きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

我われは結婚指輪を作りたかった

わたしと夫はまだ結婚指輪を持っていない。結婚と同時期にやれ引っ越しだ転職だコロナだと重なり、暮らしにひととおりの安定感を保つのに精いっぱいだったからだ。

我われはアクセサリーがそこそこ好きだ。もっと言えば、愛せるアクセサリーというものを知っている。夫はティファニーで、わたしはマルジェラとティファニーで、指や腕周りをだいたい飾る。それをつけている自分の手指や腕がうつくしくしなやかに映えるアクセサリーを、わたしも夫もこよなく愛している。

さて、結婚指輪。おそらく半年近く探している。あっちのブランドを覗き、こっちの工房を覗き、限定モデルにメロメロになったり、職人が作った一点ものに心を奪われたりしていた。 

けれども、なかなかしっくりくるものが見つからない。我われは手の雰囲気や皮膚の色がけっこう違うので、もともとペアになっている結婚指輪は、どちらか片方が似合うものはもう片方が似合わない。「すてき」ではあっても、「愛せる」にはなかなか至らないのだ。 

ペア売りが一般的とされている結婚指輪を選ぶのは、本当にむずかしい。よくよく探してみると、調和のとれた結婚指輪というのはかなりレアなのだ。調和とは、おそろいとか、同じモチーフを使っているということではなく、ふたつを対にしてならべたとき、互いが互いを支えて引き立てあっている状態である。そういう視点でインターネット上の結婚指輪の海を眺めていると、「これは」と思えるものは100対にひとつ出会えるか出会えないかなのだ。そしてそのひとつが二人ともに似合うことはこれまで一度もなかった。たとえ片方のデザインがどんなに良くとも、対にして調和が存在しなければ、結婚指輪として買う意味はない。我われがこれまで出会ったのは、片方だけをお買い上げしたい素敵な「指輪」ばかりであった。

 

そして我われはとうとう「なければ作ろう」という結論に至った。特に夫は手仕事の職の人なので、もともとその手のものは得意である。わたしは得意かどうかはわからないが、「これ」と納得しきれないものにそれなりの金額を払うくらいなら、多少不格好でも「これ」と思えるものを作りたい、と思った。 

善は急げ。ネットでいくつか指輪工房を見つけて比べ、そのなかでも評判の良い一件に早速予約を入れた。制限下であっても、ブライダル系のお店はもともと完全予約制のところが多いので、特に支障なくスムーズに来訪が決まった。 

とは言え、売られている工房ではなく作る工房に足を運ぶのは初めてであったし、ほんとうに「作る」かについても、もう少し時間をかけて話し合いたい気持ちもあった。そのため、今日はひとまず相談をしに行って、サンプルを見せてもらって、もしとんとん拍子で決まれば作ってもいいね、という話を夫としていた。だから、来店予約は「制作」ではなく「相談」にチェックを入れて申し込んだ。

 

我われはとてもワクワクしていた。二人で完全に調和のとれたコーディネートに全身を包み、いざ行かん、表参道。小雨がぱらついていたが、我われは寒くなかった。とにかく楽しみだったのだ。

さて、工房のドアを開ける。案内されるままに荷物を預け、椅子に座る。そうしたら、目の前に現れた50代くらいのスタッフの方が、名乗って早々に黒いファイルを広げた。

 

「さて、それでは今から、指輪作りの流れについて説明します。全部でおよそ10分ほどの説明となりますので、どうぞよろしくお願いします」

 

??? と頭の中にはてなが3つ浮かんだ。いきなり具体的な話が始まってしまって困惑する。まずは、どうして今日ここに来たのかとか、いまどんなふうに結婚指輪について考えているかとか、そういう相談から始まるものだとばかり思っていたから。けれどもスタッフのおばさんは淡々と説明を進めていく。

 

「当工房では、材質や形など、お客様のご希望に合わせてさまざまな形の指輪を作ることができます。まずはお客様にこのワックスをお好みのかたちに成形していただき、それをこちらでお預かりします。お預かりした型に合わせてセメントのようなものを容器に流し込んで固め、そのあとに高温で熱してワックスを溶かします。そうすると、指輪のかたちに空洞ができますので、その空洞に金属を流し込んで指輪が完成します。これは、ほとんどすべての指輪作りに使われている方法です。当工房では、プラチナ、ゴールド、チタンで指輪をお作りできます。それぞれの材質にそれぞれの良さがあるので、お好み次第です。指輪の形は、まず、甲丸というスタンダードな……」

 

おばさんは、ファイルに綴じられている「指輪の作り方」を一ページ一ページ丁寧に読み上げていく。読み上げられているそれは、すべて文字によって書かれていることであり、久しぶりに大学時代のつまらない講義を思い出した。「これ、パワポのレジュメだけ配布してくれればいいじゃん」というあの退屈さを。

隣を見ると、夫はやや神妙そうな顔で軽くうなずきながらおばさんの説明に耳を傾け、ファイルをひたすら眺めている。わたしは知っている。この人がやや神妙そうな顔をして話している相手の目を見ていないときは、軽い違和感を覚えているときなのだと。

説明はたしかに10分ほどで終わった。「最後までお聞きくださりありがとうございました」という文言も、おばさんはご丁寧にそのまま発話した。わたしはなんだかいたたまれなくなり、目を少しそらした。

