きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

「バーニラ、バニラ、バーニラバニラ 後ろの正面、だーれ?」

デスクトップに常時開きっぱなしにしているstoneに、毎日ちょこちょこ何かを書きつけている。ほんとうに、気づかないうちに。そしてはっと気づいたら窓がいっぱいになっていたので、ひとまず並べておく。メモを書きつけている感覚だったけど、日記なんだなこれは。頭のなかのメモリを開放するためには、やはり日記を書くのがいちばんいい。このタイトル、何も考えずに浮かんだ七五調。なのになぜか、どこかが怖い。意味わからん。

 

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 stoneはものを書くひとみんなにオススメ。

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20181130 

田舎にふらりと逃げ出すことがある。仕事が詰まりすぎたときとか、じぶんが何を考えているかよくわからなくなっちゃったときとか。けれども、すこしすればまた東京に帰ってくる。車窓から山が消えて、緑が消えて、四角い建物が増え、電線が少しずつ空を細切れにしていく。そうやって東京に近づくたびに、わたしは、じぶんの時間が東京の速度へと近づいていくように感じられる。耳鳴りが響くみたいに視界の幅がどんどん狭くなって、両端に高い壁がそびえるような。目まぐるしく流れる空気を何よりも嫌っているのに、気づくと、ビー玉のように生気のないわたしがその流れのひとつになって。こうして人は東京の空気を対流させていくのだなあ、と思う。

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20181127

どうして、言葉を手にする必要があったんだろう?

なにか、歳を重ねるごとに誤解を深めていっているような気がしてならない。ひとはもともと、じぶん以外のひとの考えていることや思っていることなんてどうしたって知りようがない。知りようがないのは、知る必要がないからなのだと思う。

けれども、まるで他人の考えていることをすべてわかっているように勘違いしてしまうことがある。それも、割とよく。「じぶんが考えるAさんの考えているであろうこと」を「Aさんが考えていること」にすり替えてしまうのだ。そのせいで無駄に悩んだり落ち込んだりすることさえあって、振り返ると「あれは無駄な時間だった……」と苦笑いをしたこと、きっとわたし以外のひとにもあるんじゃないかな。

他人の考えていることなどわかるはずがないし、知りえるはずがない。その事実をときどき、ちゃんと思い出す必要がある。

そういう意味で、「予想外のひと」というのは、案外心の健康にいいのかもしれない。「なんで?」「どういうこと?」と問いかけたくなるような言動を連発するひとは、一周回って「そういえば、他人とはそもそも理解し得ないものだった」ということを、非常にわかりやすく、気持ちよく教えてくれる。言葉や態度で「示して」くれるのではない。そのひとの生き様そのものが、わたしのなかから、忘れかけていたかたちを掘り起こして気づかせてくれるのだ。

仕事ばかりしていると頭がどうしても合理性の方に寄りがちだけど、利害関係の絡まない生活で「予想外のひと」が突然現れるのは、実はとてもありがたいことなのかもしれない。ギフト。すごいギフト。

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20181125 

一人でいるときに感じる孤独より、二人でいるときに感じる孤独のほうがずっとさみしく、根が深い。

他者がいなければ、ひとりにすらなれない。

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20181120

秋から冬に変わる季節の空は、14時頃がいちばんさみしい。真っ青でも、どこかがいつも白くて、くしゃみが出る。

日課のランニングの時間が、ずいぶん早くなってきた。わたしが毎日夕方に走るのは、時間の境目をじっくり眺めていたいからだ。そのなかを走り抜けたいからだ。

16時にはもう凛と冷えた空気が張りつめ始め、夜がそこへしとしと落ちてくる。その一瞬の特別な時間の中を泳ぐようにして、西の空を横目に見ながら走るのがたまらない。冬が来る。それがとても嬉しいことだったと思い出す。

そして、夜は北から走ってくる。太陽は西に沈むのだから、道理では東から夜が始まりそうなものだけれど、いつも北の空にはまっさきに暗さが滲み出す。