きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

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鍋の蓋は、ひらきのなかにあると思っていた。

あける。ない。隣のひらきをあける。ない。洗い物を立てておくラックにもない。ガス周りにもない。やっぱりひらきの中だよな、と思いもう一度あけるも、やはりない。

おかしいな、と思う。鍋を出すとき一緒には出さなかった、ような。

 

iPhoneが鳴って、一度キッチンを離れる。戻ってみると、ラックのそばの少し見えづらい、とは言え見ればひと目で分かる場所に蓋が置いてある。笑ってしまった。だいたい人間は思い込みの中で生きているんだなあということをあらためて思い知るというか。ここにあるはず、これをしたはず、と思っていても実はそうじゃなかった!ということ、気づいていないだけで、きっと今まで何千回もあるんだろうな。

 

昼間、タップの練習をする。メリークリスマス。記憶障害みたいなものがかなり感じられるようになってから、ひとつの物事を始めるとフロー状態に入りやすくて、その点はすごくありがたい。今日も気づいたら終了時間のノックがあり、え?まじで?となった。

既存のリズムやステップがほとんど使えなくなっているけれど、一応3年続けただけあって基礎的な足の動かし方は身体が既に覚えている。おもしろい。前までの自分では絶対に出てこないようなステップや音の乗せ方が次々に出てくるし、単純な基礎練も足が動かなくなるまで続けられる。次にシューズを履いたとき、今日何をしたか頭ではだいたい忘れてしまっているから、一回の練習でなるべく身体に馴染ませておかなくてはいけないけれど。でも、自分がどうなってもやっぱりタップダンスが好きだ、楽しい、と思えることがこの上なく幸せだなと思う。

 

 

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今日、家の近くで撮った植物たち。冬に植物はないと思っていたけれど、よく探したら冬にしか会えない植物で溢れていたことに最近気づいた。これも、思い込みを抜け出したひとつの例。

 

 

 

質問箱に答えたよ_20171220

 

質問箱への回答、第2回目です。

投稿はこちらまでどうぞ 

→ 藤坂の質問箱です | Peing

 

 

 

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未来を好きになる必要なんかないよ。余計な期待をすると予想外のことが起きたときにつらいし、予想外のことはけっこうな確率で起こる。高揚も絶望も長くは続かない。生活のなかでゆらぎつづけていくことそのものが、生きているということなんじゃないかと思う。

 

 

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ありがとうございます。文章や写真をそうやって褒めてもらえるのはほんとうにほんとうにうれしい。

受け入れられないこと、実はまだたくさんあって、苦しいなと思うことも多いよ。だって23歳だもん。だから、自分でいかんともしがたいことは、まわりのひとたちに「あなたのままでいいよ」と肯定してもらったりして、ごまかしごまかしゆっくりやっています。適切なアウトソーシング、大事。だからわたしもあなたに言うね。「あなたのままでいいよ」と。

 

 

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仕事始めると陥るそれ、けっこうしんどいよね。前職のときそうだった。特に繰り返しな毎日だと「いまのわたし、こんなことしてていいの?」って自問自答がやまなくなってしまう。なんというか、しんどい日々の中で「したいこと」って息継ぎみたいなものだから、時間がなくても気づいたら自然としているかもしれない。もしそれをする気持ちすら見失ってしまっているとしたら、それは一度長い休養をとらなくてはならない。

 

 

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これか!いや、こちらこそ一方的だったなと思い出してちょっと反省しました、すみません。文字って難しいね。

キャリアプラン、ほんとうにない。何を手に入れたいかなんてぜんぜんわからない。何歳のときにどんな暮らしをして何に仕えていたいか、がぼんやりとあるだけ。嘘ではなく、今日一日を生き延びるので精いっぱい。将来予測がぜんぶ崩れてたくさんのひとに支えられてやっと生き返ってから、自分が何かを切り拓いていくんだなんて、昨日と同じ明日が来るだなんて、畏れ多くて考えられなくなった。

