞑想とは筋トレの一種のようなものなので、第六感が云々などというようなことは一切ない。本書では「マインドフルネス」とか「瞑想」という単語についてまわる宗教的なイメージはほとんど語られず、かなり読みやすい。多くの自己啓発本や怪しいスピリチュアル本にありがちな「宇宙と繋がる」とか「真我に目覚める」みたいな「いかにも」な話も出てこないし、「脳は意思と習慣づけによって変わる」ということが経験と科学的な根拠とともに明快に述べられている。

ハウツー本というよりも、ひとりの中学二年生の男の子がいかにして成功と転落を繰り返す生活のなかで「瞑想」と関わって大人になっていくか、という物語に近い。主人公が日常で感じている気持ちの描写が繊細で、読んでいても「ああ、この感じ、わかるなあ」と頷きたくなる。物語と実用書の両方としてここまで役立つ本はほとんどないと思う。激推しです。

 

 

 

6】 一億人の英文法 - 大西泰斗、ポール・マクベイ

 

大学に入ってから多くの英語に関する書を読み漁り買い漁ってきたけど、「学習」と「研究」の2つの観点から見るとこれが暫定一位だと思う。

 

「すべての日本人に贈る「話すため」の英文法」という冠文句の通り、英文法の本。「話すための」というフレーズが入った英語系の教材本は多いけれど、そのほとんどは「このフレーズを暗記して応用すればネイティブとの会話もスムーズにできます」というやつだ。確かにそういう学び方に汎用性はあるし、学習や簡単な英会話の基礎づくりにはいいかもしれないけれど、もっと読んでいて面白い教材はないかなあと探していたときに巡り合ったのがこの一冊だった。

この本の特徴は、「話す」という行為そのものに注目しているところ。「話す」は人間だけの非常に原初的な行為だ。ゆえに、その行為の根本にある「心の動き」に着目し、「こういう心の動きがあるから、ここにはこういう単語が入る、こういう語順で気持ちが表される」という解説が目白押しになっている。これが面白いのなんのって!

日々わたしたちがしている母語による発話は、想像以上に無意識下で行われている処理が多いように感じる。頭のなかで「話す内容」は考えるけれど、どんな語順で、とか、主語がどうの、とか、そういうことはあまり考えない。だからどんなに真面目で深刻な話をしていても、語順がメチャクチャなことなんてしょっちゅうあるし、ときにはほとんど言葉を使いすらしなくても、多くを伝えあうこともできる。

 

この本を読むと、高等教育までで習ってきた英語の文法における「どうして?」があらかた解決されるだけでなく、「もっと気持ちを優先させて英語を使っていいんだな」と安心できる。文法が多少下手でも、「伝わる」ために落としてはいけない単語と語順は何か、というカンが掴めてくる。そういう意味で、英語を「研究」したい人にとってもたくさんの知見を得られる素晴らしい一冊だと思う。

 

 

 

7】 夜中の薔薇 - 向田邦子

 

恥ずかしながら、放送作家という職業を聞いたことがなかった。向田邦子という人も、その名前しか知らなかった。今年のゴールデンウィークに東京から10時間も離れた島まで登山をしに行ったのだけど、そのときのお供としてたまたま本棚から抜き取った一冊がこの本。確かずいぶん前にプレゼントとして頂いた本だった。

 

この書き手に出会えてよかった、と心から思える一冊だった。放送作家という職業柄か、女性でここまでもパキッとしたリズミカルな文章を書ける人を見たのは初めて。そしてその小気味よさが読んでいるうちに自分の全身に同期してきて、ページを繰る手が止まらなくなる。かっぱえびせんみたいな本。自分のなかにある本を読むための臓器にあたらしい血が流れ込んだような新鮮さがあった。

 

