きみのお祭り

死ぬまで盛り上がっていけ

野球はうつくしいスポーツだった

前回のプロメアに続き、これまた会社の別の人に誘ってもらって、東京ドームへ野球を観に行った。スポーツ観戦はほとんど興味がなかったし、野球だって冗談抜きで「棒で球を打つ」以上のことを何も知らなかった。が、「ドームのチケットとるけど、来る?」と訊かれたとき、「金曜夜、熱気あふれるなか、頑張っている人たちを眺めながら、でっかいビール、夏」という絵が0.2秒で頭を駆け抜け、「行きます」と即答してしまった。

結論、すばらしかった。初めて生で観る野球はほんとうにおもしろかった。もちろん金曜夜のでっかいビールも最高だったが、ビールついでに野球を観るか、くらいの気持ちだったのに、完全に野球に心を持っていかれてしまった。

まず、選手たちの肉体美よ。背の高さや骨格の違いはあれど、誰もがひとしくうつくしい。岩壁のようにどっしりとした身体、カモシカのように細く引き締まった身体。あの身体になるまでに各々が過ごしてきた時間のことを思うと、それだけでなんかもう泣けてしまった。お母さんかわたしは。

チアの女の子たちの一所懸命さとうつくしさも泣ける

そして、野球はうつくしい。投手がボールを投げる瞬間の緊張感と、打者がバットを振る瞬間の力みと開放。ボールが飛んでいけば、各々のポジションに立つ選手たちが一斉に動き始め、球場全体がひとつの生きもののようにうごめきだす。ぎりぎりのところで間に合うか、間に合わないか。白球は矢のように鋭く飛んでいき、選手は全身全霊を懸けてホームベースへ駆けていく。対照的な「まっすぐ速く」がダイナミックに交錯するグラウンド。「投げた」「打った」の爆発するエネルギーが満ち満ちていくあの時間が、たまらない。

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応援だってすごい。今回座ったのは一塁側の席だったが、外野席には絶え間なく歓声が響き、大きな旗がこれでもかと振られ、小気味よい笛の高音が場をきびきびと指揮する。選手一人ひとりに応援歌があって、みんながそれを歌いながら自分のことかのように試合の行方を見守り、良いプレーが飛び出せば全身で跳んで両手を振り、大歓声をあげる。あんなにもたくさんの人々が、グラウンドで繰り広げられる時間を真剣に見つめている。その圧は、さながら天空の龍のごとし(見たことないけど)。

今回観に行ったのが東京ドームという場所だったのもよかったのかもしれない。入口の目の前には後楽園遊園地の観覧車とジェットコースターがバーンとそびえたっていて、悲鳴とともに人が豪速で落っこちていくのを見るだけでわくわくした。ドームはとにかく大きくて、飲食店がたくさんあって、グッズショップなんかも充実していて、終始お祭りのようだった。背中にサーバーを担いで元気にビールを売り歩く売り子さんたちはみんなかわいい。誰もが少年みたいな顔をして、唐揚げを食べたり、タオルを振り回したりしている。もちろん片手にはだいたいアルコール。

野球場のビールは世界一うまい

野球場という場所の楽しさ、野球の観戦と応援の面白さ、そして野球というスポーツのうつくしさ、すべて大満足だった。良い夏が始められそう。「今度は神宮ね」とみんなで約束をしたので、今から8月が楽しみ。

3年ぶりプロメアの感想と雑な考察

会社の人に誘ってもらい、3年ぶりにプロメア。やっぱりいいよプロメア。音楽、モーションやグラフィックデザイン、キャラデザのかっこよさやうつくしさが最高であることは言うまでもなく、ストーリー含め中身にも見どころが多くて、掘っても掘っても追いつかない。

