きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

2022春 祖母の記録

先日、久しぶりに祖母の家に遊びに行った。あいかわらず認知症はゆるやかに進行していて、耳も遠いから会話らしい会話はほとんどしない。祖母はわたしが冷蔵庫を開けたり、ねこの腹をぐりぐりやったりしているのをニコニコしながら見ている。わたしが家に行っても起きている時間はほんのちょっとで、一日の大半を西側の薄暗い部屋で眠って過ごす。ねこは祖母の横で寝たり、畑に出て行って土埃まみれになったりしている。真っ黒になったねこの全身を雑巾で拭く祖母は、おかあさんの顔をしている。笑っているわけでも怒っているわけでもかなしんでいるわけでもない、ただ一個の小さな命を眺めている顔で、黙ってねこをこてんぱんに拭く。

 

祖母の暮らしを見ていると、よくこれで一人でやっていけてるな、と思う。けっこうぎりぎりの綱渡りだ。電子レンジの「10分」のボタンには大きなバッテンの紙が貼られ(数年前、10秒と勘違いしてこれを押して、皿を一枚ダメにした)、冷蔵庫の中は漬物や火を使わなくて食べられるお惣菜の作り置きでいっぱいになっている。家中にカレンダーの裏紙を切って作った大きなメモ、メモ、メモ。「デイサービスは火曜・木曜・金曜」「カナ先生電話 XX-XXXX」「寝る前、ガス、電気、窓の鍵 必ず確認!!」注意書き等々のなかに混ざっている手紙、手紙、手紙。「おばあちゃん、楽しかったよ(^^)また来るね!」「体に気をつけて。いつも笑顔のお母さんが好きです」「誕生日おめでとう!84歳も元気でいてね」

あらゆる壁に貼られた溢れんばかりのメモや手紙を、祖母がどれくらい理解して活用しているかはわからない。けれどもこれらの紙ひとつひとつはすべて祖母の暮らしの軌跡であって、わたしはその喧しく無秩序な眺めが好きだなと思う。

 

午後4時。昼寝から目覚めた祖母がゆっくりゆっくり廊下を歩く。歩きながら、何かごにょごにょ言っている。母が大きな声で「なあに?」と尋ねると、祖母は、「うさぎに餌をやらなくちゃあ……」と何度か繰り返した。「物置小屋にサ、うさぎを飼ってるんだけど、それに餌をやる時間だから……」と小さくつぶやきながら、祖母はゆっくりゆっくりトイレに入っていった。母は、ちょっと呆れた笑い顔で「夢を見ていたんじゃないかな」と言って、洗濯物を干しに庭に出て行った。

10分かけてトイレから出てきた祖母に、「うさぎ、物置で飼ってるの?」と問うた。ふっと振り返った祖母の目には西日が射し込んで、黒目がほとんど透き通った橙色に輝いている。祖母は、初めて孫を見たかのような顔で、にっこり笑って「夢、だったかもしんない……」と言った。