きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

三十にして立たされる

f:id:moffril:20240204220853j:image

30歳になった。

生きていくこと。あらゆる可能性のなかへと投げ出されると同時に、転がりこんだ先以外のすべての可能性が否応なく排除される運動の連続。生きているというのがどういうことかは未だまったくわからないけれど、波のような運動の繰り返しが自分をいつもここに在らしめているということだけはわかる。意志によって生きているようでいて、「生かされている」としか言いようがない。転がった先が一つ違っていれば、ここにはいなかった。誕生日を迎えるたび、おめでとうともありがとうとも違う不思議な心持ちになる。

三十にして立つと聞く。自立をしていける頃らしい。ふと、自立とは自分の意志の力で立つことではなく、立ち上がる準備を済ませることで「自然と立たされる」ことなのではと思った。気流を掴んで、空を遠く流れてゆく鳥のように。

もがいてきた20代だった。体力筋力は多少ついたが、力むのが多少疲れるようになってきた。頑張って何かを思い通りにしても、必ずしも満足できるわけではないこともわかってきた。

だからここからは、少しずつ脱力していこうと思う。意志の力でもがくのではなく、風に乗るように生きていきたい。そうすれば、非力な自力でどうにかしようとしてきたこれまでは想像しえなかった可能性へ、また転がっていけることでしょう。

その道のりが幸い多きことを願って、30歳初日の日記とする。

意志を持って消す火を選べ

さらば2023!

***

4つのコンロ理論。それぞれのコンロに点る火は、家族、友人、健康、仕事。成功するためには1つの火を、もっと成功するためには2つの火を消す必要があるという。

今年新しく始めた仕事は、ほんとうにおもしろい。性に合っているし、これまであまり表に出してこなかった自分の一面が受け容れられ、歓迎され、成果にもつながっている。同僚や先輩たちにもいい人が多く、端的に居心地がいい。

すると自然と仕事に時間を振るようになって、友人関係や趣味の活動(「コンロ」にはないけれど、映画を観たり、本を読んだり、展示に行ったり)が知らず知らずのうちに後回しになった。夜は疲れ果ててすぐに寝て、朝は早起きして走りに出るので、夫とゆっくり過ごす時間も減った。ここ最近はご飯もあまり作れなくなって、冷蔵庫にあるものをパソコンの前でかじるような生活をしている。休日は回復と家事で手いっぱいだから、山にもあまり登らなくなって、その代わりときどき少し長い旅行をするようになった。あらゆることへの時間の使い方がこれまで通りではいかなくなった2023年。

仕事が楽しく日々が充実しているのは幸いなことだけれど、そろそろ「消す火」を考えるべき頃合いだ、と思った。

二つ反省がある。ひとつは、時間と体力気力を多くのものに等しく分配しようとしたこと。それらは有限で、複数のものに等分に割り振ろうとすると全部中途半端になって、不完全燃焼感が残る。

もうひとつは、仕事のおもしろさと忙しさにかまけて、どの火をつけてどの火を消すか、十分に検討しないままでいたこと。おもしろくて忙しいと、得てして「それをしたくてやっている」と思い込みがちだが、実はそうではない。それらは感情や状態であって、「いまはこれに力を注ごう」という意志ではない。意志を決めないまま、なし崩し的におもしろさと忙しさに毒されていくと(困ったことに、特に仕事におけるおもしろさと忙しさには強い中毒性がある)、じわじわと人生が侵食されて、いつか大切なものを壊してしまう気がする。

「気づいたらこの火力が全開」「気づいたらあっちの火が消えそうになっている」という他律的な状況には、言い訳や自己嫌悪がついてまわる。「もっと時間があれば」「もっとうまいやり方があれば」と思いながら過ごす日々は据わりが悪いし、不誠実だ。それがよくわかった一年、そして20代最後の年だった。

逆に考えると、犠牲にするものを決めれば、手のうちにあるものに全力を注げる。欲に全力を懸けるための捨て身。あらゆる可能性に向かって転がり続けた20代を経て、「それ」一点をめがけて振りきる30代を過ごしたい、と思うようになった。

だから、自ら火を消すしかない。「意志を持って消す火を選ぶ」には勇気がいる。すでに手にしているものはすべて大切に思えて、どれも消せない気がしてしまう。けれどもこんなやり方では、もう満足できない。だから消す。そうして飛びこむ。この空腹感と覚悟を、2023年の成長ということにしたい。