強いて言うなら、いまは「書きたいひと」の「書く」を支える仕事を始めようと思っていることと、健康に暮らすために働き方のバリエーションを増やすことに興味があるよ。興味あったらいつでも連絡してね。

 

 

 

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八方美人×器用な世渡り上手 のひとには一生かなわんなあと思う。すごくうらやましいし、尊敬している。八方美人×不器用 のひとはかわいい。しっかりしろよ!って背中叩いてラーメンごちそうしたくなっちゃう。

 

 

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走り回ったひとは何人かいるんだけど、どなたかな。それなり元気です。お元気ですか?冬ですね。

 

 

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また褒められててすごくうれしい、ありがとうございます。

普段読む文章ね、けっこう雑食で、ビジネス書も読むし、研究のプレスリリースなんかも読むし、ばかなネット記事も読むし、詩も批評も物語も参考書もけっこうなんでも読むよ。すぐれた文章を読むと文章を書くのがうまくなりそうって思われがちだけど、佳いものも悪いものも同じくらい摂取しないと、なにが自分にとっての「佳い」なのかわからなくなるから、とにかく目についたものは気づいたらなんでも読んでしまうかも。

 

最近読んだ徹底的に1ミリもいいと思えなかった本と、

入社1年目の教科書/岩瀬大輔

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すごくよかった本はこれ。

中動態の世界 意思と責任の考古学/國分功一郎

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「1ミリも同意できない、いいと思えない」って実はすごく重要なことで、自分にとっての「いい」がどう措定されているのかを探る絶好の機会なんだ。

反対に「よかった」って手放しで思えるのは、もちろんすばらしいことなのだけど、盲目的な信仰につながりやすいから注意しなくてはならない。

 

 

「いやな怒り方をする人」のほんとのところ

 

「叱るのは良いけど怒るのはダメ」って、じゃあ「叱る」と「怒る」をただしく使い分けられる人ってどれくらいいるの?と思う。そもそもムッとしたとき、イラッとしたときに一呼吸置いてそれを冷静に使い分けられる人は、なにかマズいことが起きたときに「怒る」というコマンド自体が画面に現れない気がする。

だから、怒られる側の人間が怒っている人間に対してのお作法や冷静な見解を備えている方が、「怒ると叱るを使い分けましょう」というアドバイスよりも有用なんじゃないだろうか。「怒る・叱る」よりも「怒られる・叱られる」ことのほうが圧倒的に多いわたしを含めた若者たちは、心構えをなんとなくでも知っておいたほうがいろいろと削られない、はず。

 

わたしはとにかく怒られたり叱られたりすることの多い子どもだった。落ち着きがなかったし、忘れ物をよくしたし、周りより出来ないこととか苦手なことなどが多かったし、嫌なことはすぐに放り出して逃げ回って後始末をつけない子どもだったから、いろんな場面でいろんな「怒る人」を見てきた。怒られのプロである。怒られのプロは、ある一定以上怒られ続けたせいで「この人の怒り方ってあの人に似てない?」とか「この人がこんなに些細なことでこんなに怒るのって、もしかしてこういう理由があるから?」なんて考えるようになった。そんなことを考えているせいでお説教が耳に入らずまた怒られる。怒られスパイラル。でも、そんな確かな怒られ実績に裏打ちされた経験により、怒っている人々の人間としてのある一面性が少し見えたような気がする。

 

怒られのなかでも「いやな怒られ方」がある。気力以外にいろいろが削られているタイプの怒られ。それもいくつかパターンがある。こういう怒り方をする人はどこのコミュニティにもいる。ほんとうに、「あれっ、この前お会いしませんでしたっけ!」と言いたくなるほど、彼らはどこのコミュニティにも偏在している。そんなことを考えているから怒られるのだ。まあいいや。

