汽水域

海水と淡水のあいだ

作文・読書感想文の書き方 ~鹿の巻~

夏ですね。夏休みはどうして読書感想文を書かされるのでしょうね。普段から10代の人々に文章を教えているので、備忘録を兼ねて「読書感想文の書き方」をまとめてみました。

 

〇 作文の話

・読書感想文=「作文」の一種

・では「作文」とは?

→ 自分が経験したこと(読んだ、行った、食べた、取り組んだ、関係したetc)について、読み手にそれを伝える文章。

… つまり読書感想文とは、「自分の”読む(読んだ)経験”について書く」文章である。

・では、「よい作文」とは?

→ いろいろ定義できるが、個人的には

― 読み手がおもしろいと感じられる文章

― 書き手が「自分の伝えたいことを伝えられた」という手ごたえを感じられる文章

と考えます。

・「感想文」とは?

→ それに触れたことで自分の心のなかに起こった動きについて書く文章。

EX)「金閣寺をきれいだと感じた」「運動会で隣のクラスに負けて悔しかった」「主人公の強い意志と不屈の精神力に自分も励まされた」などは「心の動き」ですね。

・では、「よい感想文」とは?

→ これもいろいろ定義できるが、個人的には

― 読み手が、書き手の心の動きに共鳴、納得、驚きやおもしろさを覚える文章

― 書き手が、心のうちを率直に表せたと感じる文章

と考えます。

 

〇 読書感想文の書き方

・読書感想文すなわち作文には、目指すべきゴールがあるわけではないので、基本的には上記の考えに則り、内容、文体含めて自由に書いてOK。

・しかし、「自由に書いてOK」が不自由に感じられるのであれば、以下を手掛かりに内容や構成を考えてみると、アイデアが浮かびやすくなる。

・先ほども述べた通り、読書感想文は「読む(読んだ)経験」について書く文章であり、本を全部読まずとも書いてよい。短くても、「自分の読書経験」について書くことが大切。

 

1.その本から得た発見と、読む前と読んだ後の変化について語る

・本を読むということは、それまで知らなかったことを知ること、すなわち「発見」の経験と言える。「知らなかったこと」とは、知識だけでなく、物事のとらえ方や感じ方、他人の経験なども含む。

・そして「発見」は「変化」につながる。

・その本を通してどんな発見を得たのか、まずは書き出してみよう。その際、「何がどういうことだとわかった」「何についてどういうことがわかった」という書き方をすると、あとで感想文の材料として使いやすい。

・そしてそれらの発見に対し「へえ~そうなんだ」「なるほど、そういう考え方があるのか」と感じたら、それが自分の何か身近なことにも通じないか、考えてみよう。

・これは読書の醍醐味でもあるが、その本を通して得た発見が、自分の普段の暮らしにも通じていたり、その発見を応用できたりすると、それはとても愉快だ。

・だから、そのことについて少し考えてみよう。

・ポイントは、

- どんな発見が自分を変えたのか

- 変化する前と後はそれぞれどのような状態であるか

- 「自分のこと」にどう結び付けられるか

について具体的に書くこと。「変わる」ということは、変わる前と変わった後の両方の状態があるということなので、その両方を示して初めて「変わった」ということが説得力を持って読み手に伝えられる。

・ただし、「変化」について「今まで知らなかったことを知れた」だけで終わらせてしまうと感想文にはならないので注意しよう。

 

2.その本の魅力について語る

・読んだ本が気に入った場合、その本の魅力について語るのは、とても楽しい経験になる。

・特におもしろく感じられた部分や、心に響いてきた部分は、その部分の文章を一度まるっとノートに書き写してみてもよい。なぜそれが自分の心を揺らしたのか、シンプルな言葉でよいので、書き出してみよう。

・あるいは特定の部分を切り取らずとも、その文章が構築する世界のうつくしさやあざやかさに魅せられたり、文章全体からほとばしる熱量に刺激されたり、ということもあるだろう。