さて、2024年、どうしよう? まずは何を手放そう? 10年後、来年の答え合わせをしたい。その決意を固めるための一年だった2023年、ありがとう。さらば! きっと死ぬまで忘れない一年になった。

晩秋の九州まんなか旅 阿蘇-くじゅう-熊本-上天草

大きな飴玉を口の中でゆっくりころがすように、何度も思い出したい旅。

旅程は

1日目:熊本空港in→阿蘇→くじゅう連山の麓

2日目:くじゅう連山→熊本市

3日目:熊本市内→宇城

4日目:宇城→上天草→熊本空港out

今回の旅は前半登山、後半観光。天気によく恵まれた4日間だった。

阿蘇で登山、くじゅうで登山

GOGO阿蘇

初日は空港から車で阿蘇へ。「阿蘇山」という名は有名だが、阿蘇山という山がひとつあるのではなく、阿蘇連山という5つの山々を総称して阿蘇山と呼ぶ。

登ったのは、阿蘇連山の中心にある中岳から東側の烏帽子岳杵島岳

うつくしきかな烏帽子岳

杵島岳をゆく

烏帽子岳の麓は草千里が広がっていて、馬が放牧されている。運が良ければそばまで寄れる。柵などは一切ない。近くで見るとけっこうな迫力。

てんてんと馬たち

阿蘇連山をおりて、その日のうちに大分のくじゅう連山へ。初日の夜は久住山の麓にある山小屋に泊まった。

ザ・山のめぐみ

ひとつひとつに名前が乗って出てくる山菜天ぷらいとおかし

次の日は6時に宿を出て登山口へ。東京は6時前で少し明るいので、そのつもりで5時過ぎに起きたら、あまりに真っ暗でびっくりした。九州の日の出はすでに6時半をまわる。一年のなかで日が短くなっていくこの時期の早朝がたまらなく好き。さみしくて、うつくしい。

おはようくじゅう

くじゅう連山は、熊本から大分までひとつづきになっている阿蘇くじゅう国立公園の中心に位置する。国立公園どころか、くじゅう連山もめちゃくちゃ広いので、一日ではとても歩ききれない。

f:id:moffril:20231111174853j:image

月が

今回は阿蘇側の沓掛山-星生山-久住山-中岳の縦走。その奥の稲星山にも足を伸ばしたかったが、とにかく稜線が気持ちよく、予定を変更し4座をゆっくり歩くことに。秋の風と光よ!

おべんと

ヒュッテのおばちゃんが作ったおにぎりのうまいのなんの

紅葉はもうほとんど終わりかけ。たしかにこの一面が赤や黄色に染まっていたらさぞすごかろうなと思うが、もうほとんど燃え尽くした山肌に、最後の命とばかりに残る紅葉も好き。この季節にしか見られない山。

また春に

おいしいごはん、おいしいコーヒー

ウマいぜ馬料理

翠ジンソーダバリエーション

これで1,800円てどういうこと

「九州はごはんがおいしい」とよく聞くが、熊本のごはんはサイコー。これまで福岡や大分に旅行したときもそれなりにおいしいものを食べたと思っていたが、熊本ごはんは記憶をずばずば上書きしてくるおいしさだった。

物語が添えられることでおいしさが2割増す(単純)

熊本市内でゲストハウスに泊まった際、コーヒー好きのご主人にいくつか市内のオススメカフェを紹介いただき、そのうちの1軒Gluck Coffee Spotへ。しっかりおいしい。旅先で一期一会のおいしいコーヒーに出合えることは幸いである。

ゲストハウスのご主人が淹れてくださったコーヒーもとても美味でした
(写真忘れた…)

同じくご主人おすすめのサンドイッチ屋さん。マフィンもめちゃおいしかった

あと、途中立ち寄った道の駅にいけすがあって、イカやら魚やらがペロペロ泳いでてびっくりした。熊本、はかりしれない。

そして安い

熊本城とか、プレモル工場とか

シャキーン

2016年の熊本地震で外壁が崩れ落ちてしまった熊本城。まだ完璧な修繕は終わっていないが、お城の外観と中はとてもきれいになっていた。入場(入城?)料800円。

事前に見たレビューで、「熊本城の中身はすっかり変わってしまった。古き良き城のない層は見る影もなく、単なる展示になってしまい嘆かわしい」という意見があり、どんなもんかなと思いつつ行ってみたが、個人的にはとてもよかった。