いやな怒り方をする人について、これまでに感じたことと、対処法を好き勝手書きます。特定の誰かを馬鹿にする目的もないし、こうやって怒る人みんながみんなそうというわけでもないので、テレビの星占いと同じくらいの気軽さで読んでくれたらうれしい。

 
◆ とにかく威圧的な態度で押さえ込もうとする人

自分に自信がぜんぜん持てない人。心無い誰かに殴られて心がへし折られてしまった経験を持っていることも多い。ステータスや肩書や生きてきた年数など、目に見えやすい数値を後ろ盾にしがち。自分の感じていることや考えていることに自信が持てないゆえに、他人と何かが食い違うとすぐに答え合わせをしたくなる。けれど、答え合わせをすることで自信がないとバレるのもいやなので、手っ取り早く威圧で「おれのほうが正しい」ということにしてしまいやすい。ときに大声を出すこともある。ほんとうはあなたが何歳でどんな人だろうと、思ったことや感じたこと、考えたことを素直に話してくれればいいのに、威圧という銃口と後ろ盾をこちらに向けて「おれはこうだ!」と言ってしまう。

でも銃口を向けている自分にすら自信が持てないから、冷静になった後で謝りたい気持ちでいっぱいになっていることもある。そのタイミングでこちらが悪いと思った点を謝ると、どんどん素直な人に戻ってくれる。

 
◆ ねちねち嫌味を言ってくる人

自分が傷ついていることを一番理解してほしい人にわかってもらえないまま大人になってしまった人。傷が膿んで、いつまでも「自分は傷ついた」ということをまわりに嫌味というトゲで訴え続けたくなってしまう。ねちねちの沼にいくら付き合っても終わりは絶対にこないので、耐え忍ぶ気持ちで嫌味を聞き続ける、あるいは聞き流し続けるのはすぐにやめるべき。始まったら、波風を立てないよう声が届かない場所に即避難しよう。聞き流すって、流しているようでいてバッチリ聞こえちゃうので、実はかなりストレスになる。

嫌味が始まったら「あなたを傷つけたくてこの話をしたのではない」「傷つけてごめんなさい」ということを、傷口に包帯を巻くように伝えると、徐々にかさぶたになっていく。本当はカラッとしていたい、という気持ちの強い人なので、傷口をかさぶたにして、カラッとした光や風を当ていくと、夏の風みたいに気持ちよい人へと変身していくことが多い。

 

◆ 着火したようにすごい勢いで怒る人

痛みにすごく弱い人。それはプライドの高さの副作用でもあるかもしれない。感情の高ぶりに重なってマシンガンのように自分の正当性を主張するのは、「自分は間違っていないので傷つけないでください!」という魂の叫び。なぜそんなことを叫ばなくてはならないかというと、「おまえは間違っている」「おまえが悪い」と他人から指摘されるのが何よりも傷つくから。かつてのわたしがそうだった。咄嗟に口が回る人間がこのタイプだと、怒り出したとき本当に手がつけられない。「自分は悪くない」ということが一番大事なので、「あなたを悪いと責めているのではなく、ほんとうはこうしてほしかった」とか「ここをもう少しこうしてみては?」という具体的で生産的なことを、柔らかく直球で伝えられるとスッと熱が冷める。頭を使ったり議論をしたりするのが好きな人が多いので、非難ではなく的確な改善の要求があるとむしろ信頼関係が深まることもある。

 
◆ 「どうせぜんぶわたしが悪いんでしょ」とすねる人

ものすごく頑張り屋で口下手な人。がんばってがんばってすごくがんばるんだけど不器用だから、なかなかがんばっていることが周りに伝わりにくい。
このタイプの人々は得てして縁の下の力持ちポジションで、人より気配りができたり神経が細やかだったりする分、人よりも心配症だったり神経質だったりもする。みんなのために人知れず努力していることも多い。だけど縁の下だし口下手だから、伝えたいことがうまく伝わらなくてもどかしい思いをすることも多い。努力を誰にも認めてもらえない時期が長く続くと「もういいよ」とすねたくもなる。怒っている場合、少し時間を置いてから、常日頃の感謝の気持ちや、その人が自分にとってどれくらい大切であるかをちゃんと伝えられるといい。そして何より大切なのは、その人が普段がんばってくれていることをいつも自分も見逃さないこと。