・魅力について語る際に大切なのは、心が震えた「自分」にもまなざしを向けること。

・「”なぜ”自分は心を動かされたのか」という、「感じる自分」や「そう感じた理由」についても、文章で読み手に伝える必要がある。

・この「感じる側の自分」についても説明しないと、「おもしろかった」「感動した」「すごかった」という平らな感想文になってしまうので、注意すること。

 

3.その本に対する違和感やおもしろくなさについて語る

・読む本すべてがおもしろい人生というのは、つまらない人生だ。おもしろくない本に行きあたるからこそ、おもしろい本の価値がより一層感じられる。

・…なんていう講釈はいいとして、「この本に書いてあることには、なんだか違和感を覚えるな」「あまりおもしろいと思えないな」と感じたときは、素直にそう書いてよい。

・大切なのは、先ほどと同じく、「どんなところに」「なぜ」そう感じるのかについて読み手に説明すること。

・もうひとつ大切なのは、違和感や引っかかりを覚えたことに対して、「自分はどう感じる・思う・考えるのか」を掘り下げてみること。そして、その「感じた・思った・考えたこと」を、一つひとつ丁寧に説明しよう。

・「つまらないな」と感じた物語であれば、どうしたらもっとおもしろくなるかを提案するのもよい。

・そこからさらに、「つまらない物語の特徴」と「おもしろい物語の特徴」をそれぞれ考えて説明できると、読みものとしておもしろいより感想文になる。

 

〇 読書感想文を書く際の注意点

*本の紹介文にしないこと

・読書感想文は「自分の読書体験について述べる文章」であって「本の紹介文」ではない。

・「何が書かれていたか」に字数を割くのではなく、「どんな経験をしたのか」に字数を割こう。

 

*「ひとつ」「多くてもふたつ」に絞ること。

・取り上げる内容が多すぎると、一つひとつの内容が薄くなるだけでなく、書いているうちに考えが混ざって頭の中がごちゃごちゃになり、書くこと自体イヤになってしまうことがある。

・なので、文章の中に「いいな」と思える部分がたくさんあったとしても、まずはどれかひとつに絞ろう。

・ひとつについて語りつくして、それでも字数に余裕があるようなら、もうひとつ取り上げよう。

 

*あえてポジティブな感想を書こうとしないこと

・「おもしろかった」「感動した」のような、ポジティブな感想を書くのが感想文だと思っている人は多い。

・しかしそればかりが感想ではない。「つまらなかった」「全然共感できなかった」と思うことも、そう書くことも、まったく問題ない。むしろ、ネガティブな読了感に対して、「なぜそう感じたのか」を説明できれば、作文として非常におもしろいものに仕上がることが多い。ただし、理由を説明せずに「ここがつまらない」「あそこがつまらない」と繰り返すのは感想文としての質が低くなるので、よしておこう。

・「良いことを言わなきゃ」という意識は取り外す。原稿用紙のうえでは、すべてが許され、歓迎されている。

 

*「書けない」という気持ちは即座に打ち消すこと

・「自分は文章を書けない」「自分は書くことが苦手だ」という思いこみが、文章を書く上での一番高い壁だ。

・「書けない」という気持ちが少しでも顔をのぞかせたら、その瞬間にその気持ちを全部吹き飛ばして、「書ける書ける書けるぞー!」と大声を出し、ペンを握り、なんでもいいから一文字目を書いてみて。ばかみたい、と思うかもしれないけれど、これでほんとうに書けるようになるから。

 

〇 よくある質問・相談

・あらすじって書かなきゃダメ?

→ あらすじは、感想文の読み手に話の筋を伝えることと、「わたしはこの本をちゃんと読みました」と先生にアピールすることが目的であるので、こと細かに書く必要はない。「〇〇について書かれている本だ」程度でもよい。内容の一部を具体的に内容を説明することで自分の感想をより鮮明に読み手に伝えられるのであれば、そこを切り取って少し詳しく説明しよう。

・起承転結って守らなきゃダメ?

