きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

反進歩主義の話

はたして欲張る必要があるのだろうか。毎日同じことをしていても、全然悪くないと思う。毎日できる限りの、したい限りのことをしたいようにして。けれどもしていることに手は抜かず、自分に後ろめたさを覚えないように。それだけを繰り返していれば、自然とそれが積み重なって、気が付けば遠くに、あるいは高くにいられるのではなかろうか。でも、その点は目指したものでもなければ、桃源郷でもない。ただの一地点である。わたしたち人間は、とかくあらゆる意味付けをしたがってしまう。

上昇しようという意欲を、ずいぶん前に忘れてしまった気がする。理想や目標を掲げて達成することや、そこに辿りつくために努力を重ねるという世界観を善としてしまうと、そうあれない自分を許せなくなってしまうから。苦しかったなあ、がんばっていない自分と生きていかなければならなかったこと。

昨日の自分よりもできることがひとつ増えていたら、うれしい。いままでずっとやっていることが、いままでよりももうすこし丁寧にできるようになったら、それもうれしい。それくらいのテンションで生き始めるようになってから、がんばるという行為の価値がよくわからなくなった。

意図せずして身を投じた世界や手にすることとなったものが、想像したこともないほどの豊かさをもたらしてくれたこともあれば、求めてやまなかったものを手に入れたのに、何も埋まらず、さらなる渇きを呼び込んだだけということもあった。だから、何かを目指したり欲したりすることが、ある時期からけっこうどうでもよくなってしまった。いまここに流れ続けているこの時間を生きているだけで精一杯で、でもそれだけで十分な気がしているのだ。