汽水域

海水と淡水のあいだ

誕生の話

2022年2月4日、28歳になった。

生き死にはほんとうにわからない。昨年の暮れに突然逝ってしまった祖父。その前の前の年の大雪に突然さらわれてしまった犬。出生が意志に因らないように、死もまた意志のもとにない。人は自死を選べるなんて嘘だ。肉体を破壊してその機能をとめたとて、魂の行方は誰も知らない。わたしたちが想像する生き死になど、「生きている」側の脆くはかない認識の、安易な限界である。つまるところ、わたしたちは生と死について何ひとつ知ることができない。それでも、選んだわけではないこの身体と心で、選んだわけではないこの場所で、いつだってそうとしか有り得ないよう配列され、交流し、現象として顕れる、わたしと名付けられた生。望むと望まざるとにかかわらず、誰もがいつだって(眠っている間ですら!)生を志向し続けている。生きていることは、すべてが大いに不思議で奇跡的だ。

神と呼ばれるそれは認識の対象ではなく、実はわたし自身であり、同時にすべての命がそうであること。宗教や狂気を帯びずとも、神を直感することは誰もが常に可能である。その直感は外界ではなく、常に「ここ」にあるこの存在に向けられている。知性で分け得るものは知識でしかなく、存在には何ら関係がない。何度考えても、結局はすべてがそこに帰結してゆくように思われる。足の裏に土を感じる。目を閉じて沈黙を見聞きする。すなわち、何もしない。28年目の「生きる」を、そうやっていま、わたしは生きている。