→ まったくそんなことはない。冒頭の通り、作文とは「読み手が読んでおもしろいもの」であることが大切であり、起承転結はその「おもしろみ」を演出するひとつの手段に過ぎない。個人的には「起、転、転転転!…結と見せかけさらに転、承、承、結」みたいな文章もおもしろいと思う。「起承転結」にはとらわれなくてよい。

・文章を書くのがすごく苦手なんだけど…。

→ まずは原稿用紙の半分、200字で「言いたいことだけ好き勝手言う(書く)」練習から始めよう。これを5回くらいやると、400字~800字(原稿用紙1~2枚分)がかなり書きやすくなる。大切なのは、この200字作文に取り組む際は、とにかく何も気にせず、書きたいことだけを書くこと。文法や誤字脱字も気にしなくてよい。ただ言いたいことだけを書く。本についての話ではなく、友達のことや好きな遊びのことについてでもよい。

・一行目が書き出せない。

→ 「この本は、〇〇について書かれた本だ」から始めてみよう。あらすじを続けてもよいし、感想の本題に入ってもよい。本題に入る場合は、以下のように続けてみよう。

 

1.で書く場合

「この本はわたしに~~~ということを教えてくれた」

「この本はわたしの〇〇についての見方(感じ方・捉え方)を変えてくれた」

などと続けてみよう。

そして、「発見」や「何がどう変わったか」の説明に移ろう。

 

2.で書く場合

「この本の最大の魅力は…」

「わたしがこの本の中で最も気に入ったところは…」

などと続けてみよう。

あとは1.と同じく説明に移ろう。

 

3.で書く場合

「この本は、正直なところ、これまで読んだ本の中で一番目か二番目につまらなかった」

「この本で筆者は〇〇〇と言っているが、わたしは、XXXではないか、と思った」

などと続けてみよう。

そして1.2.と同じく説明に移ろう。

 

以上、超・個人的な作文・読書感想文の書き方の備忘録でした。春夏秋冬本はおいしいが、夏という季節をきっかけに感想文を書く経験ができるのはいいことだと思う。児童生徒のみんな、がんばってください。

香川県丸亀市という土地

尾道今治しまなみ海道を走ったあと、前々からずっと食べたいと思っていたものを食べに行くことにした。香川のうどんである。

香川といえばうどん、うどんと言えば香川、というイメージは小学生のころからあった。けれども四国を旅行する機会がなかなかなく、食べてみたい食べてみたいと思いつつ、「わざわざうどんのためだけに行くのもな…」とずっと保留していた。しかし今治に着いたとき、「そういえば愛媛と香川は隣だった」と思い出し、鈍行列車で丸亀まで足を延ばすことにした。

日本一小さい県とは言え、香川だってそれなりに広い。県庁所在地の高松に行けばまず間違いなくうどんは食べられるだろうが、香川に来てわざわざ都市に出ていくのも野暮な気がしたので、今治から見て高松の手前、丸亀に行くことに決めた。丸亀製麺で有名な丸亀であればうどん屋はあるでしょう、という見立てだけで、特に下調べもせずに出発。

結論、行ってよかった。たった数時間の滞在だったけれど、丸亀という土地の空気や食べものは好きだなと思った。

〇うどん

丸亀に着き、Googleマップを頼りにうどん屋を探す。駅から徒歩10分圏内に数軒あったので、中でも一番評判の良いところを選んだ。ちょうど正午を過ぎたくらいで、店の外にまで10人近く行列していたが、回転が速いのでものの5分で店内に吸い込まれた。

かけうどん250円、ぶっかけうどん290円、牛肉なんかが乗ったのは300円台から400円台。揚げ物やいなりずしが120円。やすい。そして予想をうらぎらずおいしかった。東京でも同じくらいおいしいうどんを食べたことはあるが、「本場でやすくおいしくお腹いっぱい食べる」という経験がおいしさをいっそう印象深くしてくれる気がする。

