きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

2018年の抱負【他人にありったけの心配をかける】

 

「元日から3日にかけて起こった出来事や見た夢、出会ったひと、感じたことなどは注意深く記録しておくべし。この3日間に出会う物事はその年一年間を象徴する」

って、聞いたことありますか?ちょっと前にこれを知って、へえ〜と思い何気なく自分の日記を読み返したら、「ああ」って、その場で膝から崩れ落ちてしまったんですよ。

 

先々月、愛していた犬が亡くなったのですが、わたしは初夢で犬が死ぬ夢を見ていました。しかも夢の内容がかなり詳しく日記に書いてあって、びっくりしたのと脱力とでしばらく動けなくなった。
犬が死ぬ夢といっても、うちの犬が死ぬ夢ではなく、アニメの絵のような夢。目付きの悪い、いかにも悪そうな不良っぽい犬が、大きな神社の長い階段を登っていくところから夢は記述されていた。その神社には(黒い犬の家族ではない)犬の大家族が住んでいて、そのなかに黒い犬は飛び込んでいく。最初は悪さばかりしているんだけど、少しずつその家族の仲間になっていって、最後は家族の犬全員に看取られて輪の中心で死ぬ。犬の大家族はみんな泣いたり笑ったりしながらその犬にお別れの言葉を言うんだけど、死んだ犬はとても幸せそうに目を瞑っている―ここまでがわたしの見た夢です。

 

うちの死んでしまった犬は悪い犬ではなかったけれど、最初は病気と皮膚炎でぼろぼろになっていたのをわたしが拾ってきて、それから13年8ヶ月の命を生きた。最初はぜんぜん家族に馴染めなくて、母親がノイローゼ気味になったり、犬のために一軒家を買ったりなどてんやわんやしていたけれど、最後は家族に看取られて亡くなった。幸せそうな顔をしていたかはわからないけれど、わたしが最後に病室に飛び込むまでギリギリ生きていてくれて、みんなで体に触れたほんの数分後に逝ってしまった。動物病院の先生は、「家族がみんな来てくれたから、もう逝こう、って自分で決めたんだと思います。よく生きましたよ、ほんと。山場を3回も4回も越えて、みんなが来てくれるのがほんとうにうれしかったんだと思います」と、わたしたちに言ってくれた。


夢と同じじゃないか!と、犬のことをしばらく思い出す。元気な姿も、死に際の姿も。やっぱりかわいいなあ、死んでからもかわいいなんて、間違いなく天才に違いない。

 

って犬の話になっちゃったんですけど、本題はここから。

 

この「元日から3日間」の話をふと思い出して、今朝母に話してみました。見た夢と犬の話も。そしたら母が半笑いのような泣きそうな顔になりながら、「ちょっとやめてよ」と言いました。
聞けば、あなたにその話をされていま思い出したんだけど、と言いつつ、こんな話をしたのです。

 

「何か、とにかく避けようのないもの。天災なのかなあ、病気や交通事故ではなくて。地震なのか、津波なのか、よくわからないけれど、とにかく天災。で、その天災が来て、ママは夢の中でリナ(妹)を心配していたの。リナはどこ?リナは無事なの?って。で、あなたのことは最初頭になかったの。あの子のことだから無事だろう、大丈夫だろうと思って。そしたらひょっこりリナが帰ってきて、リナは無事だったんだけど、気づいたらあなたがいなかった。びっくりして大慌てで必死になって探して、そしてあなたが死んでしまっている夢を見たの。とにかく天変地異よ。お正月からなんでこんな夢を……と思って、リナには話したんだけど、あなたには話していなかった。それをね、いま思い出したの」

 

こわ〜い!というより、いやなことを思い出させて申し訳なかったなあという感じでした。
もちろん、先の「元旦から三日間」説は科学的に根拠があるわけでも何でもないし、一種のジンクスや都市伝説のようなものだと思います。更にたまたま近い事例をわたしが体感したから「ほんとうにそうなのかもしれない」と感じさせる条件が揃っているだけで。

 