たしかに当時の内部の様子をじかに見られないのは少し残念だったけれど、震災前の内部も復元ではあったわけで。それよりも、800円でこの資料の充実や設備の充実具合は…!という感動のほうが大きかった。1階から4階にかけて、築城時の様子や加藤家、細川家のこと、近現代の熊本城…ととにかくすごいボリューム。加藤清正の天才的な城造りのセンス、彼の描いた治水と防御を兼ね備えた城下町計画や、当時の町づくりが今も熊本市内の礎になっていることなどを知れて、たいへんおもしろかった。おもしろすぎて内部の写真は忘れました…。

f:id:moffril:20231111215247j:image

熊本城のあとはサントリー九州熊本工場へ。プレモルがひたすら製造され続けている。工場の外に並んでいたでっかいタンク一本には、一人の人間が一日一缶飲むと計算しておよそ1400年分くらいのビールが貯められているらしい(うろ覚え)

f:id:moffril:20231112154636j:image

工場見学は予約制のツアー。内部は見られるものの、トークはけっこうPR寄りで、正直少し残念。プレモルの製造工程の詳しいところや、ビールの旨味が発生する機序についてもっと具体的に知りたかった。

とはいえ皆さんのお目当ては見学後のビール試飲ですよね。わたくしめもしっかりいただきました。

運転手の夫はオールフリー(ほんとうにすみませんでした)

試飲時間は15分くらいで、最大3杯までおかわりできる。最高の状態のグラスにプロが注いでくれるので完璧のおしいさ。15分でこの量3杯飲めるかいなと思いつつ1杯目を味わっていたら、周りの人たちがあっという間に3杯コンプリートしていておそろしかった。2杯目でマスタードリームをいただいてみたが、個人的にはプレモルのほうが軽やかで好きな味だった。

チェイサーを入れつつマスタードリーム。どっしりした味わい

そういえば、工場見学の前に熊本市内にある江津湖公園にも立ち寄った。ここもゲストハウスのオーナーさんのオススメ。大きい池、きらきらの日差し、うまいサンドイッチ。何も言うことなし。SUPをやっている人や、何かを捕まえる子どもたちでにぎわっていた。街のなかに大きな水のある風景はよい。

f:id:moffril:20231112154701j:image
f:id:moffril:20231112154655j:image
f:id:moffril:20231112154658j:image

 

島民よりねこが多い島、湯島

最終日。宇城に泊まり、早朝から上天草に移動。江樋戸港から船に30分乗ると、湯島につく。ここは島民よりねこの数が多いことで有名らしい。

f:id:moffril:20231111181414j:image

f:id:moffril:20231111181433j:image

f:id:moffril:20231112154241j:image
f:id:moffril:20231112154244j:image

港到着即ねこ。そこらじゅうねこ。ねこが団子になったり好き勝手伸びたりしている。人をまったく警戒しないどころか、見つけると遠くから速足で駆け寄ってくる。とはいえ餌をねだったりはしない。お行儀がよく、かわいがられるすべをよく心得ている。

f:id:moffril:20231111181510j:image
f:id:moffril:20231111181504j:image
f:id:moffril:20231111181507j:image

島のカフェのおねえさんいわく、すべてのねこに名前がついているとのこと。島民はだいたい全部のねこを把握しているらしい(ほんとに?)

湯島には根強いファンが多く、中には関東圏から定期的に通ってきて自分の推しねこに会いに来る人もいるという。おそるべきねこパワー。

ねこ派の夫、炎天下で飽きもせずねこを愛でる

f:id:moffril:20231111181515j:imagef:id:moffril:20231111215911j:image

ねこもいいけれど、個人的には湯島の海が好きになった。凪いでいる有明の海。島には灯台がひとつ。その昔は灯台守とその家族が住んで、夜通し海を照らしたという。

f:id:moffril:20231112154531j:image

ジ

湯島は、200人ほどの島民が住むふつうの生活の場。ねこたちは観賞用でも愛玩動物でもなく、この島の暮らしの景色である。

 

