きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

diary_20171202

 

利益を出すためにとかお金を稼ぐためにとか会社を組織として大きくするためにはどうしたらいいか、という一般的な仕事に対する価値観からの大脱却をせざるを得ない状況になった。

これからわたしがしなくてはならないことはすごくシンプルで、自分で自分の仕事を決めてそれをやる、というだけのことなんだけど、「どうやるか」の部分を見直さなくてはならない。自分がいましようとしていることは、個の枠を超えたもっと大きな、クジラよりも砂漠よりも地球よりもずっと大きなもののためになっているのか、ということを問い続けなくてはならなくなる。

 

そういう仕事を続けていくために、満足のいく生活の基盤が必要になってくる。良い椅子を買うことや広い作業台を準備すること、日当たりの良い家に住むことなどはすべて、良い仕事をするために必要なのだ。だから、他人に見せびらかせるほどのお金持ちになりたいとは一ミリたりとも思わないけれど、自分の生活にわだかまりを作らない生活は必要だなと思う。家が狭いとか散らかっているとか、家賃は安いけれど居心地が悪いとか、そういうのは嫌だ。帰ってきたくなる、居つきたくなる家にする必要がある。家で自分の充電するだけでなく、家でやる仕事が多くなるだろうから。そのための生活費を作っていくことも、間接的には「大きなもののための仕事」にものすごく重要なこと。

 

なので、いま自分の仕事は2つ。大きなもののための仕事を考えてトライアンドエラーでやっていくことと、自分が満足の行く暮らしをできるだけのお金を稼ぎ続けること。後者はそんなに難しくはない。けれど前者はたぶん、すごくむずかしい。考えるべきことが多いだけでなく、どれだけ真剣になれるか、自分に嘘がつけなくなるから。

 

 

diary_20171120

 

 

突然、数日前から吹雪が始まった。きっとこれは永い。

 

雪原が見える。明るく数十メートル先まで見通せる日もあれば、今日などは50センチ先も見えないような雪風にさらされている。太陽は見えない。鉛色の雲と寒さだけがただあるような。

 

比喩ではない。本当に、これまで持っていた或るもののすべてを失ってしまった。そしてこの吹雪はおそらく、永く続くと思う。思い出せないことすら思い出せなくなってしまうほどに、深雪のしたへと隠れてしまったものたちがあって、それが確かに「あった」ことは分かっても、それが何であったかはもう本当に思い出せない。

 

雪原にあたらしく、城を建てるしかない。そして足跡を残して、地を踏み固めるしかない。きっと孤独な日々になる。けれど、煉瓦を積み上げるのは孤独な作業でも、一緒にそれを運んでくれる人がいる。土を練って煉瓦を焼いてくれる人がいる。それが何よりうれしくて、ありがたい。

城が建てられるだろうことは、予期ではなく、知っている。完成することは、おそらくない。

 

たぶん何を言っているか、これを読んでいる人はさっぱりわからないと思う。わたしもきっと、明日これを読んだらわからないだろうと思う。明日の自分と今日の自分が連続した同じ人間ではないということがいま、痛いくらいによくわかるから。

けれどdiaryと名付けているのだから、別にそれでもいいんじゃないか、とも思う。

 

 

diary_20171107

 

年に数回、食べ物を一切食べたくなくなる日が唐突にくる。体のなかに水以外の不純物をいれたくない気持ちが。それが今日です。しかし気持ちだけで体は律儀に栄養を欲しがるので、ここのバランスのとり方が非常にむずかしい。なるべくハイファット・ハイカロリーのものを避け、タンパク質と野菜だけで過ごしたりする。しかし食べないので元気があまり出ない、しかし気持ちとしては全然食べたくないので無理に食べようとすると余計元気がなくなる。こういうわけのわからないバグが不定期で起こるけれど、バグありきで身体ができていると思うとなんだか不思議な気持ちになる。ありがたいような、疎ましいような。

 

自分が個と公の両方において大切だと感じていることを、その公のなかで「大切だと思います」と言うのは楽しくもあり、頭を使うことでもある。人を傷つけるような伝え方は論外だし、かといって主張しなさすぎると大切じゃないと思われてあっという間に潰されたりする。だから、そういう話を集団の中の他人にするとき、京都の芸妓になったような気持ちで話す。やさしくたおやかに、けれど押されても譲らないところはやわらかく譲らない。やわらかく譲らない、というスキルはここ最近やっと少しずつ身についてきた。癖になる。今ならどっかの会社の社長に愛人になってくれと言われても、このスキルでなんとかなる気がしている。

 

 

diary_20171031

 