一軒だけではもったいないと思いもう一軒。「年季」と「小汚い」のギリギリのラインを攻める店構えに、意思疎通があまりうまくいっていない老夫婦により営まれているお店だったが、釜玉うどんはしっかりおいしい。300円。後で調べたら直近の口コミでめちゃくちゃに悪口を書かれていたが、自分で飛び込んでみないとわからないことがたくさんあるなとあらためて思った。

うどん屋

それにしても、地元で愛されているうどん屋にはほんとうに色々なお客さんが来る。地銀のモダンな制服を着たOL、作業着を着た現場監督者風のおやっさん、子どもを連れた家族、ピアスとシルバーアクセサリーをジャラジャラつけたパンク風の若者、歩行器のおばあちゃんと車いすのおじいちゃん夫婦、わたしのような旅人。そういう人たちがひっきりなしに入れ替わり、みんな目の前のうどんを熱心にすすっている。噛みごたえがあるから、必然食事中もずっとモグモグしていて、喋ることはほとんどない。うどんをすするとき、老いも若きも皆が目の前の一杯に真剣に向き合っている感じがして、店の中全体にうどんトランスめいた空気感があった。

しかしそれにしても香川県人、すごい速さでうどんを食べる。わたしも食べるスピードは決して遅くないほうだが、こっちが一口を口に入れて飲み込むまでのあいだに、三口くらい食べている。初めての本場のうどんを味わいたい気持ちで多少ペースダウンはしていたかもしれないが、一杯食べ終わる間に隣で食べている人が2回入れ替わりびっくりした。以前、香川県民は糖尿病患者の数だか死者数だかが全国のワーストで、それは日頃からうどんをあまり噛まずに食べまくっているせいではないか、みたいなニュースを見た気がするが、実際に現地入りすると、たしかにそうかもしれないと思わざるを得ない迫力があった。

〇丸亀うちわ

丸亀に行ってから初めて知ったのだが、丸亀はうちわが有名らしく、漁港近くにうちわミュージアムなるものがあった。そのときはへぇと思って通り過ぎたが、帰り際に駅近くの土産物屋に寄ったら、店一面うちわうちわでびっくりした。愛想のいいよく喋るおばちゃんいわく、なんでも全国のうちわの7割は丸亀産らしい。一本の竹を細く割いてその両面に和紙と布を張った丸亀うちわを作れる職人は、丸亀にももう二人しかいないという。「あおいでみて。かろやかな風がくるでしょう」と言われあおいでみたところ、たしかに街中で配っているうちわとは風の感じが違う。何よりうちわの手馴染みがよくて軽く、風は涼しいというよりも気持ちいい。職人の手仕事ってすごい、と思い、敬意を表して一本購入した。

 

どこから来たのかと聞かれ、しまなみ海道を走ってきた話をした。おばちゃんは目をキラキラさせて「すごいすごい!写真見せて!」と言うので、スマホで撮った写真や動画を見せたら、夢中になってそれらを見つつ、右手はずっと丸亀うちわであおいでくれた。その仕草がなんとも手馴れており、素敵だった。きっとおばちゃんにとってうちわをあおぐことは子どものころから当たり前にしている日常の動作なんだろうな、と思った。

