きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

違和感と共感の話

当たり前だが、違和感と共感は違う。なんか変だな、ちょっとおかしい気がする、という感覚と、わかる、正しいように思う、という感覚。

しかしこれら、ベクトルが違うだけで、実は同じ気付きをもたらすのではなかろうか。すなわち、「自分がどのような常識や良心を持ち合わせているのか」ということに気が付く機会である。人は、自分の常識や良心にそぐわないものに遭遇したときに違和感を覚え、嵌るものに遭遇したときに共感する。この二つの感覚は、己の物差を知るための手がかりである。

違和感は放置しているとだいたいうれしくないことにつながり、共感は納得や感動を呼び込む。大事なのは、どちらをよりたくさん感じる人生がよいということではなく、どちらかを感じたときに、何を自分が是とし非としているのかに気づくことなのだと思う。感の瞬間を目撃せよ。認識された認識は自らの手で変えてゆくことができる。柔軟であるというのは、たぶん、そういうこと。