どこまでいけるの長部田海床路

f:id:moffril:20231111215856j:image

ふたたび船に乗って本土に引き返し、熊本空港方面へ。長部田海床路はその途中にある。

ここは潮の満ち引きによって道が消えたり現れたりする。行ったときは満潮から干潮に向かうタイミングで、1枚目を撮って30分くらい経ってから撮ったのが2枚目。たった30分なのに、潮が引いているのがわかる。

ただ電信柱と道が続いているだけの場所だからか、観光客たちは写真を撮って早々にいなくなってしまった。けれども、ここの波の音がなんだかとても心地よく、夢のなかにいるみたいで、夫とソフトクリーム片手にふたりでしばらく海を眺めていた。干潮になったら、この道はどこまで続いているんだろう。

写真のこと

今回はねこの島とか海床路とか、いわゆる「ばえる」ところにたくさん行ったけれど、いままでの旅よりも写真はそれほど多く撮らなかった。でも、それで全然いいと思う。

写真映えする(とされる)ところで写真を撮ることと、自分の好きな写真を撮ることはまったくちがう。行ったときの気持ちを思い出せるような、あるいは、何度でも思い出したくなるような、そんな写真を撮るのが好きだ。ここにあげたのは、決して映える写真ばかりではないが、わたしにとってはそういう大切なもの。

夫のこと

f:id:moffril:20231111181450j:image

ここ2年くらい、夫とよく遠出をする。夫と旅をするのが好きだ。彼は特別旅慣れた人というわけではないけれど、どこにいても夫は夫のままなので、この人とならどこまでも行けると思える。行って特別何をするわけでもなく、ただ一緒にいるだけでいい。そういう人と生きているうちに出会って時間をわかちあえることは、このうえない幸福だと思う。

旅のこと

空港ラーメンは値段は高くて味は普通なのに、どうしようもなくうまい

この頃、ようやく時間と体力とお金のバランスがちょうどいい感じになりつつある。20代初めの頃のような時間や体力はないので、夜行バスに乗ってむちゃくちゃな工程で山に登るような真似はできなくなった。けれども体力が有り余らなくなった分、ゆっくり旅を楽しめるようになったし、お金にも少し余裕ができたから、飛行機や新幹線で行ったことのない遠くまで行けるようになった。貧乏旅もいまの旅も楽しい。一歩ずつ、そのときにしか楽しめない旅ができていると思う。

しかも大変幸いなことに、健康である。身体という、不便で、わがままで、けれどもすばらしいものを背負って生きざるを得ないのだから、行きたいときに行きたいところへ行き、食べたいときに食べたいものを食べ、触れたいものに触れ尽くしておきたい。今際の際に「あー楽しかった。もうおなかいっぱいです」と呟いて三途の川に飛び込むのが、わたしの当面の目標である。

また旅に出ようね(撮影:夫)



お元気ですか?2023秋

夏のことを振り返りたいななんて思っていたのに、気がつけばしっかり秋。なんなら今朝は早朝の風に冬が混ざっていた。

お元気ですか? わたしはまあまあ元気です。春過ぎに仕事を変えて、9月10月で初めて大きなプロジェクトをメインで担当させてもらい、それがようやくひと段落つきそうなところ。と言いつつ、11月から新しいプロジェクトが始まるので、また忙しくはなるのだけど。

新しい職場はいいところです。何だかなァと思うことや納得できないことのひとつやふたつはありましたが、まあそういうこともあるよねくらいであんまり気に病まず済ませられるくらいには気に入っています。一緒に働く人たちが概ね善良であることは大変ありがたい。

年齢を重ねていろいろ経験するうちに、悲しいことや怒りたくなることがあっても、「でも、世界がわたしの敵というわけではないのだ」ということが頭でも心でもわかるようになって、事態を穏やかに受け入れられるようになりつつあるのかもしれない。

8月の後半から10月にかけて、ほんとうに時間がとぶように過ぎていった。でも毎日のことをちゃんと覚えているのは、とても幸せなことだと思う。台風が過ぎたら急に橙がまじるようになった朝の光、毎朝すれ違う近所の犬のふさふさした尾っぽ、東京から一日がかりで行った旅先で食べた野菜炒め定食、提案資料作りが全然終わらなくてごはんの味がわからなくなった午後11時、友だちと登った山の上で飲んだコーヒー。ひとつひとつを振り返っては懐かしむことができる毎日があって、そのことが素朴にどこまでもうれしい。

