
8月の終わり、祖母が亡くなった。ほんとうに突然のことだった。
訃報を受けたのは、仕事の最中だった。母から唐突に「東京のおばあちゃんが亡くなりました」とだけ連絡が入り、あまりの思いがけなさに、目の前の文字が一瞬にして奇妙な線の組み合わせへと分解されたかのような錯覚を覚えた。
「東京のおばあちゃん」とは、父方の祖母である。数年前、夫(つまり祖父)を亡くしてから急激に認知症が進み、それでも毎日ヘルパーさんに来てもらったり、伯母がこまめに足を運ぶなどして頑張っていた。しかしいよいよ独力での生活が立ち行かなくなり、今年の梅雨入り頃に、二子玉川の近くのきれいな老人ホームに入ったばかりだった。えらく金のかかる、しかし人気のある施設だったようである。伯母が見学に行ったら、その場で「つい昨日、急に空き枠ができたが、すでに数人から入居希望の連絡が入っている。今日中の申し込みなら入居枠を押さえることができる」と言われたらしく、あれよあれよという間に入居が決まったのだった。つまりそれは、昨日一人の人が亡くなったということなのだろうが、「そんなノリで入居が決まるんだ」と妙な心持になったのを、つい昨日のことのように覚えている。
祖母はとても素敵な女性だった。もともとはバレーボールの選手であったからか、手足が長く、背筋がしゃんとしていた。ひまわりの花のように笑う、カラッとした気性のひとだった。料理が上手で、遊びに行くと毎度朝から手の凝った料理を作って待っていてくれた。公園にもよく遊びに連れて行ってくれた。とにかく愛情深かった。運動をやっていただけあって、いつもよく動く人だったが、少しおっちょこちょいなところもあった。昔、遊びに連れて行ってくれた公園で小さな川を飛び越えようとして、足をくじいたこともあった(そのとき6歳だったわたしは、大声で助けを呼びながら、祖母を川の淵から力の限り引っ張りあげたのだった)。その後、祖母は何年も繰り返しこの話をしては、「あのときは、びっくりしたねえ」「でも、鹿ちゃんが助けてくれたんだよね」と、ひまわりの笑顔で笑うのだった。
祖母は、認知症でこそあったものの、体は元気だった。おっちょこちょいなので、小さなケガはときどきしていたが、大病もせず、90歳を超えても掘りごたつの座敷席に自力で立ったり座ったりできるほどだった。だから施設に入ったとはいえ、何の前触れもなく祖母が死んだと聞いたとき、何かの間違いではないかと思った。つい先週も、実家の家族が様子を見に行って、元気そうだったと聞いたところだったのに。
祖母は、死に方も祖母らしかった。いつもと変わらずに朝ご飯を食べ、数十分後に看護師が朝の体調チェックに来た。そのとき、心拍が少し弱くなっていたため、施設は念のためと伯母に連絡をして、救急車を呼んだ。その時点では会話も普通にしていたらしい。しかし、救急車が来たときにはすでに心肺が止まっており、蘇生措置を施されるも、息を吹き返すことなくそのまま亡くなった。ついさっきまでいつも通りの日常を過ごしていたのに、ほんの数十分のあいだに苦しむことなく、まさに「お迎えが来た」ような鮮やかさで、この世界からいなくなってしまった。伯母も、「少し心拍が弱いので、これから病院に連れていきます。できればすぐ来てもらえないでしょうか」という電話をもらった30分後に施設に駆け込んだら、まさか目の前で心臓マッサージをされているとは思いもしなかったと言った。
余談だが、この伯母のこともわたしは大好きである。目鼻立ちのくっきりした美人で、いつもきっぱりした口調で喋り、せっかちで、好き嫌いがはっきりしており、服やメイクのセンスが抜群にいい。祖父が亡くなったとき、葬儀の打ち合わせで式場スタッフに「お花の色はどうしますか?男性なら、青や紫がおすすめですが…」と言われた彼女は、「そんな辛気臭い色はイヤ。一面ピンクの祭壇にするのはどう?」と言い放ち、結果、祖父はピンクのガーベラやらカーネーションやらに囲まれて旅立った。しかしその祭壇は祖父の温かさや優しさを映しているかのようで、とてもいいものだった。祖母がひまわりならば、伯母は大輪の真っ白な百合である。
祖母の葬儀は、5日後となった。気持ちの整理もつかぬまま、慶弔休暇を慌ただしく申請し、クローゼットの奥に押し込んでいた喪服を引っ張り出した。東北へ単身赴任中の父も、折よく亡くなった当日に東京に戻ってくることができ、そこから葬儀の日までは、伯母とともに東奔西走していた。