いろいろ考えるところはあれど、とりあえず覚えているうちにいくつか書き残しておく。めちゃくちゃネタバレしまくっていますのでその点はご注意を。

 

promare-movie.com

  • 冒頭で、バーニッシュは後天的な変異として描かれる。抑圧されたり、理不尽な暴力を振るわれたりした「ふつうの人」が、ある日突然バーニッシュになる。このことは、人は皆もともとバーニッシュの素質を持っていて、受けた刺激が溜まってバーニッシュが発現する閾値に達するか否かが非・バーニッシュとバーニッシュを分けている、と捉えられる。バーニッシュになる閾値は人それぞれで、イメージとしては花粉症に近いのかも。
  • バーニッシュになるきっかけが広義の「暴力(抑圧、差別、精神的DV etc)」である点も注目。暴力が非・バーニッシュとバーニッシュを生み、その二者が生まれることで溝が生まれ、その溝がさらなる差別や抑圧を生み、さらに対立が一層深まり……という構造。暴力は破滅しか生まないのですね。
  • リオの怒りは劇中一貫して、バーニッシュもとい人間の尊厳を傷つける行為に対して向けられている。だからリオは強いし、周りからも信頼を集めている。怒りの背景がリオ個人の感情ではなく、彼が「大きなもの」を見つめているがゆえだから。
    リオが唯一、感情による怒りに狂わされるシーンがある。それがクレイに対し直接的な憎しみを向ける場面。あのときのリオは、クレイという一個人を悪と捉え、彼の名前を何度も叫びながら狂ったように街を破壊する。それまでは「人を殺さないこと」をバーニッシュの誇りとして常に第一に掲げていたリオが、クレイを標的にして彼を滅さんとしているときは、無関係な人々の巻き添えも厭わない勢いで街を燃やし尽くす。そのときのリオの姿は真っ黒に染まり、目も吊り上がって、それまでのうつくしいリオの姿とはかけ離れている。
    これ、かなり象徴的なシーンだった。倫理にもとる悪に対して抱く怒りには、普遍性がある。普遍的な怒りは、善に向けた破壊であり、ゆえに再生の可能性を含んでいる。けれども、個に対する怒りは、怒りを抱く側の個の感情の域を出ない。個の怒りは、怒りを抱える側が感情にただ振り回されているがゆえに発散される感情であり、怒りを発するその人(びと)をも滅ぼしてしまう。ということが、このシーンを通してとてもわかりやすく描かれていた。
    人間全体が長く抱え続けている問題(たとえば差別とか)について、誰か一個人を悪の根源とみなして攻撃しようとする態度は、破滅を助長するだけだし誰も幸せにしない、ということ。
  • で、このときのガロがすごくいいんだ……。怒り狂って町を破壊しながらクレイを探すリオが出す炎の龍は、涙を流している。崩れた瓦礫の隙間から龍が泣いているのを見たガロは、ぶち壊された街に唖然としながらも「泣いているのか……?」とリオの心中を推し量る。
    ここ本当によかったんよ……。ふつう、怒り狂って街を燃やして破壊している奴がいて、そいつが涙を流していたとしても、自分の魂と使命が「火消し」であれば、「許せん!」になるはず。なんだけど、ガロは龍の涙を見て、リオが怒り狂っていながら実は苦しんでいること、自分と同じ境遇にあるバーニッシュがこれまでたくさん傷つけられてきたことに対する深い悲しみを抱えていることに気がつく。だからガロはリオを止めにいったとき、死ぬほど熱いはずなのに、「お前の逆切れ炎なんか、全然熱くねえ!」と、感情に振り回され暴走しているリオに正面からぶつかっていき、「人を殺さないのがバーニッシュの誇りなんじゃないのか!」と、リオがリオであるのに欠かせない「誇り」を彼に取り戻すよう促す。
    ふつう、感情に振り回されてめちゃくちゃになってる奴なんてめんどくさくて関わりたくないし、悪いことをしている奴に「悪いことはしちゃダメだ」と言うことはできても、「誇りを取り戻せ」と伝えることは難しい。これを天然でやれるのがガロのすごいところ。ガロ自身が感情の人間で、誇りを背負って生きているからこそできたことなのではと思う。そして普段はクールで理知的で、常に「大きなもの」を見つめているリオの、そのような一面を受け止めることができたのも、ガロだからこそだと思う。ガロは一本気のバカだけど、人の感情の機微を想像できる人間で、それは彼が、幼い頃に両親を亡くしたこととも関係しているのかもしれない。
    あと、一緒に観に行った人によると、このとき龍を泣かせたのはアニメーターさんだったそうな。もともと作画の指示に涙は入っていなかったのだけど、この画を描いたアニメーターさんが水色の涙を付け足したところ、「いいんじゃない?」となって、そのまま通ったらしい(ソースは聞き忘れた)。ありがとうアニメーターさん。ガロは人の心を思いやれる人間だけど、怒り狂っているリオがもし涙を流していなかったら、たぶんリオの苦しみに気が付けなかったと思う。ガロはバカだから……。