ハロウィン渋谷が心底怖くて退勤時ビクビクしていたけれど、職場は繁華街とは違う方面だったので、あまり波に飲まれずに済んでよかった。とは言え職場のドアから山手線のドアに辿り着くまでに、たくさんの魍魎に出会う。同じ背格好をした10数人の男女、ビッグサイズな体にビックサイズな星条旗をはためかせるアメリカンファミリー、下着が見えているとかそういうレベルじゃないお姉さん、幼稚園児、全身とうもろこしの気ぐるみを着たカップル、何かの概念、マーライオンなど。

 

明日でもいい考え事は明日やる。今日にしかできない考え事しかしない。明日でいい考えごとと今日じゃなきゃいけない考え事の境目は、それを考えると心臓の裏側あたりがソワソワしてしまうかどうか。ソワソワは別のソワソワを呼んで、ほうっておくとソワソワ・ソワソワになってしまうので、そういうことは今日のうちに片付けておく。手を動かしてあらゆるメモや付箋に残したり、「今から5分間喋るので、終わったらなにか反応をください」と言って他人にワーッと喋ったりする。昨日、今日はかなり多弁だった気がする。黙るべき時期には自然と口が閉じてくれるはずなので、いい。

 

「焦らなくていいよ」と言われてハッとして、そう言われないと焦っていることに気がつけないもんなんだなと思った。おかあさんという人はなんやかんやときどきすごい。

 

中秋の名月みたいな月夜だった。月が綺麗ですね、と言える人がいるのはよい。聴いてくれるひとがいない言葉も大切だけれど、聴いてくれるひとがいて光る言葉もある。

しかし「月が綺麗ですね」でI love youの意だなどと突然言われたら、おそらく気が動転する。知らんがなと思うかもしれない。月を指して「あなただ」と目を見て言われれば、気付けるかもしれない。分からない。いま、てきとうなことを言いました。フリー素材ですので、勇気があるひとは使ってみてください。

 

diary_20171027

 

2日連続で晴れるなんて珍しい。毎日これくらい晴れてくれると本当にうれしい。

 

いまやっている仕事のひとつに、とてもチャレンジングなものがある。「書く」のではなく「書き続ける」こと。1回あたりの文字数自体はそこまで多くないけれど、取材で調べてきた事実をもとに調査と考察を重ねて、それをまったくべつのかたちに変換し続ける必要がある。土壌レベルからいいオレンジジュースを作っているようなものだ。わたしが本当に作りたいのはいいオレンジジュースで、ひとが飲むのもオレンジジュースなんだけど、オレンジを絞る背景に何倍もの時間をかけて土からオレンジを育てるようなことをしている。そして良いオレンジが獲れても、絞り方が下手だったらおいしいジュースにはならない。育ての技術、絞りの技術の両方が必要になる。それがおもしろいところだな。

 

いまは土を耕しては木を植えるのにちょうどいい場所を探しているような感じで、まだ特につらいことなどはない。ただオレンジジュースづくりの大変そうなところは、天候や思わぬ災害なんかによって、一回は絶対に心が折れそうになる気がするところだ。天気や災害はわたしのせいというより、本当に予期せずやってくるので、そこでどれだけ雨風に耐えられる頑丈な木を育てられるか、そして枝が折れそうになったら身を挺して畑を守るために、用水路を見に行っても死なないフィジカルなどが重要だと思う。畑を耕しながら鋤を振りかざすワンモーションに気持ちを込めて筋トレをする必要があるのだ。

 

来週末は待ちに待った6時間耐久マラソンリレーです。最近ランの距離が去年の倍以上伸びていてうれしい。どうか晴れてくれますように。

 

 

 

diary_20171024

 

時間って溶けるものなんだな、と最近よく感じる。本当に、あっという間に溶けていく。すべき仕事は多い。ぜんぶたのしいので問題ない。そしてたのしい時間は、溶ける。

 

バズるという指標を死なせたいと言いつつ、書いた記事がなんかのランキングの1位になってたりするとオオという気持ちになる。くだらないね、なんて全然思わないし言えない。素直に嬉しいです。読んでくださった皆さま、ありがとうございます。「120%の成長を…」とか「絶対に成功する採用の…」みたいなチャレンジングなタイトルの面々に「ハワイのシロクマ」というかわいい文字列を並べられただけで、そのアンバランスさに大満足しました。

 

寒いね。台風、行っちゃったね。空が明るくて空気が透明で、うれしいね。秋の風ってこんな味だった。

板チョコレートが食べたい気持ちがここ数日続いている。明日はおやすみだし、楽しみな予定があるので、今日退勤したらこっそり食べちゃおうかな。楽しみな予定であればあるほど他人にはそれを話さないの、なんだか秘密めいていて、いい。秘密です。

 

今日も良い一日を。