きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

人間はもと、パンの赤ちゃんの千切れた破片

いまも毎秒膨張を続ける宇宙の端っこには、小麦粉をこねて作ったでかいパンの赤ちゃんのような塊があって、それが小さく千切れてはものすごい勢いで地球に飛んできて、そうやって毎秒地球の生きものたちが生まれ続けているのです。だから、わたしたち生命はもともとひとつのでかい小麦粉の塊であり、兄弟、どころか、同一の塊から千切り落された破片でしかありません。破片同士が互いを滅ぼしたり、憎みあったり、上や下を作ったりして、地球という惑星は、ふしぎな星ですね。

 

という説明を、木星のそばに浮かぶ宇宙ステーション博物館のおねえさんがしてくれた。おねえさんはタコのように外側に丸く開いた6本の脚を自在にうねらせ、窓から見える星を指し、ホワイトボードにきれいな字で「地球の生きものはパンの赤ちゃんの破片」と書きつける。

 

という夢を見たと、大学の中庭で友だちが話してくれた。彼女は海が大好きで、ときどき大きな貝殻をリュックサックに隠し持って大学に来る。どうしてそんなものを持ってくるのかと訊いたら、「これに触っていると、海の水から自分が出来たことを思い出せるから」と言った。40億年前の海水が、いまもわずかに血管を流れているのだという。

 

という映像を収めたビデオを、深夜2時の部屋で見た。たった3分ほどのビデオだが、そこに映っているのは、考えられないほど幸福な普通であった。中庭を人々が行き交い、空は青く、樹はまっすぐに大きく立ち、彼女の頬は太陽に光っている。人間、空、樹、太陽、そういったものが長らくそうであるとされていた姿でそのままあること。それがとてつもない幸福であり、いまや誰が渇望してももう元には戻らない世界線を、誰もが選んでしまったのだ。

 

という主旨が記された手紙が、瓶の中から出てきた。長らく漂流したと思われるその瓶は、ところどころに泥と海藻がこびりつき、中に入っていた手紙は砕けてしまいそうなほどに脆かった。この内容が真実かどうかはわからないが、今日の昼は、パンを焼こうと思った。

 

という日記を書いたところで、窓の外に目をやると、草原が真っ赤に燃えていました。戦争は遠い国のことだと思っていましたが、あっというまに身近なものになったようです。あの草原は、小さい頃、弟とよく遊んだものです。カタバミ、ノイチゴ、タンポポ、スミレ……そうしたものがいまやすべて炎の下にあり、わたしもじき、あれらのひとつになり、光って燃え尽きてゆくのでしょう。

 

という録音を聞いたあと、わたしは、大切なことを思い出した。

わたしは、大切なことを、思い出せなかった。