あとなんとなく思ったことのメモ

  • プロメアの根本的な思想は大乗仏教に近いものを感じる。平行宇宙の話とか、バーニッシュはプロメアの通り道であり表現のひとつであるっていう設定とか。「全は一、一は全」的な思想が後半でかなり色濃く描かれていて、こんなに思想が明示される映画だったっけか~と思った(歓迎ですが)。
  • デウス・X・マキナは鉄人28号のオマージュっぽいんだけど、リオ・デ・ガロンとかクレイザーXとか、ほかのメカやパワードスーツたちもそれぞれ何か元ネタがありそう。ロボット・特撮系を知っていて、各メカのオマージュ元がわかると「だからデウス・X・マキナじゃなくてリオ・デ・ガロン(最後はガロ・デ・リオン)じゃないとクレイザーXを倒せなかったのか……!」みたいな考察もできる気がするんだけど、全然詳しくないので悔しい。
  • 前日譚とも併せて見る限り、シーマはガロが初仕事で救った人で、本編ではそのシーマが目の前で死んでいくことに、ガロは気づいておらず、バーニッシュの一人が亡くなった、ということしかわかっていない。これ、自分が差別問題に対して持っている意識の浅さを痛感した。プロメアの世界で、非・バーニッシュがバーニッシュをひとくくりにしているように、わたしたちの世界でも、たとえば黒人差別において、わたしたちは、被差別者たちを「黒人」とひとくくりにしている。彼らの一人ひとりのルーツや名前を知ろうとはしないし、知ったとしてもすぐには彼らを判別できない。差別側はそのような意識は持たず(持てず)、ただ被差別グループをひとまとめにして、しかもそのことに気づかず「そういう差別って良くないものだよね」という認識を持っている、持った気になっているという。怖いな、と思った、し、反省した。じゃあ何から始めるの?って話なんだけど。
  • 一緒に行った人に言われて気づいたのだが、バーニッシュとともに隠れ住んでいた人たちのなかには、非・バーニッシュもいたはずなんだよね。ピザ屋の若者が店主に匿われていたように。家族がある日突然バーニッシュになって、それを周りに知られることや、差別、弾圧を恐れて、ともに逃げた非・バーニッシュもたぶんたくさんいる。だから、バーニッシュの棲み処を一掃する行為は、知らずのうちに非・バーニッシュをも殺している(バーニッシュは氷結弾に耐えられるが、非・バーニッシュは耐えられない)。「バーニッシュを匿う奴はバーニッシュと同じく収容所送り」とヴァルカンも言っていたし、歴史上そのような排除の仕方は当たり前のように今も繰り返されてきているけど、その結末は?というと、もうみんなわかりきっているよね。
  • と、差別のことをいろいろ考えつつ、ふと思うのが、リオやクレイがあんなにうつくしい見た目じゃなくて、それこそピザ屋の若者のような見た目だとしたら、プロメアってここまで盛り上がっただろうか? わたしはリオ・フォーティアのことがとても好きだが、それは彼の見た目のうつくしさと、バーニッシュとしての強さと、彼の「大きなものを見つめる」姿勢に惹かれるから。もしリオがあのビジュアルかつバーニッシュとしての誇りを背負っていなかったら、好きにならなかった気がする。彼を好きである3つの要素のうち2つは、彼の属性によるものであって、それを素敵だと感じることは、構造的には差別と一緒なのか……?と思ったり。
  • で、この映画でクレイやリオが一見「差別されない側」の見た目で描かれたのってなんでなんだろう、って、昨日からいまもなんとなくずっと考えている。
  • ここまで書きながら気づいたんだけど、リオってもしかして先天的なバーニッシュだったんだろうか。後天的なバーニッシュと違って、幼い頃からバーニッシュとしてのふるまい方や力の使い方を身に着けているから、あんなに強い。リオはその服装や知的能力の高さ、美的感覚、そして強いノブレス・オブリージュの意識から、間違いなく高貴な出自だと思うんだけど、彼のバックグラウンドは劇中で一切明かされないし、想像すら難しい。前日譚で、どうしてあんな荒野の真ん中に突然イカしたバーニッシュフレアのメカで現れたのかについて、同行人といろいろ考察していたが、もしかしたらリオは、バーニッシュ純度が高くかつ高貴な一族の末裔で、その末裔として、非・バーニッシュの世界とは遠く離れた場所に城を築き、そのなかで育てられたのかもしれないな、と今これ書いてて思いました。これはまだ雑すぎる思いつきなので、あと何回か観て裏付けを集めたい。

