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なくならない拠りどころについて/映画『タゴール・ソングス』感想

tagore-songs.com

タゴール・ソングス』観てきた。内容としては、1861年にインドに生まれたタゴールという人が残した歌が、現代のインドやバングラデシュでもいまだ長く愛され受け継がれていることを伝えるドキュメンタリー映画。およそ2時間のあいだ、体感で7割以上を人々の歌声が占める。本編から逸れた個人的なおもしろポイントは、インドかバングラデシュの若手ラッパーによる現地の言葉のラップ。内容は字幕でしかわからなかったが、ビートもライムもすごくイケてた。南アジアのラッパー文化、濃厚な気配。

 

映画に登場するのは、ほんとうにふつうの人びとばかり。タクシーの運転手、主婦と子ども、シンガーを目指す高校生、歌を教える大学の講師、古物商のおやじ、若手のラッパー、社会学を学ぶ女子大生、タゴール・ソングスを歌い続ける老年の男性とその弟子。みんながタゴール・ソングスを歌う。インド国歌、バングラデシュ国歌を作ったのもタゴールらしい。タゴールの詩は、タゴールの歌は、ベンガル人の血肉であるという。

 

画面に映るひとりひとりのなかに、確かにタゴールがいる。タゴールは、彼らの声と口を借りてどこにでも現れる。死して80年以上経ったいまでも、彼はたしかにそこにいる。存在とは物質でも形式でもないということを、あらためて思い出した。

 

ベンガルの人々が、歌というかたちでタゴールを拠りどころとしているさまを見て、これはかつての日本にあった「南無阿弥陀仏(なんまいだ)」に近いのではないか、と思った。小さい頃に読み聞かせてもらった日本の昔話の描写には、必ずと言っていいほど「なんまいだ、なんまいだ(なむあみだぶつ、なむあみだぶつ)」と唱える人が出てきた。そうした話ができた頃の日本には、まだ仏さまや神さまへの信仰心が色濃く残っていたことは間違いない。神仏の存在がもっとずっと身近で、そこに心を寄せていることが当たり前だった時代。たとえ特定の宗派を深く信仰していなかったとしても、「なんまいだ」という言葉が自然とこぼれ落ちるような心性を我われは持っていた。それは、信心の有無にかかわらず、我われの心が何らかの拠りどころを必要としていたことの証左であるように思う。宗教という不合理なものは、同じく不合理である人の心を支えるのにうってつけだったのではないか。

日本において、宗教の存在感が科学に取って代わられ久しい。が、かつての人びとと同じく、いまのわたしたちもまた、拠りどころをどこかで求め続けている。それがたとえ、宗教でなかったとしても。

心というわけのわからないものを寄せておけるのは、心と同じくらい、わけのわからないものではないか、となんとなく思う。この時代のわたしたちは、分解と組み立てや、客観と説明を主とする価値観のなかで生きてきてしまったからこそ、わけのわからない拠りどころをなかなか見つけがたい。

 

ちなみにわたしは、母方の実家が寺なので、祖父の家に遊び行くと、朝はだいたいお経の声で起きていた。早朝から勤行する祖父の唱える般若心経は、深い釜の底から響いてくるようなふしぎな響きがあり、わたしはその響きが好きだった。いつしか自分も空で般若心経を唱えられるようになり、いまでもときどき、唱えることがある。祖父はもうずいぶん前に亡くなってしまったが、あの釜の底から響くような般若心経は、いまも耳にありありと残っている。その響きに重ねるように「観自在菩薩……」とつぶやいてみると、祖父とつながっているような気がする。その祖父はきっと、仏さまに自分を開いてあの読経をしていた。祖父の口を通してわたしのなかにいつの間にかいた仏さまも、きっとわからないところで、わたしの魂を支えてくれているのではないかと思う。支えられている、と感じないほどに。

 

こんな話を、聞いたことがあるだろうか。

苦しみのなか、あなたは吹雪の道を歩き続けている。振り返ると、足跡は一人分しかない。神さまはいなかったのだ、と思う。誰にでも神さまはいるというが、わたしはひとりでこの道を歩いてきた。わたしには、神さまがついていなかったのだ。

しかしそのとき、どこからか声が響いてきた。「よく見なさい。それはお前の足跡ではない。傷だらけのお前を抱きかかえて運んでいる、わたしの足跡なのだ」と。