  

◆ 半笑い気味に「どうしてキミはさあ」と小馬鹿にしてくる人

表向きは「お前(相手)って本当にバカだな、こんなこともわかんないのかよ」と自分が優位に立っているように見せかけて、実のところは怒っている自分に対して「くだらないなあ、チョロいなあお前は。こんなことでイラつくなんて、大人げない。あーいやだ」と思っている人。ほんとうは心に余裕がない自分のことが自分で一番きらいだし、自己評価がすごく低い一面があるんだけど、これ以上自己評価を下げるのが本当に苦しいから、無理やり他人よりも優位に立っていると見せかけてぎりぎりのところで気持ちを保とうとしていることが多い。

自信がなくて威圧してくる人と違うのは、「本当は誰よりも完璧な、誰よりも優秀な自分でありたいのに、それが叶っていない現状」というギャップに苦しんでいるところ。理想が高く現実が追いついていないことに対してストイックに自分を責めがち。能力は高いのにコミュニケーションが下手だとこれになりやすい。小馬鹿にされたら、鼻を明かしてやろうという気持ちではなく、真摯に「じゃあこれこれについてこれこれがわからないのでちゃんと教えてください」とまっすぐ目を見て言うと、意外と教えてくれる。そして教え方がかなりうまい。本当は誰よりも気高く賢い人。うやまう気持ちで接すると、どんどん品位を取り戻していく。

 

 

以上です。怒られない人生というのは無理な気がするので、怒られたら「この人、どうして怒ってるのかなあ」と、怒っている人の傷に目を向けられるとすこし楽に生きていけるように思う。自分にその余裕があるかは、そのとき次第なんだけどね。

でも、どんな人でもだいたいの場合は他人に見えない不安定さを案外抱えているものだということを多くの人が理解できれば、もうすこし世界ぜんぶが優しくなれるんじゃないだろうか。傷つける人が、一番傷ついている。

 

本日はこの辺で。刺すように寒い夜だね。おやすみなさい。

 

 

 

 

質問箱に答えたよ_20171214

 

 ツイッターで質問箱というのが流行っていて、匿名で開設者に質問とか相談ができるシステムなんだけど、軽い気持ちで始めたら割とコンスタントに質問がくるのでけっこうびっくりした。それも、なんだか近い色合いの質問が多くて、ひとを大切にすることとか、自分に自信が持てないこととか、みなさんそういうことをさらけ出してくれる。匿名の力ってすごい。みんな素直になれる。もうみんな名前も顔もいっそのことなくしちゃえばいいんじゃないのとすら思う。家族とパートナーと大切な友だちの前だけでいいよ、名前と顔があるのは。

 

予想以上にたくさん質問がきたおかげでさすがにそろそろツイッターに流し続けることがはばかられたので、ここで回答しようと思います。引き続き質問したい方や相談したい方はいつでもどうぞ↓

peing.net

タイミングに任せて好き勝手言います。言わせてくれてありがとうございます。

一応ルールとして質問箱は回答が100字以内らしいので、ここでの回答も100字前後に収めます。

 

 

 

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いろいろあるけど、突き詰めると生活がしたかった。せっかく人間に生まれたので、働いてひとと関わってお金を稼いでご飯を食べるという文明をやってみたくなったから。

 

 

 

 

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遠くにいるからこそできる愛し方を楽しんでください。生きている方なら、季節や土地の香りを込めた手紙をときどき送ればいい。亡くなっている方なら、毎日空を眺めて祈ればいい。祈っているあいだ、太陽も雲も月も星も、あなたたちだけのものです。触れ合うだけが愛ではない。

 

 

 