最後は秋葉原のプロメアコラボHUBに行っておしまい。コラボカフェ系は味がイマイチなイメージがあって行ったことなかったんだけど、今回はHUBで(HUBが好き)お酒がたくさんあったのもあり(お酒が好き)、行ってよかった。どれもおいしかったです。

ドリンク頼むとコースターもらえる。かわいい。

劇中のピザとクレイのドリンク。クレイはピザと合わせるには少し重かった(同行人談)

コヤマシゲト氏のリオ落書き入りポスター。かわいい。

 

くちなしの海を走る

毎日走る公園に、ここしばらくくちなしが咲きみだれている。それはもう、「みだれている」という表現しか見当たらないほどに。

夜なんか、走っていてくちなしゾーンに来ると、夢を見ているような気分になる。濃く甘い、抜けるような芳香が強く漂って、暗い闇のなか、白い花がそこかしこに浮かんでいる。ちょうどそのあたりは電灯が少ないので、人の背丈ほどの高さまで、花が宙を漂っているように見えるのだ。

5月から新しい仕事を始めて、住まいも新しくなって、気持ちも身体もずっとせわしい。だから、一日のうちに走る量が段違いに増えた。風が吹いても雨が降っても走ってしまう。振り切るようにして。走ることは、瞑想か逃走に似ている。

そこに、くちなしの海。

この先、いつか足腰が立たなくなって走れなくなる時が来たら、わたしはきっと、この6月のことを何度も思い出すだろう。濃い霧のようなくちなしの香りのなか、呼吸と、靴底が地面に触れ合うリズミカルな音だけが聞こえる、どこまでも暗いなかに白い花が、みだれるように浮かぶ光景を。毎日をいっぱいいっぱい生きて、感じたことや考えたことを、この海に何度も放り投げて走ったことを。

ねこおじさんが行方不明

そのおじさんは、いつもベンチに猫を置いている。だからねこおじさん。愛称は「ねこおじ」。

ねこおじさんは、たぶん還暦を過ぎたくらい。小柄で、黒いぶかぶかのウィンドブレーカーを着て、両手をポッケに突っ込んで、近所の公園のベンチに毎日いる。人相はあまりよくない。顔色もあまりよくない。

そのベンチには、座面を3等分するように手すりがついている。ねこおじさんは、毎日ベンチの真ん中に猫を置いている。猫を近くで見たことはないから、どんな猫かはよくわからないけれど、けっこうな大きさで、黒と茶色が混ざったような色をしていると思う。ねこおじさんは、ペット用の丸い布ベッドをベンチに敷いて、そのうえに猫を置いている。猫はもちろん生きている。が、起きているところはあまり見たことがない。たいていは寝ている。おじさんはその猫の横に座って景色を眺めたり、ベンチのそばに立って煙草をふかしたりしている。