向田邦子のエッセイは、率直だ。嘘がないことがひと目で分かる。夏の高い空のようにくっきりしていて、気持ちいい。 人によく見られようとか、見栄を張ろうという威勢の良さを隠さない。隠さないけれど、「自分はそういう人間です」ということがちゃんと客観視されているので、嫌味がなく、すがすがしくて、コミカル。書き手と女性の両方として「こんな人になりたい」と思える人には滅多に出会えないので、大変貴重な出会いだった。

 

 

 

8】 「考える」ための小論文 - 西研、森下育彦

 

小論文は大学生の頃のライフワークのひとつだった。今の仕事は少し方向性を変えたけれど、やっていることは概ね変わらない気がする。そもそも小論文を書けるようになりたいと思ったのは、この本がきっかけだった。

題名だけを見ると小論文の書き方のハウツー本のようだけれど、この本が提示してくれるのは「深く考えることの面白さ」と「小論文における”正しさ"とは何か」という問いかけだ。

前者に関しては、「考えるとは何か?」ということをずっと考え続けているわたしにとって、ひとつの解へと繋がる手がかりになった。こういうメタ的な思考の取り扱いが下手だからこそ「なるほど!」と膝を打ちたくなる主張がそこかしこに散りばめられていて刺激的だった。

後者に関しては、そもそも「正しさ」という観点を国語(厳密には小論文と国語は違うものだけど)という教科に持ち込めると分かったことが単純にうれしかった。小学生くらいの頃からみんな「国語には正解がない」というフレーズを100万回くらい聞かせられていると思う。わたしもそうでした。なのに国語のテストで「傍線部の筆者の気持ちを50字以内で説明しなさい」とか「次の選択肢ア〜エから、主人公の心情に最も近いものを選びなさい」などと言われて点数がつけられることにたいそう納得がいかなかった。「正解がない」と言いながらも、「意図しているところを忖度せよ」に支えられているじゃないか!と猛烈に不満を抱えていた。だからこそ、国語に「正しさ」という尺度を持ち込んでよい、と教えてくれた本書は、ひとつの救いであった。

 

 

 

9】 魂のいちばんおいしいところ - 谷川俊太郎

 

特に言いたいことはない。この詩集に客観的な感想や語彙を当てがったら、秘密の場所が消えてしまうような気がするので、何も言えない。読んで、とだけ。

 

 

 

10】 ポーの一族 - 萩尾望都

 

 わたしが萩尾望都ファンであることはほとんど知られていない情報だけど、もう何年も萩尾望都の大ファンです。

ポーの一族」は、歳を取ることも食べることもなく、永遠のときを渡ってゆくバンパネラたちの物語。愛とはどこにあるのか、生命の美しさとは何に宿るのか、生命を持たないバンパネラはどこへ向かうのか、死んでしまう人間たちは一体どこへ行ってしまうのか、永遠のときを過ごすバンパネラはなぜこの世に存在するのか。愛と生命をめぐるさまざまな命題があまりにも美しく描かれている。この物語の前において「美」を語ることは、わたしにはできない。読んでみればそれがどういう意味か、たぶん分かる。

 

萩尾望都は素晴らしい漫画家だけど、同時に天性の詩人でもある、と思う。

たとえば以下は、人間からバンパネラへの目覚めがなかなか訪れず、昏々と眠り続ける友人のアランを前に主人公エドガーが独白する場面だ。

 

「目ざめよ神話 

ぼくたちは時の夢

昔がたりと

未知への畏怖が

ぼくらの苗床

ぼくらの歌

 

さようなら

さようならを

いっておしまい

アラン

人間界の

すべてのものに

 

わかっているね

ぼくたちが

なに者かこれから

どこへゆくのか

 

早く

目をおさまし

早く

 

永久を駆ける

馬車が出る」

 

彼女が手にとる言葉のひとつひとつは、重ねられて、透き通って、天から響くように聴こえる。平坦な語彙の一片一片がドミノのように少しずつ並べられ、いつのまにかそこに銀河があらわれる。萩尾望都とは、そういう詩人である。