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たくさんの人のなかで大活躍して、たくさんの人に必要とされたいとすごく思ってた。でも無理でした。未来をそれっぽく予想しても何のアテにもならないこと、だから、いまの自分にとって大切なものだけを大切にしなきゃならないことを学ばされた一年だった。

 

 

 

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明日死んだら、「もっと話せばよかった」「友だちになりたいですと言えばよかった」って気持ちでいっぱいで、たぶん成仏できなくなるよ。自分に今日と同じ明日が必ず来ると過信しないほうがいい。こないから。だから、本当に大切なものだけを大切にしてください。お願いだから。

 

 

 

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近ごろ我が家に新入りがやってきた。小柄なアイロン。

さっそく仕事に着ていくシャツに使ってみる。あたたまるのが早く、小回りがきくしデザインも愛らしくていい。でも何より一番気に入ったのは、電源を切ったあと、呼吸するみたいに数秒に一度蒸気をしずかに吐き出すところ。やがて数秒が十数秒になって、数十秒になって、10分くらいしたら完全に静かになった。ベランダの窓から差し込む陽にあてられて数秒ごとに「しゅーっ」とやるアイロンを見ていると、家に犬が一匹増えたような感じがする。

 

アイロンが冷めるのを待つあいだ、ウールの白いセーターを洗う。

セーターの手洗いをするとき、ものすごく傷つきやすい水びたしの神聖な生きものの世話をしているような気持ちになる。流水に当てるとその箇所が伸びてしまう。押し洗いの力加減をわずかにでも間違えるとすぐ縮む。まかり間違えても決して力を加えて絞ってはいけない。とにかくウールのセーターは繊細で傷つきやすく、これだけ気をつけていても一度洗えば洗う前のセーターとはまるで別の服のように風合いが変わる。水を含んで重たく、水滴がひっきりなしに滴るこれをたいへん丁寧に脱水にかけ、供物のようにうやうやしく平干しする。おそらく生活のなかでこんなに気を遣うのは、ウールのセーターを洗って干すときくらいしかない。豆腐を掌のうえで切るときでさえこんなに気は遣わない。

 

こういうある種の「めんどくさいこと」をほんのすこし生活に紛れ込ませておくのはけっこういいことだと思う、ぜんぜん嫌いじゃない。本当はすべてに対してそれなりに丁寧でありたいけれど、あたりまえに毎日が過ぎてくれるので忘れがちになる。ウールのセーターを洗うといつもその日は他の動作までいつもより丁寧になれるので、これからも2週間に一度くらいはやつを手洗いをしたい。

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あたらしく仕事を始めようと思ったときに考えるべきことってほんとうに星の数ほどあって、優先順位を決めるところからしてベリーハードなんですけど、わたしは最初に「最後の最後まで誰を絶対に裏切らないか」から決めようと思います。そこさえ決められれば、何がどんなにどうなってもかならずだいじょうぶな気がする。

 

昨日はなぜかすごく頑張れてしまって、電池が切れて23時前に眠った。重要なのは「頑張れた=最近調子がいい」ではなく「頑張れた=今日は調子が良かった」ということ。そこを取り違えないのはだいじ。とは言えある波のようなものにのれてしまえば、しばらくは「調子がいい」を続けやすくなるかもしれない。しかしそれくらいの慎重さでいないと、ガクッときたとき全部が一気にとまりかねないのでくれぐれも調子に乗らない、だいじ。

 

あとたぶん、わたしは何かの目的のために力が湧いてくる、みたいなことがそんなにないのかもしれない、とわかった。どんなに楽しみにしている予定があっても、それがあるから今日は頑張れた!みたいな経験がそんなにない。むしろその楽しみにしていた予定すらかなわないこともある。しかたない。だから何か外から与えられるものをアテにしてエネルギーを充足するより、自分の生命リズムに忠実にやっていくのがいちばん確実であるように思う。

 