丸亀城

電車まで少し時間があったので、付近をぶらぶらしていたら、丸亀城と書かれた看板を見つけた。高松に高松城があることは知っていたが、丸亀にもお城があるとは知らず、どんなものかなと思い、看板の指すほうへ歩いてみた。しばらく歩くと、広い道路のあいだから突如濠と高い石垣が見え、かなり高くのほうにちんまりと丸亀城が鎮座していた。石垣は高いわりに丸亀城はほんとうに「ちんまり」という感じで、かわらしかった。けれども、きっとこのお城は丸亀に住む人々にとって大切なシンボルで、丸亀城はあの高さからやさしく、しかししっかりとこの街を見守ってきたんだろうな、と感じた。土産物屋のおばちゃん曰く、丸亀城は4年前の大雨で石垣が一部崩れてしまい、今も修復がされていないらしい。石垣を治す職人たちが同じ大雨で崩れた熊本城の修復に出払って、丸亀城は後回しとなり、しかし熊本城の修復が終わったから、やっと丸亀城のほうの修復が始まるんよ、とおばちゃんはうれしそうに言った。フィルムカメラで撮り、現像がまだなので写真はないけれど、いつか追加でアップロードしておきたい。

 

丸亀、おすすめです。この夏、旅行の行先に迷ったら、ぜひ丸亀へ。すぐそばが瀬戸内海で、電車も高松から愛媛の松山にかけて走っているので、飽きても行先には困らないはず。うどんとうちわとかわいいお城、大きな港、たくさんの船。丸亀よいとこ、一度はおいで。

映画『神々の山嶺』「そうとしか生きられない」人へ

※ ラストシーンに言及しています ※

映画『神々の山嶺』公式サイト

神々の山嶺」観てきた。山映画は基本全部観る。観てよかったと言える作品であったことがひとまずうれしい。あの尺の中で、山を登る人の抱える業が感傷に塗りたくられず描かれていたところや、骨太で繊細な画で山の大きさとうつくしさが表されていたところ、などなど。言葉での説明が少なくとも、よく伝わる映画だったと思う。

山映画というとだいたい山好きしか観に行かないが(実際、自分が観た回のお客さんの半数以上は山に登っていそうな中高年男性だった)、この映画は、登山に限らず「そうとしか生きられない」生を生きている人にぜひ観てほしいな、と思った。

かつて山に帰りたくて帰りたくて頭がおかしくなっていた時期があるので少しだけわかるのだが、山に憑かれた人にとって、登山やクライミングは時として「そうとしかあれない」生き方そのものになる。山に限らず、たとえば芸術や研究の深淵に引きずり込まれた人もそうなのかもしれない。人はとても大きなものに憑かれると、「したい」という思いではなく、理由も正体もわからない衝動、「せざるを得ない」に従うしかなくなってしまうことがある。

「せざるを得ない」人は、ノーブレーキ全速力で崖っぷちに突っ込んでいくような生きざまになりがちだから、周りからたびたび「なぜそんな道を選ぶのか」と問われる。そしていうまでもなく、何度も自分自身にこの問いを向けることになる。しかし答えは見つからない。そうとしか生きられない自分を抱えて生きていくことがひどくどうしようもなく感じられるのは、そこに理由が見つけられないからだ。命があることや生きることはそもそも理由の上に成り立っていないけれど、わたしたち人間の社会は理由と約束で営まれるものだから、不合理に見える行動や選択の理由が見つけられないと、社会的な生きものとしての苦しみはどんどん積み重なっていく。

しかし、自分の選択は意志や考えを超えたものによるのであり、大きなものの前には理由などなく「せざるを得ない」のだ、という諦めがついたとき、そこで初めて見える景色が、拓かれる道が、きっとあるのだと思う。この作品は、そんな道を往く人の物語だった。

 

映画のラストシーン、羽生が残した

フィルムを現像すれば、(マロリーがエベレストに初めて登頂した人物であるかどうかの)真実はわかるかもしれない。しかしその真実に、「なぜ登るのか」という問いの答えは見つからない。

登る意味を求めることは意味がない。ただ登ることに生かされている。

これらの言葉に、この映画で知るべきことのすべてが詰まっている。「なぜ登るのかと問うことには意味がない」とは、彼自身が「なぜ登るのか」を繰り返し自問自答するなかで「登らざるを得ないからだ」という諦めに近い肯定に着地するしかなかったからなのだと思う。理由や物語の力を借りず、ただそれをそれとして受け入れたとき、彼が道を見つけたのではなく、道が彼を見出し、彼の前に景色を拓いたのではないだろうか。