連絡を返さないまま微妙に不義理をしている友人たちよ、すまない。期限のない約束をしたままになっていることも、連絡を返していないことも、ちゃんと覚えている。返さなきゃな~とうっすら3日に1回は思い出している。タイミングと気持ちがかちっと合ったとき、ちゃんと返そうと思っている。催促してくれてかまわない。きみのことが大事じゃなくなったわけでは決してないということだけ、知ってくれたらうれしい。

何の話をしていたんだっけ。そうそう、秋になった話とか、仕事の話とか。お元気ですかなんて言葉で始めて、誰に手紙を書きたかったんだろう。でももう特に話したいことも見当たらないから、あとは写真だけ。秋にメンタルの健康を保てるようになったのは20代後半の大きな進歩。なんやかんや言いながらもどの季節も大好きなので、生きていくのはどこまでも楽しい。

 

f:id:moffril:20231027162338j:image

f:id:moffril:20231027162441j:image

f:id:moffril:20231027162518j:image

生活に疲れるという贅沢について

贅沢なことだ、と思う。生活の繰り返しに疲れることを。毎日同じ時間に起きて、ストレッチ。水を飲んで、走りに出る。5キロちょっと走る。帰宅。水を飲み、ストレッチ、筋トレ。シャワーを浴びていると、夫が起きてくる。コーヒー。掃除機。デスクに向かい、仕事。書きものがメイン。ランチ。ついでに夕飯の下準備や家事。食べ終わったら軽く運動。デスク、仕事。午後はだいたい打ち合わせ。途中小腹がすいておやつ。仕事。ストレッチ、走る。5キロちょっと。帰宅。着替えて、残りの仕事を片付ける。夕飯の準備。夫帰宅。仕事の仕上げ。遅めの夕食。歯磨き。軽い運動とストレッチ。お風呂。仕事関連の勉強、あるいは文章を書く、あるいは読書。身支度を整え、就寝。

こうやって毎日過ごす。毎日毎日。生活や仕事のなかに、うれしいこと、楽しいこと、びっくりすること、悲しいこと、緊張、怒り、戸惑い、迷いがときどき差しはさまる。たまに起き上がれないほど具合が悪くなることもあれば、一日15キロ以上走る日もある。夫と良いご飯を食べに行ったり、旅行に行ったり、友人たちとコーヒーを飲む。いつか子ども産むのかな、とか、次の年末はおせちを作ってみよう、とか考える。

平坦に見えて、手触りがある。その微妙な凹凸のひとつひとつが幸せであるということを理解しながら、たまにその繰り返しの果てしなさを思い、地平しか見えない真昼の砂漠に放り出されたような不安を覚える。太陽が真上にあり、空が青く、砂、砂、砂。広い。広い広い。道がない。誰もいない。喉も渇かずお腹も減らない。暑くもないし寒くもない。なのにどこか息苦しく、底抜けの穴に落ち続けているような。つまり生活への、疲れ。人間であるという条件に縛られ、生きものであるという制約に縛られることが、生きることと限りなく同義であり続けることへの。

繰り返される日々にある幸福のことを、その日々それ自体を幸福と呼べることを、わたしはよく知っている。と同時に、その繰り返しが自分を時として疲れさせることも。その疲れが非常に贅沢であるということも。贅沢はいけない、不安など間違っている、など、そんなふうには思わない。そういう矛盾を当たり前にはらんで生きていることについて、未だ感想をうまく言葉にできないでいる。

きっとこの疲れは、どこにいても何をしても、誰と生きても、なくならない。素晴らしい旅も、人生を変えるような出会いも、思いがけない災いも、すべては手触りへと還元されていく。誰しもきっと、いつだって少し疲れ続けるのだ。