昨日忘年会の話になって、最後に忘念したのいつだっけなと思った。忘念したのでそれごと忘れている。忘年どころか日々忘日という感じなので、お酒を入れたハッピーパーティーより、書いた日記を読み返しながらちょっと良い珈琲を淹れて粛々と一日一日を振り返る会がしたい。

 

未来の旦那に捧ぐ―食らえわたしとの結婚アドバンテージ3選

 

突然ですがわたしの婚活アピールポイントを紹介します。婚活をしているわけではないです。する予定もないです。愛、じゅうぶんに間に合っています。いまさらの自己紹介をちょっと変な角度からやってみようと思い立っただけです。

 

この前あるWeb記事を読んでいたときに、たまたま結婚紹介所か何かのバナー広告がひょいと出てきて、そこに大きく「あなたの婚活アピールポイントを3つ、教えてください」と書かれていました。さらに幅広のバナーはその下に続き、スーツ姿の男性の写真とフォーマルな感じの女性の写真があって、男性のところには「誠実、スポーツ好き、年収700万」、女性のところには「料理が得意、笑顔がステキ、子ども好き」と書かれていました。

 

 

いやいやいやちょっと待てよ、と。

それ「婚活アピールポイント」か?

 

 

だって結婚ですよ、結婚。誠実でスポーツ好きって、結婚にあたってなんでそんな誰でも当てはまりそうなことが大事なんですか。恋愛でいうところの「お話が合う」レベルじゃないですか、そんなのは。

それに年収700万円って、まあ平均値よりは高いのかもしれないけれど、それが一体何を意味するのでしょうか。この先も安定した生活が未来永劫絶対に約束されているのでしょうか。もっといえばその人がいま年収700万円をもらっていたとしても、もし来年会社が倒産したり、何かの理由で突然働けなくなったりしたらどうするのでしょう。大事なのはいまの年収よりもそれを失ったときに立ち上がれる生命力の強さじゃないですか、とか。

女性のほうも然りです。料理なんてほんとうに必要に迫られたら誰だってやらざるを得ないし、笑顔のステキさならわたしもたぶん負けないぞ。すみません、調子に乗るのはやめます。でも、「笑顔のステキさ」って結婚というフィールドで強みにする3つに入れなくてはならないほど大事か?ステキじゃないよりはステキな方が良いけど、でも、だからって、それは結婚を絶対的に支える何かになるのか?「子どもが好き」だから何なんだ。好きだから世話がうまいのか、好きだからたくさん産みたいのか、好きだから、だから、一体、一体何なんだ…………。

 

 

同期と先輩がどんどん結婚していきます。みんなハッピーウェディング。おめでとう。もう「恋愛」を抜け始める頃なんだなあとしみじみ感じます。

最近、「家族」とか「他人と一緒に暮らしていく」という軸で結婚というものを真剣に考える機会が増えました。実家もそろそろ出ます。結婚は愛を育て続けていくことで、落ちるだけの恋とは違う。形のないものを自分以外の人と育てていくって、ものすごいチャレンジだと思います。価値観も背景も全く異なる一人の人とひとつのまったく新たなコミュニティを作る、一緒に生きていく。それはすごくすごく素敵なことである反面、きっと予想しないようなことがたくさん起こるのでしょう。だからこそわたしは、「恋愛」の延長線上で結婚を考えたくはないのです。「誠実、スポーツ好き」なんて言ってる場合じゃないのです。

 

別にわたしは「誠実」とか「笑顔がステキ」を「個性がない」「幼稚だ」と否定しているわけではありません、し、それらをそもそも「個性がない」「幼稚だ」とも思っていません。素晴らしいと思います。しかし「結婚」というフィールドに立ったとき、「構え!用意!」の姿勢をとったとき、一緒にやっていく人に対して誠心誠意本気で差し出せるものがそれで本当にいいのか?というのが疑問なのです。結婚をそんなふうに捉えて良いのかと。結婚っていわば生活そのものじゃないですか。ならば相手と自分の生活そのものに関わることをアピールすべきなのでは、と思いました。

