きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

自傷行為をやめるのに13年かかった

登山と写真、踊ることが趣味。日課は軽い筋トレとランニング。朝型。夜は0時より遅く起きていられない。三食きちんと食べないとダメ。人と活発に議論をしたり、一人で突発的に旅行をしたりするのが好き。そんな人間が「自傷行為に13年間依存していました」と言って、信じてもらえるだろうか。

 

自傷行為は、いわゆる「メンヘラ」のものだと思われている。だから、わたしのような人間の腕の内側に無数の傷痕が残っていることは、誰も想像できまい。けれども事実、わたしは13年間、自傷行為なしでは生きていかれなかった。

余談だが、この「メンヘラ」という言葉、すごくきらい。

 

初めて自分の体を傷つけたときことを、なんとなく覚えている。爪で皮膚を強くひっかいたら、少しだけ血が出た。生傷に触れると、熱っぽさと細胞の裂け目のやわらかさが指先に伝わり、犬のお腹を触ったときの感覚に少し似ていると思った。あれは、12歳の頃のことだった。

なぜ自傷行為を始めたのか、と問われても、もうあまりうまく思い出せない。

自傷の前触れは、あった。まだ10歳になるかならないかの頃、わたしは苦しくなったときに、手首を強く握る癖があった。ほんの些細なことで、ものすごい怒りや焦りの波が突然寄せてきて、内臓が口から飛び出してしそうになるような衝撃を覚えると、わたしは左の手首を右の手で強く握り、息を止めて、目を強く瞑った。そうしていると、少しずつ波が引いていって、次第に体内の爆発がおさまっていく。内側がしずかになってから、緊張をひとつずほぐし、最後に握っていた手首を離すと、手のかたちにうっすらと赤いアザのような痕が残っていた。

そうしていると、体の内側で起こっている爆発を、ぎりぎり皮膚の内側にとどめておけるような感覚があった。過ぎたのち、手首に残るかすかな痛みを感じているとき、わたしは「乗り越えた」という妙な達成感と安心感を覚え、同時に、痛めつけた自分の手首のことをかわいそうに思った。その感覚が何とも言えず癖になり、手首を握る「おまじない」を覚えてから、わたしは頻繁にそれに頼るようになった。

当時、誰一人としてこのひそかな爆発について知る人はいなかった。わたし自身、そのことを誰かに聞いてほしいとか、話したいと思ったこともなかった。まだそれを苦しみとして自覚しないまま、ただ「それはそういうものなのだ」と受け入れ、ときどきのたうち回っては手首を握って耐えていた。

 

手首を握るおまじないは、いつしか文房具で指や手の甲を刺す行いに代わった。その次は、皮膚を爪や文房具でひっかくようになった。血が出たときの、体の中の爆発が急冷される快感が心地よかった。そしていつしか、腕の内側を刃物で切りつけるようになった。

人目につく手首を切ろうとは思えなかったが、最も痛めつけやすいパーツが腕だったので、七分袖で隠れるくらいの腕の内側を切った。前の傷が治りきらないうちに新たに傷を重ねるとうまく切れないので、そんなときは太ももを切ったり、お腹にコンパスを刺したり、手の甲をコンクリートブロックに打ち付けたりもした。「おかしい」とも、やめたいとも思わなかった。

自傷行為が始まって数年、苦しみとともに自分があることが当たり前すぎて、苦しみがあること自体を疑い、見つめなおすという発想はなかった。生きていることは、わたしにとって苦しいことだった。

苦しみを、痛みでぬぐう。

自分に痛みを与えることは、爆発をやり過ごし、苦しみから気をそらす唯一の方法であった。さみしさ、悲しみ、劣等感、罪悪感、もっとたくさんのあらゆる負の感情がないまぜになって、自分の力ではどうしようもなくなったとき、意識が自分のものではなくなってしまいそうだった。そんなとき、皮膚の表面に鋭い痛みがあると、ぎりぎり自分を「ここ」に保っておくことができた。

同時に、自傷は自分への懲罰と赦免でもあった。自分が苦しんでいるのは、至らない人間だからだ、という強固な思い込みがあったため、自分で自分を痛めるけることで、その至らなさに罰を与えた。至らないから、罰を与え、至らないから、罰を受ける。自分で自分を傷つけることは、理にかなった二重の気持ちよさをはらんでいる。

 

けれどもあるとき、自傷がやめられなくなってしまったことに気がついた。

 

当時付き合っていた人に自傷痕を知られ、つらい思いをさせてしまった。そのとき「もう自傷行為はやめた方がいいんじゃないか」と思うようになったが、いざやめようと思っても、爆発が起こると衝動的に刃物を手にして腕を切ってしまうのだ。やめよう、やめよう、と思っても、どうしてもやめられない。さらに、自傷行為をしたあとに「やめなきゃなのに、またやってしまった」という罪悪感が起こるようになり、さらなる爆発が連鎖するという悪循環に陥った。

結局その人とはほどなく別れてしまったが、そのときわたしは、自分の意識をコントロールするために始めたことが、自分の意志でやめられないことに気がついた。怖かった。自傷行為という関わり方だけで長く自分の苦しみと付き合ってきたから、それ以外の付き合い方がまったくわからない。精神科を受診したりもしたが、初回の診療で非常に嫌な思いをしたため、すぐに行かなくなった。

 

まったく自傷行為に頼らずに爆発をやり過ごせるようになったのは、ほんとうについ最近、ここ一年ほどのことである。毎日、が、週に数回、月に数回、数ヶ月に一回、年に一回か二回、に減っていき、一年間全くしなくなったのは、14年間でいまが初めて。もしかしたらいまは、「数年に一回」のスパンの中にいるだけかもしれないが。12歳のときに始まって、25歳で抜け出し、26歳のいま、わたしの腕の内側には、かつての傷跡だけがうっすら残っている。

どうやって自傷行為をやめられたのか、なぜやめられたのか、と問われても、正直なところ、よくわからない。いろいろな人と出会い、興味関心の幅が広がったことで、自傷以外の苦しみとの付き合い方を知るようになったとか、ものの見方が変わったことで、長く抱えている根源的な苦しみが少しやわらぐようになったとか、そんなところだろうか。まとめて言えば「時間が経った」ということなのかもしれない。医療による積極的な介入を試みた時期もあったが、結局は、ひたすら待つことしかできなかった。

 

自傷行為は、意識をつなぎとめておく手段だった。自傷行為は、懲罰と赦免の両方の快楽を与えてくれた。だから自傷行為は、わたしにとってひとつの救いであった。

 

救いは安直な信仰に転じた。強烈な肉体感覚を伴うこの信仰を必要としなくなるまでに、長い時間がかかった。「痛みはわたしを気持ちよくしてくれても、幸せにはしてくれない」と気がついたとき、「やめよう」と決意した。時間とともに何かが変わったのだとしたら、わたしはいつしか、幸せになりたいと願うようになったのかもしれない。

自傷行為をすぐ完全に断つことはむずかしかったが、やめると決めてからは、自傷をしてしまっても「今日はやっちゃったけど、いつかはかならずやめる」という気持ちを持てるようになり、罪悪感は小さくなっていった。

その積み重ねが、13年間。医療行為や薬に頼ったほうがもっと早くにやめられたかもしれない。けれど、我慢や拒絶というかたちではなく、長い時間をかけて「もうわたしは、自傷行為を必要としていない」ということを、体と心の両方で受け入れるようなかたちへと導いていけて、よかったと思う。

 

もう、必要ない。と思っている。少なくともいまは。これからもそう思い続けられたらうれしい。わたしは、幸せになりたいのです。