夏の北海道旅の記録 登別-洞爺湖-ニセコ-積丹-小樽

夏の北海道。文字だけでこれよりわくわくする旅ってなかなかない。

1日目:新千歳→支笏湖→登別→虎杖浜

2日目:虎杖浜洞爺湖ニセコ

3日目:ニセコ積丹→小樽

4日目:小樽→江別→新千歳

〇海(地球岬神威岬

地球岬

曇っていたせいもあるが、空と海の境目がわからなくなるような太平洋。風があるのに静かな景色。

地球岬」はアイヌ語の「ポロ・チケウェ(チケプ)」がもともと正しい名前だったのだそう。「ポロ」は「大きい」、「チケウェ」は「親である」とか「断崖」という意味で、「チケウェ」の音が「チキウ」に転じて「地球岬」となったらしい。つまり「地球」は完全に後付けで、何の意味もない。「地球岬」と名付けることでアイヌ語のもとの名付けが脱色され、観光名所感があるだけの名前になってしまっていることが残念だった。

神威岬

神威岬は明るい。暑いのに風が涼やかだから、どこまでも歩いて行ける気がする。灯台までの遠さすらうれしい。

神威岬はかつて、非常に急峻な山道の岬で、灯台守をする人々の暮らしは厳しいものだったという。もともとこのあたりの海一帯が荒れやすく、海難事故が絶えなかったらしい。よく晴れた日のこんな眺めからは想像もできない。

〇湖・沼(支笏湖倶知安湖、洞爺湖、神仙沼)

支笏湖

支笏湖倶知安湖は正直あまり印象に残っていない。おっきいな~という感想。水は澄んでいるし眺めはいいのだけど、なんだか平らで、絵みたいだった。

洞爺湖

洞爺湖をぐるっと3/4周くらいしてみたが、「とうや水の駅」から眺める景色が一番好きだった。洞爺湖は一周40キロあるそうで、山手線は一周35キロだから、つまりこの湖のなかに山手の内側はすっぽりおさまることになる。

水の駅とは真反対側だけど、洞爺湖のビジターセンター(火山科学館)はめちゃくちゃおもしろいのでおすすめ。湖の成り立ち、湖水の種類、岩石、樹木、鳥、なんでも解説されている。触れる資料も豊富。半日居られる。

神仙沼

神仙沼はこの旅で一番行ってよかったところ。山で、森で、湿原で、好きな空気がぜんぶあった。

 夫とほとりでしばし放心。どれくらい居たかわからなくなるくらい、時間がゆっくり流れる。ただ風の音を聞いたり、水草が揺れているのやとんぼが行ったり来たりしているのを見たりするだけで十分だった。

朝イチで行ったので人にほとんど会わなかったのもよかった。人に会わなさ過ぎて、熊鈴を持ってこなかったことをちょっと後悔した。

〇山(登別地獄谷、大湯沼、昭和新山

地獄谷はいくつかトレッキングルートがあって楽しかった。全部回っても2時間ちょっとあれば歩ききれる。ザ・火山。

個人的には、地獄谷から小さな山を一つ越えた先にある大湯沼が気に入った。青みがかった乳白色の湖面。全体がぼこぼこに沸騰して、湯気がもうもうとあがっている。地獄谷からあまり遠くないし、車でも10分ほどで来られるが、地獄谷より人がぐっと減る。

昭和新山は、洞爺湖に行く途中にたまたま看板を見つけて立ち寄り。ここ自体が観光スポットとして有名ということは知らなかったが、今回見た山のなかではいっとう好きだった。

昭和新山はかなり歴史の新しい山。1944年、ある日突然地面がぼこっと盛り上がり、噴火を起こしてできた。しかもその土地は、それまで人が家を建てたり畑をやったりして普通に暮らしていたところだというのだからびっくりした。43年の12月28日に地震が起きてから、44年の1月4日には集落の水が23℃から突然44℃になって、次の日には洞爺湖に巨大な渦巻きができて、土地が隆起して電車のレールがだめになり……と、かなりのスピード感で事態が進み、その後45年秋までにかけ、断続的に噴火や土地の隆起が続く。昭和新山ができたことで、集落がひとつ消滅してしまったという。当時ここに暮らしていた人たちのことを思うと、言葉がない。

〇牧場(ダチョウ牧場、アースドリーム角山牧場)

第2有島ダチョウ牧場

第2有島ダチョウ牧場。もともと行く予定じゃなかったけれど、ふきだし公園から宿に向かう途中にたまたま見つけて寄ってみたら、よかった。名前の通り、ダチョウしかいない。これだけの数の自由なダチョウを見たのは初めて。