とは言え、とは言えです。生まれが寺であることもあり、わたしはけっこう目に見えないものを信じます。縁とか因縁とかね。信じていたほうがなんか良い感じなので。だからたぶん、2018年の6分の1が終わったタイミングで「あなたが死ぬ夢を見た(しかも現実化する可能性があるかも?)」と聞いたのは何かしらの縁なのかな、とうっすら思います。単純な「身の安全に気をつけなさい」以上に、もうすこし奥深いメッセージを孕んでいるような。

 

昨年言われて衝撃的だったことのひとつに「心配をかけられるとうれしいのでもっと心配をさせてほしい」という言葉がありました。わたしはひとに心配をかけるのが何より嫌いで、他人に気苦労をかけさせることを心底申し訳なく感じます。「わたしがいなくなっても、誰にも気づかれず思い出されず、しずかに忘れ去られたい」と小さい頃から考えてきたような子どもでした。心配するくらいならわたしのことなんて忘れて!と大声で叫びたかった。誰かに心配されるのは出来が悪い証拠で、心配をかけるのは迷惑なことだと信じて疑わなかったのです。

 

母は見た夢について「あなたは大丈夫、と思って全く心配していなかったんだけど」と語っていた。もしかしたらわたしが母の夢の中で死んだのは「心配をかけないように振る舞った」せいだったからなのかなあ、と思います。どんなにドン底に落ちてもぜったいに這い上がる生命力と気概だけがわたしの武器です。しかし、それはほんとうに武器なのか。ひとりで生き抜くためには武器になるのかもしれないけれど、家族とか、友だちとか、パートナーとか、仕事仲間とか、そういうひとたちと生きていく上では、ほんとうにそれはいつでも武器になるのだろうか。そんなことを考えるようになりました。


わたしは大丈夫。生命力と気概がある、おまけに若くて知恵もある。だからわたしのことは、心配してくれなくて大丈夫。お願い、そっとしておいて。誰かに心配されたり世話を焼かれたりするのが大嫌いなの―そういう思い込みが、もしかしたら今年わたしを殺すのかもしれないなと、ふと思ったのです。

 

だから、ひとつの生存戦略として、今年はたくさんのひとに心配をかけようと思います。

 

たとえば、ちょっとでも困ったことが起きたらすぐに誰かに相談するとか、彼氏に真夜中に電話をかけ「もう無理さみしくて死にそう今から迎えに来て」ととんでもないワガママを言ってみるとか、つらくなったら大声で泣いたあとバカみたいにデカいチョコレートペフェを食べてお腹を壊すとか。(ほんとうのことを言うと、年末年始に体調を思いっきり崩して既にそれなりの心配を周りにかけているのですが)

もういっそのこと遠慮せず、図々しく他人に寄りかかって、頼って、ヘルプを求めて、「弱いヤツ」をやっていこうと思います。いままで他人に見せようと努めてきた「元気でテキパキ仕事をこなしている優秀なわたし」の像は捨て、「生きて外に出てコミュニケーションをとれれば120点」のスタンスに切り替えようなかな、と。布団の中で無事に目を覚ました時点で70点はあげられる。布団から出て着替えてご飯を食べれば100点。ひととコミュニケーションをとれれば120点。仕事ができれば200点。良い仕事ができたら3億点です。

考え事をして睡眠不足が続いたら「ちょっと最近体調が悪くて……」「睡眠が足りていなくて……」と堂々と言い放ち、堂々と仕事をストップします。ここはわたしがやったほうが速いから!と線引きをするのではなく、線なんて引かず、「頼むよ〜〜あなたわたしより仕事できるじゃ〜〜〜ん」なんて言いながら、他人を頼りに頼ってなんとかやっていこうと思います。

 

みんな一年のはじめのたった数日で新年の抱負を決めちゃうけれど、早くない?わたし、2018年の6分の1を生きてやっと今日「それっぽいもの」ができたよ。抱負と言うにはなんだかマヌケな抱負ですが、2018年2月4日をもって24歳にもなったので、2018年と24歳の抱負をまとめてこれにします。


他人にありったけの心配をかける、です。

 


最後に、わたしの一番好きな短歌を皆さんに贈ります。石井僚一さんという若手歌人の作品です。


生きているだけで三万五千ポイント!!!!!!!!!笑うと倍!!!!!!!!!!

/石井僚一「瞬間最大風速!!!!!!!!!!!!!」