葬儀の当日、朝から灼けるような暑さの中、実家の家族と車に乗って葬儀場に着いた。前日の湯灌には伯母と父が立ち会っていたが、それ以外の家族はその日、亡くなった祖母と初めて対面するのだった。顔を見たら悲しくなってしまうだろうなと思い、棺の前に来ても、しばらくどうしても中を見る気になれなかった。しかし、最後のお別れでまともに顔を見ずに送り出して、後悔したくはない。やっと意を決して、母と妹と、3人で棺のなかを覗き込んだ。
顔を覗いて、一同、しばらく無言になった。
そこにいたのは、祖母ではあった。が、ぱっと見で祖母とあまり思えない面立ちをした人だった。じっと見れば、こめかみの曲線や、額の広さや、鼻筋や、顎のかたちの一つひとつは祖母なのだが、それらがまとまった集合体としての顔が、どうにも祖母とは思われないような印象を受けた。なんというか、全体的に雰囲気が少女のようで、ちょっとドリーミーなのだ。生きていた祖母がひまわりならば、死んだ祖母はマーガレットのようだった。
「おばあちゃんって、こんな顔だったっけ…?」
と思わず声を漏らすと、母と妹は、半笑いとも何ともつかぬ顔になって
「おばあちゃん、だよねえ…?」
「まさか間違いってことはないと思うけど…」
と言い合った。
棺桶の中で人が間違っていたらおおごとである。そんなわけはないという思いと、しかし、目の前の死に化粧を施された顔がどうにもすぐには祖母と思えないという事実とのあいだで、わたしたちはどんな感想を持っていいのかわからず、悲しみどころをうっかり逃して、横たわった祖母を眺めていた。
そこに、伯母一家が到着した。せかせかと大股で歩いてきた伯母は、こちらを見てニコッと微笑み、「来てくれてありがとうね!」と大きな声で言った。そして、棺の前に立つわたしたちを見て、
「ね、お母さん、すごくかわいくなったでしょ? ちょっとね、暑さもあって、お顔の崩れが気になったから、納棺師さんにお願いして、お化粧をね、すごく可愛くしてもらったの。お母さんって、あんまり化粧しない人だったから、メイクするとこんなに変わるんだ!って、もーびっくりしちゃって。あたし、途中からちょっと楽しくなっちゃって、色々注文つけたら、こんなに綺麗にしてもらって。せっかく最後だからね。ちょっと可愛くなりすぎちゃったかしら。でも、いいわよね」
と、百合の笑顔で言った。
その言葉を聞いて、笑ってしまって脱力すると同時に、悲しみがようやく胸の中に染み込んできた。「おばあちゃんが急に死んじゃってさ、びっくりして、悲しかったんだけど、でも、死に顔がすごく可愛くなってて、最初別の人なんじゃないかって思ってちょっとみんなで笑っちゃってさ、でもやっぱり、死んだのはわたしのおばあちゃんで…」という一連の出来事は、わたしにとって、少しおかしくて、とても悲しいことだった。
葬儀はつつがなく進行した。火葬室のなかに棺が入れられる直前、女性陣はぽろぽろ涙をこぼして祖母の額や頬に触れ、男性陣は別れの言葉を呟いた。わたしは、顔だけもう一度見て、泣きもせず、触れもせず、言葉もかけず、祖母を見送った。それがそのときの自分にできた、精一杯の見送りだった。
1時間半ほどして、祖母は銀色の台に乗せられて帰ってきた。両手を広げたほどの面積の中に、祖母のすべてが収まっていた。式場のスタッフが、大きく太い骨を丁寧につまみあげ、「こちらは大腿骨です。女性にしてはかなり大きく、立派ですね。しっかりしたお骨です」と説明してくれた。
手際よく骨をかき集めるスタッフを見ながら、ふと祖父の葬儀でのある場面を思い出した。
祖父が亡くなったとき、わたしたちは同じように、火葬室の扉の前にいた。祖母はそこで最後に祖父の額に触れ、「つめたいつめたい、つめたーい」と子どものような声で小さく呟いた。誰に聞かせるでもない、独り言のような響きだった。そして、無機質な扉が閉まると、泣きはらした顔をふっと上げ、「あーあ、こんなときでも、お腹は空くね」と、わたしのほうを向いてにっこりと笑ったのだった。あのときわたしは、なんと返したらいいのかわからず、黙って祖母の目を見つめ返すしかできなかった。
祖母の棺に花を入れたとき、ほんの一瞬触れた首元はやはり冷たかった。そしてわたしも、あの扉が閉まったとき、確かにお腹を空かせていた。わたしは数年越しに「ほんとうにそうだね」と心の中で微笑みを返し、真夏の陽のもと、祖母の肋骨を壺に収めた。

