 

 

そこで真剣に考えました。結婚するとき、わたしが本気で相手に差し出せるアピールポイント。これが誠心誠意の差し出せる3つです。くらえ。

 

 

1)足腰、めちゃくちゃ丈夫

 

毎日のランニングと筋トレ、そして山登りとタップダンスが趣味なこともあり、足腰、めちゃくちゃ丈夫です。メンテナンスも欠かしていません。

足腰が丈夫だと良いことがたくさんあります。普段の生活で少しくらいの徒歩移動は何のその、姿勢が良い、運動が好きになれる・続けられる・楽しいと感じられるから健康であり続けやすい、おばあちゃんになってもきっと若々しくいられる、階段を登ったり自転車に乗ったりするのも苦じゃない、趣味の幅が広がるetc

子どもを生むとき、そして生まれてからも「足腰の丈夫さ」はとても重要だと思います。まず遺伝する。そしておそらく腰が弱いよりは強いほうが出産のとき楽な気がします。赤ちゃんを背負って、あるいは抱っこひもで抱っこしながらの日常生活も、足腰が丈夫なほうが絶対に楽なはずです。

 

それからこれは偏見かもしれませんが、個人的には足腰が丈夫だとメンタルも強くなれる気がします。ウオーつらい、よし、走ってひとまず忘れよう!みたいな。そう、フィジカルが強いと、つらいことがあったり精神的に少し揺れがきたりしても「走って忘れよう」「マジでやばくなったら全力疾走でここから逃げ出そう」「わたしは大都会のガゼル!」みたいな切り札の逃げ道がいつも用意されていて、安心感が段違いです。

ここ数年特に実感していますが、フィジカルが強いのは健康なメンタルを保つ上でとてもとても大切です。その基礎である下半身が23歳にしてきちんとできている、というのは、心身両方をパートナーや家族と健全に過ごすために重要なことだと思います。

 

 

2)炭鉱のカナリア力(かなりありょく)が抜群

 

皆さん、「炭鉱のカナリア」という言葉を知っていますか。わたしはこの言葉が大好きです。そしてわたしは炭鉱のカナリアです。

炭鉱で仕事をする人は、カナリアを連れて仕事場に入るのだそうです。なぜかというとカナリアは弱い鳥なので、その炭鉱で毒ガスが発生しそうになると真っ先に鳴き止み、ぐったりして元気がなくなる。「カナリアが鳴き止んだ場所は危ない」というサインになり、人間は危機を免れるわけです。めちゃくちゃ良い話じゃないですか、これ。

 

社会に出て8ヶ月が経ち、前職でも今の職場でも、そして職場だけでなく私生活でも、本当にたくさんの方にいろいろと親切にしていただいているおかげで、毎日なんとか生き延びています。しかし、おそらくわたしはどうも多くの人ととは違う歩調でこの先も歩いていくしかないみたいだな、と最近ひしひし感じています。体や精神がみなさんより弱いというより、適性がないところに関して本当に徹底的に適性がなさすぎるし、それにぬるりと対応できるほど身体が器用にできていないことがよく分かりました。一箇所が鋼鉄より硬いのにその反対側が寄せ豆腐より脆い。たいへん面倒くさい体質で、その分メンテナンスにもコストがかかります。車にしたら燃費はリッター300メートルとかそういうレベルかもしれません。車に生まれなくてよかったな~。

 

そんな感じなので、「あっこれこのままいくとヤバそう」ということに対して、ここ数ヶ月でものすごく敏感になりました。ちょっとした気圧の変化とか、人の密度とか、うるささとか、そういう本当に些細なものなのですが、「これは今の自分にとって過負荷だ」と無意識下でも感じると、自然とそれが表にも出るし自分でも分かるようになりました。だから「本当にヤバい状態」になる前にある程度の対処をとれるようになったし、それを他人に伝えることもできます。そこに合わせて仕事を任せてくれる今の職場や、気遣ってあれこれしてくれるパートナーや励ましてくれる友人たちには本当に頭が上がりません。

