きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

2022april_最近の走り書き

うっかりここに何も書かないまま4月を終えそうになっているので、走り書きを残しておく。

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人生山あり谷ありというが、山だの谷だのの起伏にいちいち感情を持ち出すことがめんどうになりつつある。物事は常に起こり続け、時間は静止せず、その揺らぎがイコール生きているということだけが事実で、山に喜んで谷に憂鬱になるというのは、ちょっと考えてみると非常にあほくさい。ぜんぶ起きるだけなのに。宇宙船の窓の内側から、すべての起こっていくことをじっと静かに眺めていたい。

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という考え方と関連しているのかもしれないが、最近は「自分である」というより「自分をやらざるを得ずやっている」という感覚が一層強くある。望んでこの体や顔かたちや性格や価値観や癖を持って生まれたわけではないし、どういうわけか「たまたま」手に入れているこれをやることによって得られる損だの得だのは、ほんとうに些細でどうでもいいことのような気がしている。しかし、かといってそう思うことは、日常や生きていることをないがしろにするポジションに立つということでは決してなく、なんというか、「あきらめ」に近い。

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犬と高校生の夢ばかり見る。4月は眠りが浅かった。

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寝ていると俳句がどんどんできる。夢のなかでできた句が起き抜けのほんのすこしの時間頭にぼんやり残っていて、見ていた景色をなんとか紙に書き留めている。写真が発明される前、人はこうやって景色を記憶しようとしていたのかもしれない。

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最近お世話になった農家さんが、「農業のあるべき姿っていうのは、畑に生ってる作物が全部同じ大きさと背丈、全部同じ質でちゃんと作れてるってことだと思うんだよ」と言っていて、なるほどなあと思った。
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「たとえばおまえが三ツ星レストランに行って、レアのステーキを注文したとして、そのあとずかずか厨房に入って行って、調理中のシェフに『本当にその手順でいいんですか?』『今その下ごしらえをすることって大事なんですか?』『本当にその火加減でいいんですか?食中毒になったりしませんか?』っていちいち聞くんか?お???」と言いたくなるような「ご意見」を未だにたまにいただく。ありがたくもなんともない。

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この春はネモフィラを見損ねたし貝も獲れなかった。