生きると生かされるは、同じことなのか、違うことなのか、生きているわたしたちにわかることはきっとない。けれども、そのわからなさを言葉で彩らず、ただ「山を登り続ける」という表現の仕方で生を全うした羽生を、強くうつくしいと思った。

わかるまで何度でも言うしかないさ

わたしは覚えたことをけっこうすぐに、割と何度も忘れる。忘れる→思い出す(学びなおす)のプロセスを複数回踏まないと、だいたいのことが定着しない。

物事を学んだり覚えたりすることをあまり苦に感じないのがせめてもの救いだが、忘れるたびに「なんだっけ」とメモを見返し、「おおそうだった」と思い出し、少し放っておくとまたすぐ忘れて、、、を繰りかえしていると、ときどき自分が嫌になる。なんでこんなにすぐに忘れちゃうんだろう、めんどうくさい、これからもたくさんのことを何度も忘れて、思い出して、を繰り返さなきゃなのか…と思うと、たまに暗い気持ちになる(特にお腹がすいているとき、体調がよくないとき、天気が悪いとき)

そんなときはだいたい、ボスの言葉を思い出す。

わたしの仕事のボスはかなり直情な人で、エネルギッシュで、存在感がある。もう10年近い付き合いになるが、最初の頃は自分の至らなさが彼をいつ怒らせるかと、ひそかにけっこうビクビクしていた。けれどもここ数年、特に彼の直下で働くようになってから、彼は「言ってもわからない」に対して決して怒らない、ということに気がついた。他人の「またかよ」なミスに対し、少し強い口調で注意することはあるが、努めて怒らないように見えるし、「またかよ」とは(少なくとも表立っては)絶対に口にしない。

あるとき、「何度も同じミスをされることや、何度言ってもわからない人に腹が立ったりしないんですか」と直接尋ねたことがある。そしたら彼は、「わからないなら、相手がわかるまで伝え方をたくさん工夫して伝え続けるしかないよね。怒ってその場で言うことを聞かせることはできても、それは伝わったことにはならない」と言った。

それを聞いて、単純だけどなんだかすごい、と思った。確かにそうだ。わからない、覚えられないなら、わかるまで言い続けるしかない。伝えたいことが相手にほんとうに伝わって、それがその人のものになるまで、何度でも伝えるしかないのだ。それを途中で諦めてしまったら、「物わかりの悪い人」「いつも注意してくる(ちょっと苦手な)人」「何度言われてもできない自分」の三者が誕生するだけで、事態は何もよくならない。であれば、「わかるまで何度でも伝える」しかなく、そして相手にわかってもらうためには、怒りという銃を下さなければならない。

ボスはいつもけっこうおもしろいことをたくさん教えてくれる人で、この教えはいまもわたしの考え方に大きな影響を与えている。

 

というわけでわたしは今日も今日とて何かを忘れ、メモを引っ張り出しては思い出そうとしている。ときどきメモすら紛失して、ア゛~…と呻いてしまうほど全部が嫌になることもあるが、最近はダイニングテーブルの面する壁にメモを貼ったり、メモを読みながら3回復唱したりしている。実際の効果のほどはわからないが、「わかるまでやろうと努力している」という事実は、地味に自己肯定感を支えている気がする。ああまた…と憂鬱の雲が沸き立ちそうになったときは、「わかるまで何度でも言うしかないさ」と笑うボスのことを、だいたい思い出している。

主訴「痛み」での緊急搬送

深夜2時に救急車で搬送された。ここ数日どうにも内臓や全身が痛く、立ったり座ったり寝たり起きたりだましだましやっていたが、昨晩の深夜過ぎにいよいよ眠れないほどの激痛になり呼吸も怪しくなったので、救急相談センターに相談したところ、即救急車となった。