ダチョウは恐竜によく似ている。 すぐに喧嘩したり交尾したり、忙しい鳥。

メモ1:売店にあるダチョウのたまごの黄身だけで生地を作ったどら焼きが最高においしかった。でっかくてやさしい味。

メモ2:ここはその昔、有島武郎とその父の所有する牧場だったらしい。有島文学が好きなので、意外なところで彼の名前を聞けてうれしかった。ニセコに縁のある人だったんですね。

アースドリーム角山牧場

アースドリーム角山牧場。小樽から札幌を抜けた先の、江別という場所にある。広い牧場にポニー放し飼い。ふれあいコーナーには、アルパカ、羊、ヤギ、猫、犬、馬、あとカメ。餌やり100円。禁止事項の張り紙は少なく、代わりに「人間側が注意せよ」という主旨の紙が貼られていて、大変よかった。

夫は牧場に行くと絶対うさぎキャバクラ(ふれあいコーナーのうさぎの抱っこ)に金を払う。どこの牧場も5分300円だが、だいたいゆるいので20分くらい抱ける。二人で行くと係の人は100%わたしにうさぎを渡そうとしてくるので、いつも「いえ、だっこするのは彼です」と訂正する。

一番思い出に残っているのは、ばんえい馬。大きくて、賢くて、やさしい。

〇宿・温泉(虎杖浜洞爺湖ニセコ

一日目は虎杖浜へ。温泉に好んで入るわけではない夫が、めずらしく「ここの温泉、良い温泉だね」と言っていたので、よかった。さっぱりするし、出たあとも身体がずっと温まる温泉。あとで調べたら「日本最高峰」と言う口コミが多くびっくりした。

ニセコの温泉はがっつり硫黄泉。そして激熱。草津那須の熱湯硫黄風呂が大好きな身としてはうれしい限り。ニセコ自体が大きな温泉郷でいろいろな泉質がある珍しい場所なので、好みに合わせて宿や日帰り入浴を選ぶのがいい。

最終日は小樽泊。ここだけ温泉じゃなかったが、ちょっと良いホテルだったこともあり、最高に居心地のいい大浴場だった。高いホテルはいいよ……。本当は運河の見えるホテルをとりたかったが、繁忙期の直前予約はすごい値段になっていたので断念。しかし運河のそばを1キロくらい歩いてみて、運河自体をそんなに気に入った!とは感じなかったので、別に運河のそばじゃなくてよかったなと思い直した。窓から海が見えたのはうれしかった。

メモ:番外編として、洞爺湖わかさいも本舗本店の外にある「手湯」がめちゃくちゃよかった。気持ちよすぎて一生手が抜けないかと思った。鳥の水飲み場か?というレベルに目立たない感じで置いてあるのだが、この手湯に出会えただけでわかさいも本舗本店に行った意味があった(気持ちよすぎて写真は撮り忘れた)。洞爺湖も温泉街なので、いつか泊まりに来たい。

〇ごはん

港町で2300円出して海鮮丼を食べた。別の町ではお寿司も食べた。たしかにおいしかった。が、香川でうどんを食べたときのほうが相対的な感動度合いは高かった気がする。東京でも、お金を出せばおいしいものは食べられる。そう考えると、2300円の海鮮丼や数千円のお寿司を食べるという体験において、「北海道だからこそ」という驚きがもっとあってほしかった、というのが正直なところ。その点、香川のうどんや前回の北海道旅のサフォークは、忘れがたい体験だった。

この旅で思い出に残っている食体験は、別の港町で食べたイタリアンと、バーのカクテル。

イタリアンは野菜も海鮮も新鮮だったのに加え、何よりシェフの腕がめちゃくちゃよかった。本当に何を食べてもおいしい。ただ、客の目の前でスタッフを叱り飛ばして嫌味をぶつける人だったので、入ったときは120%失敗したと思った。

バーは、地のお酒を使ったカクテルがたくさんあって楽しかった。リンゴが有名な余市のアップルブランデーを使ったカクテルをいただいたが、これ一杯で1時間はゆうに過ごせるほどにすばらしい経験だった。また行きたい。

