きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

思い出したくない痛みのこと

自分が当たり前にいた環境を疑うことはむずかしい。それが子どもならなおのことそうだ。

ときどき、10年も20年も前のことが突然フラッシュバックしては感情の波にさいなまれるということをここ数年以上繰り返している。自分が育った家族や家庭環境について。フラッシュバックする原因はわからない。今は実家と程よく距離を置いているし、日常的に直接何か嫌なことを言われたりされたりするわけでもない。けれどいまでも時たま、その当時自分が受けていた扱いに通じる言動をふとした拍子に感じることがあり、その瞬間に心が固く冷えていくのがわかる。

わたしがどのような環境に晒されていたか、詳しくは書かない。偏った物言いになってしまうだろうし、そもそも思い出したくない。けれど、「偏った物言いになる」という前置きをしたうえでいうならば、およそ20年のあいだ、激しい感情や攻撃をことあるごとにぶつけられてきたことや、自分がそれをすべて受け止めざるを得なかったこと、にもかからわらず他方からは無関心を貫かれ、救いの手が一切なかった。それはいまでも事実と言っていいのではないか、と思う。

育ててもらった恩は感じている。死なせず殺さずにいてくれてありがとう、と思っている。けれどわたしは親の言う「愛情をかけて育ててきた」の「愛情」の部分を、どうしても思い出すことができない。いまになって思い出そうとして浮かぶのはいつも、自分が冷たく凍えた気持ちになった場面ばかりだ。ほんとうはたくさんあったと思うのだが、強すぎる負の経験の印象に暗く覆われてしまっているのだと思う。

自分が傷ついた経験しか思い出せないことは、実に都合のいいことだ。そうすればわたしはいつまでも「傷つけられた人」でいられる。愛情をかけられたことが見えていないのだと思う。「家族だから」という理由で許され認められてきたこともたくさんあるのだと思う。けれどいまになっても、どうしても思い出せない。気づいていないだけだ、見えていないだけだ、と自分の目の曇りを戒め続けているけれど、それでもどうしてもわたしは、「この家に生まれて本当に良かった」と思えないまま、愛憎とすらも名付けがたい感情に、時折ひどく動揺させられる。

疑うことができなかった。家とは、家族とは「そういうもの」だと思っていた。だから当時は、つらいとも感じなかった。けれどそこから出て、社会や他人とかかわるようになったとき、そこがいかにいびつで自分がどれだけつらかったのかがようやく感じるようになった。しかしそう思っている、感じているいまの自分を「恩知らず」「自分勝手」と責める自分も同時にここにいる。どうすれば、いつになればこの矛盾した感情の波が引いていくのか、わからないままでいる。この文章のように、めちゃくちゃで、支離滅裂な気持ちになってしまうのだ。