とにかく全身が痛い。筋肉も関節も痛く、数日前は加えて胃腸が、昨晩はあばらの内側が痛くてのたうちまわっていた。食欲もなく、しかしその割に嘔吐や下痢はなく、ただ全身に激痛が走っている。痛みには波があり、熱も出たり出なかったりだが、高くても37度程度で、PCRも受けたが陰性だった(余談だがこの24時間で2回の抗原検査と3回のPCRを受けた。鼻の奥に綿棒を入れるのはうまい人とそうじゃない人がいるとよくわかった)

搬送先で血液やら心電図やら一通りの検査を受け、医師3名にあれこれと色々聞かれ、ひとつひとつにできる限り正確に答えたが、所見では異常なし。主訴が「ときどき移動もする全身のひどい痛み」であることに、彼らも困っていた。爪先から頭まで身体中を押されたりさすられたりしながら、「ここは痛いですか」「これはどうですか」と聞かれ、「ズキズキ痛いです」「あまり変わりません」などと答えるごとに、ああ、痛みというのはむずかしいものなんだなあと実感した。

「痛み」はどこまでも主観だ。血を採ったりレントゲンを撮ったりして出てくるのは数値や影などであって、「痛み」ではない。数値や影といったかたちで表れる「異常」には対処できても、それらに表れない、けれども確実に存在している「痛み」はどうしようもないのだな、と思った。

結局、「ひとまず今すぐに手術をしなければならない緊急性の高い病気ではなさそうなので、対処療法として痛み止めを点滴する。なるべく早く再受診して別の検査をするように」と言われ、早朝に帰宅した。痛み止め点滴はすばらしく、入れて数十分後には嘘のように全身が楽になった。この数日、痛みでまともに眠れておらず、夜間日中問わず痛みの波の隙間で数十分まどろむ程度だったので、本当にありがたかった。帰ってきて、少し寝て、起きて、ご飯を食べたら痛み止めの効果が切れてきたので、慌ててバファリンを買いに行き、今はバファリンのおかげで何とか普通に座っていられる。鎮痛万歳。「バファリンの半分はやさしさでできている」というフレーズが一時流行ったが、本当に「痛み」をやわらげてくれる、という意味では、あながち間違いではないと思った。病院には、明日行く予定。

それにしても、深夜2時にもかかわらず1時間近く根気強く搬送先を探してくださった救急隊員の皆さま(主訴が難しいせいか5つの病院に断られた)(そして搬送先5つに断られると「東京ルール」というルールに則って、最寄りの「最後の砦」とされる頼れる大病院に搬送されるらしい)、搬送先で丁寧にさまざまま問診や検査をしてくださった医師や看護師の皆さまには本当に感謝しかない。彼らは、原因不明の痛みがもたらす不安についてもよくわかったうえで接してくれた。

そして、真夜中に救急車を呼び大病院で一通りの検査と診療と処置を受けたにも関わらず7000円で済む健康保険制度にも深く感謝している。普段真面目に税金と社会保険料を納めていて本当に良かったと思うし、わたしの納めたそれらが同じような思いをしている人に使われるのであれば、それは本望だなと感じた。

透明な世界

自分が存在しない世界のことを想像するのは不思議な気分だ。想像するはずの自分はいないのに、透明になって、あらゆる日常を見下ろしている。つまり、わたしがわたしの存在しない世界を想像するとき、それは常に、「わたしがいない/いなくなった世界」ではなく、「いるわたしが見えなくなった世界」でしかない。「いるわたしが見えなくなった世界」を想像できるのは、いながらにして「見えなくされた」経験や、あるいはほかの誰かを「見えなくした」経験があるからだ。ほんとうの意味で「わたしがいない/いなくなった世界」は、想像すら不可能だ。