〇その他

  • わかさいもは芋の餡が入っているとばかり思いこんでいたが、実は違って豆の餡に芋の筋に見立てた刻み昆布が入っているらしい。どうりでちょっとしょっぱい。その昔、北海道は風土からサツマイモが作るのが難しかったが、焼き芋を表現したいと考えた人が考案したらしい。
  • 朝、宿でNHKをつけていたら、ブルース・リーの特集が始まった。そのなかで、"Be water"という彼の言葉が紹介されていて、なぜかいまも耳に残っている。すでに何度も出会っているはずの言葉が、あるとき突然意味を持って自分のなかに種をまき根をおろすことは、いつだってどこでだってある。
  • 帰ってきたら植木鉢のバジルがしおしおになっていたが、夜に水をたっぷりやったら、次の日の朝にはしっかり元気を取り戻して背筋を伸ばして葉がはりはりになっていた。ハーブの生命力強し。

夫の空弁、1600円

支笏湖でSUPをしていた犬。犬も板に乗るの。

暮らしにカジュアルに河童が出てくる北の大地

ポロ・チケウェから神威岬に向かう途中にわたった大きい橋

この旅のベストショット、ポニーと夫

北海道のアジサイはこの時期に見頃らしい

うまい水のどばどば出るふきだし公園、高台の上までのぼるのがおすすめ

札幌味噌ラーメン(味、ふつう)

AIR DOのスープは最高。よくばってホタテスープとオニオンスープを両方もらう

 

2023夏の始まり、日々の記録

見返すわけでもないのに、日記を書いたり、写真を撮ったりする。記録は、鮮度を保存するためだけに為されていい。

===

自分のためだけの2連休が必要。労働者でも、妻でも、友人でも、娘でも、先生でも、先輩でも後輩でもない、どの名前も背負わなくていい一日が。

今日はたまたま夫が仕事で終日不在で、わたしも終日ひとつの予定も入れずにいて、本当に久しぶりに、すべての社会的立ち位置に立たない一日だった。

朝いつもより2時間長く寝て、起きて、よく晴れたので洗濯物を4回回し、回しながらずっと文章を書いて、昼過ぎ。筋トレをして、ご飯を食べて、少し勉強したら夕方。今日このあとやることは、買い物に行って、夕ご飯を作って、走りに行って、夕ご飯を食べて、部屋を片付けて、お風呂に入る。こういう日が2週間に一回はないとだめだとわかった。

===

ツイッターからの移住先として候補に挙がっているSNS紹介ツイートに、知らない人同士が各々あそこがいいここがいいと言い合っている。「移住先で会おうね」という約束は、果たされればうれしいし、はたされなければ気持ちいい。守られても破られてもいい約束というのは、いいものだと思う。

===

見た目のうつくしさ、とりわけ整った顔立ち、均整のとれた身体、そういったものが魂のうつくしさや高潔さには何の関係もないのだということをいい加減わかりたい。頭だけでなく、心でも。

見目うるわしいものに心がつい惹かれてしまうのはどうしてなんだろう。反対に、うつくしい魂を持つ人の見た目を、そのうつくしさと重ね合わせるようにして見てしまうのも。

精神性は美を超えている。というよりも、美醜で隔てられるようなところに精神性は在りえない。だからわたしが、目に見えるうつくしさに高潔さを見出すようなとき、それは単なる勘違いなのだ。ということを、頭ではわかっているのに、見えないものと見えるものを重ね合わせてしまう癖がどうにもやめられない。

===

久しぶりにユニクロのMサイズのシャツを着ようとしたら、肩回りがパツパツで全然入らなくなっていてびっくり。Lでもモノによってはきつい。メンズMサイズがちょうどよかった。ここ1年ほど背中や上腕の筋トレに力を入れていて、デコルテから上腕二頭筋にかけてしっかりしてきたな~とは思っていたが、いやはや。あと背がまだ微妙に伸びて続けている。20代の10年間で3センチ伸びてる。成長期が終わらない。ユニクロMサイズ=日本人女性の平均的な体格のはずなので、背も骨格も平均からはみ出つつあるのだなと実感した日。

===

衣替えのように、台所も季節によって模様替えをしたほうが使いやすい。もうしばらく熱い緑茶やハーブティーは飲まない。ティーポットは奥にしまっておく。今年こそは水出しアイスティーが作れるボトルを買おうかな。