きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

文章、退職、回復、

文章を書くことを忘れていたわけではない。というよりむしろ、ここではない媒体で、短い文章をたくさんたくさん書いていた。野球の1000本ノックみたいに。ひたすら投げるように、バットを振るように。推敲もしないし読み返しもしない、ただあふれてくる言葉をそのままに書き落とす。

頭の中身を言葉にして書き落としていると、あるところで手がとまる。その先にはいけない、と感じる壁にぶつかる。壁のところまではとめどなく言葉が出てくるのに。壁を乗り越えるには、かがんで、足をためて、ジャンプする必要がある。このブログに関しては、かがんだところのまま下書きに放り込んでしまった文章が2月だけで5本くらいある。「書き終える」って1月に宣言したばっかりなのに。

===

2月いっぱいで丸4年勤めた会社を辞めた。大学時代から数えると、足掛け8年ほどお世話になった。会社は人間の集合であり、つまり個人と会社のかかわりというのは人間同士のことなので、相容れないことやわかりあえないこともそれなりにあった。あったけれど、あなたたちなりのやり方で、誠意をもってわたしを大切にしてくれて、必要としてくれて、与えてくれて、ほんとうにありがとう、と思っている。後悔もさみしさも一切ない。気持ちよく離れ、送り出してもらえた。自分の社会人(という言葉を使うのはあまり好きではないけれど。人間は生まれた瞬間から社会に巻き込まれてるのであり、社会人である)生活においてこの会社で過ごした時間は何にも代えがたいと本心で思っている。これはとても、とても幸いなこと。

ざっと10年ほど「教える仕事」をしていたわけだけど、10年やったので、今度は少し違うことをするつもり。これまでの仕事で培った土台を異なる文脈で生かせたらおもしろいしかっこいいよね。「あ、そんな文脈でそんな需要があるのか」みたいなすじを見つけられたらうれしい。

===

にしても、退職に際して「次の仕事は決まっていない」と言うとほぼ100%驚かれたり心配されたりすることにびっくりした。仕事をしているときは毎日目の前の山を乗り越えるのに精いっぱいで、自分のこれまでのことを振り返ったり、次にしたいことを考えたりする余裕なんて全然なかった。だから2月後半に有給消化で2週間ほど休みをもらって、何も生産しなくていい、誰の期待に応えなくてもいい時間をただただ過ごして、そうしてやっと見えてきたことがたくさんあった。回復。少しずつ自分のことを考える時間を増やして、何が好きとか何がしたいとかを思い出す時間がとれなければ、次の仕事など決められっこない。一度働き始めてしまうと、働いていない期間があることのほうがおかしいと感じられるのだろうか。「次、決まってないの?大丈夫なの?」と言われるときの心配と好奇が入り混じった目は、あまり好きじゃないな、と思った。大丈夫です。考える余裕のないまま決めることのほうが大丈夫じゃない。

===

そう、働いていると、「その仕事をしているときの自分の頭」の枠の中でしか物事を考えられなくなる。いや、もしかしたらそうじゃないひともいるかもしれないのだけど、少なくともわたしはそうだった。その枠を超えたり外したりして考えるというのがすごくむずかしい。ということに、回復期間を経て気づいた。枠は自分の思考の輪郭を作り、中身をたたき上げていくための強力なツールである一方で、同時に自分の物の見方を強く規定する。「あ、自分、それが”いい”とか”好き”と思ってそうやっていたわけじゃなくて、単に、”そういう見方”以外の見方を知らなかったから、それによりかかるしかなかったんだな」みたいな気づきが2月後半から最近にかけてたくさんあった。抽象的過ぎて何を言っているのかよくわからないと思いますが、わかる人にはわかるかもしれない。

===

ブログの名前を変えました。数年ぶりに。汽水域という名前も好きだったけれど、いまの自分の書き言葉を置いておく場所としては少し言葉が離れてしまった気がしたから。「きみのお祭り」をどうぞよろしく。各々死ぬまで盛り上がっていけ。