「炭鉱のカナリア力が高い」というのは面倒なことが多い反面、「自分の健康」という本当に何にも代えがたいものを守るためのリスクヘッジとしてはかなり重要なのかもしれない、と思います。人間いつも最大瞬間風速でやっていけるわけじゃない、基本は凪で時々飛ばしたり止まったりしながら風車を回していくしかない、というのが痛いほどわかった8ヶ月間だった。社会人の最初の方で気づかせてもらえてほんとうによかった。こうしたリスクヘッジに対して意識の高すぎる身体を持っていれば、少々メンテナンスコストはかかれど、「もうほんとうにウルトラやばい八方どころか六十四方塞がりおまえは10割絶対に死ぬ」みたいなことにはならないんじゃないかなあと思います。四方塞がりくらいでわたしは寝込む、許してください。無理に頑張らないし頑張れない。生活は「速く走る」のではなく、遠くまでずっと歩いていく必要があるから、炭鉱のカナリアのほうが総合的に見るときっと生き延びていきやすいのではないかと思います。

 

 

蛇足ですが、人間はどうして不安になるのか?と思って調べてみたら「太古の時代は危機を事前に常に予測していないとそれが死に直結していたため、その名残で人間は心配性になった」というめちゃくちゃそれっぽい解説を読んで「なるほど~」となった。

 

 

 

3)総合サバイバル力高め

 

総合サバイバル力、高めです。いつも何かをするときは準備に8割の時間をあてますが、それでも起こる不測の事態に対して、その場にあるものだけで解決するのがたぶん他の23歳女子よりも手慣れています。

たとえば山に登ってたりするとそうなんですけど、思いがけずどこかを怪我した(人に遭遇する)とか、登山道が古くてその先の道がよく分からんとか、けっこうあります。そんなとき、だいたいは手持ちのものとか、その場で調達できるものや周りの人々と協力しあって解決します。そういうサバイバル力というか、予期していなかった咄嗟の事態に対していかに対応できるかというのは、生き延びていく上で大切なスキルのひとつではないかなーと勝手に思っています。

あれですね、みんなでキャンプ行って、河原でパパっとその場の石だけ積んでかまどを作る男の子を見たらカッコイイ~!ってなりません?異性とキャンプはおろか、キャンプ行ったことすらないけど。でも、ちっちゃいガスボンベと五徳だけでその場でおいしい珈琲を淹れはじめた山男はかっこよかったんです。10月の涸沢で昔見かけました。60歳くらいのおじいさんだった。かっこよかった。

その日冷蔵庫の中にあるものだけでおいしくご飯を作るのが好きです。めんつゆとか鰹だしうっかり切らしてても、おいしい煮物作ります。名前のある料理は実はそんなに作れません、すみません、練習します。何か困ったことが起こってもあんまり慌てません。一緒に一番よく解決できるよう力を尽くします。その場で何とかする知恵と度胸、それなりに出せます。それがわたしのサバイバル力です。

 

 

 

 

3つ、出揃いました。考え始めてみたらけっこう楽しかった。「自分にとっての自分の良いところ」ではなく「他人と生活する上で自分の良いところ」という視点であらためて自身を振り返ってみると、案外今まで気が付かなかったことに気がつくものだな~と思いました。

最近就活生のESを見るペースが加速していて、「もうそんな季節なんだな〜」と感じます。みなさん色々と強みやアピールポイントなどを書いてくださります。「論理的思考力やリーダーシップも大いに結構だけど、生き延びるためにご飯を食べ忘れないとかも実はめちゃくちゃ大事でっせ」などとアホ暢気なことを思いながら珈琲片手に読ませていただいております。妹も就活の年なのでめちゃくちゃ応援してる。

 

2017年、終わってしまうね。みんな、無事に春を迎えようね。

 

おしまい