すると、別のスタッフのおばさんがどこからともなく現れた。手には黒いスエードの箱を二つ持っている。

 

「これは、当工房でこれまでお客様が作られた指輪のサンプルです。許可をいただいて複製したものですので、よろしければ作られる際の参考にしてください」

 

いよいよたまらなくなって、わたしは言った。

 

「あの、今日は、作りに来たというよりは、初めて結婚指輪を作る工房に来たので、まずは相談がしたくて伺ったのですが……」

 

「ええ、もちろん問題ございません。良ければサンプルをお手に取ってご覧ください」

 

全然問題なく、ない。あまり話を聞いてもらえないんだな、と悟った。

スエードの箱が開かれる。いろいろな色や形の指輪が、ひとつの箱に20個くらい収まっている。ダイヤモンドが使われているもの、ねじれたかたちをしているもの、槌目の加工が施されているもの、心電図のように一部がぴょこっと波打っているもの。どれも個性的だったが、雑貨屋にあるファッションリングのようにずらりと並べられているせいか、どこか威厳に欠けていた。

いくつか気になったものを手に取ってはめてみる。夫は平打ちの指輪が気になるようで、いくつか試している。わたしの指は、甲丸寄りのものが映える。7号、12号。我われの指の太さは、足して20号に満たない。

指輪はこの場でいまから作れるという。夫とわたしが考えているデザインであれば、おそらく2時間足らずでできるだろう、とのこと。作っている様子は写真に収めてくれて、後日指輪と一緒に送られてくるそうだ。

 

「ちょっと、一度夫と相談の時間をもらっていいですか?」

 

いくつかの指輪をはめたり外したりして、何となくの値段感も教えてもらい、そろそろ材質の相場が上がり始めているから、作るなら今、という話をされて、わたしはそう申し出た。夫も隣で「そうだね」と言った。

我われは店の外に出た。雨はあがっていた。

 

「どうだった?」

「うん」

「うん」

「そうね」

「うーん」

 

沈黙のあと、夫が口を開く。

 

「なんだろう、完成品が手元にないせい、なのかな」

「……というのは?」

「作ること自体は何も嫌じゃない。楽しそうだし。値段も、思っていたより抑えめだったし。頭の中で、作るならこんなふうにしたい、っていうイメージもできてる」

「うん」

 

「でも、いま、おれはここで『よし、作ろう』って、なぜか言えない」

 

「うん」

「なんでなんだろう」

「わたしもおなじ気持ちだよ」

「ほんとう?」

「うん。なにが悪いってわけじゃないし、条件的にはオールオッケーだけど、でも、『よし、いまからここで作ろう』っていうふうには、どうしてか思えない」

「おれもおなじ」

「じゃあ、待とう」

「うん」

「何も問題なくても、違うって思ったら、違うんだと思う」

「そうだね」

 

そうしてわたしたちは店に戻り、申し訳ないが、今日この場で決めることはできない、持ち帰ってゆっくり検討したいという旨と感謝を伝え、店を出た。

表参道は飲食店が少しずつ活気を取り戻し始めている。いくつかのカフェはドアや窓を全開にして営業をしていて、中にはまばらに人がいる。

 そのうちのひとつに入り、夫はコーヒーを、わたしはミルクティーを頼む。ミルクティーはメニューになかったが、アールグレイがあったので、温めた牛乳を入れてほしいとお願いしたら、特に何を言われることもなく、注文した通りのものが出てきた。

 

「お疲れさま」

「お疲れさま」

「行ってみてよかったね」

「そうだね」

「おれ、昨日鹿ちゃんが見つけたあの指輪もけっこうまだ気になってる」

「やっぱり? わたしも」

「うん」

「あのさ」

「うん」

「わたしたちは、結婚指輪を作りたかったのであって、金属を加工しに行ったわけじゃなかったんだね」

「ふーん?」

「その、さ。さっきのお店、指輪が自由に作れるのはすごくいいし、出来上がりのサンプルも悪くなかったし、値段も思ったより安くて、条件は全部よかったじゃん」

「うん」

「でも、わたしたちは、わたしたちの結婚指輪を作るっていう、わたしたちの結婚指輪を見つけるっていう、そういう体験がしたかったんだと思う」

「あー」

「だから、突然こちらの話を聞かずに指輪の作り方の話が始まったこととか、したかった相談を受けとめてもらえなかったこととか、そういうひとつひとつの、なんていうのかな、気持ちが置いてけぼりにされたみたいな感覚があって、それが引っかかったんじゃないかなって」

「うーん、言われてみるとたしかにわかる気がする。うん。そうかも」

 

結婚指輪はつまるところ、加工された金属である。けれども我われにとって結婚指輪を見つけるということは、自分たちのための指輪を探し出すということであり、探す時間そのものも大切に思えなくてはだめだったのだ。

帰り道、前の日に見つけた、とある指輪を置いているギャラリーに連絡を取ってみる。すぐに親切な返事が来てうれしくなった。その指輪が我われの指輪かはわからないが、我われは、我われの指輪がかならずどこかにあるということを知っている。焦らずに、もう少し時間をかけて見つけてみようと思う。