その昔、もし自分が死んだら、あらゆる人に自分のことを忘れられたいと思っていた時期があった。どうしてそう思っていたのかはよくわからない。誰ひとりとして自分を知らない、覚えていない、そんな世界を透明になって見下ろしている想像は、なんだかとても軽やかでみずみずしく、気持ちよかった。それを眺める心のうちにさみしさはなく、またメランコリーもなかった。

たとえばわたしは、カワカミケイコさんという人を知らない。生まれてからいままで、見たことも聞いたことも、会ったこともない。もちろんそれは当たり前で、なぜならカワカミケイコさんはいまわたしが1秒で作り上げた架空の人物だからだ。けれども、本当はカワカミケイコさんという人は存在していて、わたしがカワカミケイコさんを知らないだけだとしたら(そして死ぬまで知らないとしたら)、カワカミケイコさんはわたしの世界に存在する、とほんとうに言えるのだろうか。

想像はできないけれど、誰も自分を知らず、自分のいない世界とは、存在していないと同時に、存在「しなかった」世界と言えるのだろうか。けれどそれを想像しているわたしはここにいるわけで、では、ここにいる自分は誰なのだろう。考えているとみるみるここにいる自分が透けていく感じがする。その感覚がまた、軽やかで、少しくすぐったい。そんなことを考えながら、今日もベランダから街と空を眺めている。

思い出したくない痛みのこと

自分が当たり前にいた環境を疑うことはむずかしい。それが子どもならなおのことそうだ。

ときどき、10年も20年も前のことが突然フラッシュバックしては感情の波にさいなまれるということをここ数年以上繰り返している。自分が育った家族や家庭環境について。フラッシュバックする原因はわからない。今は実家と程よく距離を置いているし、日常的に直接何か嫌なことを言われたりされたりするわけでもない。けれどいまでも時たま、その当時自分が受けていた扱いに通じる言動をふとした拍子に感じることがあり、その瞬間に心が固く冷えていくのがわかる。

わたしがどのような環境に晒されていたか、詳しくは書かない。偏った物言いになってしまうだろうし、そもそも思い出したくない。けれど、「偏った物言いになる」という前置きをしたうえでいうならば、およそ20年のあいだ、激しい感情や攻撃をことあるごとにぶつけられてきたことや、自分がそれをすべて受け止めざるを得なかったこと、にもかからわらず他方からは無関心を貫かれ、救いの手が一切なかった。それはいまでも事実と言っていいのではないか、と思う。

育ててもらった恩は感じている。死なせず殺さずにいてくれてありがとう、と思っている。けれどわたしは親の言う「愛情をかけて育ててきた」の「愛情」の部分を、どうしても思い出すことができない。いまになって思い出そうとして浮かぶのはいつも、自分が冷たく凍えた気持ちになった場面ばかりだ。ほんとうはたくさんあったと思うのだが、強すぎる負の経験の印象に暗く覆われてしまっているのだと思う。

自分が傷ついた経験しか思い出せないことは、実に都合のいいことだ。そうすればわたしはいつまでも「傷つけられた人」でいられる。愛情をかけられたことが見えていないのだと思う。「家族だから」という理由で許され認められてきたこともたくさんあるのだと思う。けれどいまになっても、どうしても思い出せない。気づいていないだけだ、見えていないだけだ、と自分の目の曇りを戒め続けているけれど、それでもどうしてもわたしは、「この家に生まれて本当に良かった」と思えないまま、愛憎とすらも名付けがたい感情に、時折ひどく動揺させられる。

疑うことができなかった。家とは、家族とは「そういうもの」だと思っていた。だから当時は、つらいとも感じなかった。けれどそこから出て、社会や他人とかかわるようになったとき、そこがいかにいびつで自分がどれだけつらかったのかがようやく感じるようになった。しかしそう思っている、感じているいまの自分を「恩知らず」「自分勝手」と責める自分も同時にここにいる。どうすれば、いつになればこの矛盾した感情の波が引いていくのか、わからないままでいる。この文章のように、めちゃくちゃで、支離滅裂な気持ちになってしまうのだ。