ねこおじさんは、ベンチでときどき誰かと話している。車椅子に乗った人や、子連れのおかあさんと話しているのなんかも見たことがある。ねこおじさんと話す人々は、猫を撫でたり、置かれた猫を挟んでねこおじさんとストゼロを飲んでいたりする。ねこおじさんはだいたい一人だが、彼と話すことを楽しみにしている人はそれなりにいるようで、同じ顔を何度か見かけた。ねこおじさんの声は知らない。

ねこおじさんは自転車を持っている。ベンチの前にいつも停めていて、大きなカゴがついている。荷台にくくりつけられた四角くて黒いバッグの中に、おそらく猫のお世話グッズがあれこれ入っているのだと思う。ねこおじさんがその自転車をこいでいるところは見たことがない。

ねこおじさんの朝は早い。本当に早い。以前、登山に行くために朝4時に家を出たとき、ねこおじさんはすでにベンチに猫を置いていた。そしてねこおじさんは夜も遅い。飲みすぎて帰りが0時を回った日、公園を通ったら、やはりねこおじさんはいた。変わらず猫を置いていた。ねこおじさんは公園に住むホームレスなのかとも思ったが、ホームレスにしては生活道具を持たなすぎる。いつも同じウィンドブレーカーを着てはいるが、汚れている感じもしないし、公園に遊びにくる人々とふつうに毎日話をしている。公園の滞在時間だけ見ればホームレスだが、ねこおじさんにはどこかちゃんとした生活感がある。

 

そのねこおじさんが、行方不明になった。もう2週間くらいになるだろうか。

その日わたしは、何人かの警察官がねこおじさんのベンチを取り囲んでいるのを見た。急いで駅に向かう途中だったので、何が起こっているのか詳しくはわからなかったが、何やらよくない雰囲気であった。ねこおじさんとよく話している車椅子の人が、「この人が何をしたっていうんですか」と言っているのが聞こえた。それにかぶせるように、警察官の一人が、「いや、良い人かどうかってことは問題じゃないのよ」と言ったのも。ちょうど選挙のポスター看板に隠れて、ねこおじさんの姿も、猫の姿も見えなかった。

その日の帰り、公園を覗いたら、ねこおじさんはいなかった。その次の日も、そのまた次の日も、ねこおじさんは猫を置きに来なかった。

そのうち、猫が置かれなくなったベンチには、ウーバーの配達員や子どもたちが座るようになった。ねこおじさんは、今日も猫を置きに来ない。車椅子の人も、ストゼロを片手に持ったおじさんも来ない。

いつかまたあのベンチに、夜明け前から猫を置きに来てくれるだろうか。もしまた猫を置きに来てくれたら、模様くらいは覚えておけるくらいの近さで猫を見せてもらおうと思う。

初春、北海道旅の記録 旭川-剣淵-士別-美瑛-東川

 

美瑛の丘から
行ったところ・見たもの・触れたもの
  • 旭山動物園:檻やガラス窓はほかの動物園と同じく設置されているのに、動物との距離が近く感じられる。園内のいたるところにお手製の解説パネルが掲示されていて、それらがとてもおもしろい。専門性とわかりやすさが程よく両立されていて、デザインも味があってすごくいい。写真を撮ればよかったと後悔。園全体から、旭山動物園を守る人々の熱が感じられた。子ども牧場でウサギを抱く。モルモットもたくさんいた。

ラブいホッキョクグマ

きりっとしているけどたぶん何も考えていないであろうマヌルネコ

膝を曲げたキリン初めて見た

溶けヒョウ

ネコチヤン(強)

こんにちはトナカイ

遠吠えオオカミ夫婦
  • 旭川市:駅回りはかなり都会で、きれいな碁盤の目状になっていて歩きやすい。ビジネスホテルがところどころにそびえ、レンタカー屋、居酒屋、コンビニ、カラオケ、その他チェーン店多数。高いビルや派手なネオンの隙間にちょこちょこ建ってる個人経営の居酒屋とかラーメン屋がうまい。駅直結のでっかいイオンモールがある。
  • アルパカ牧場:アルパカのまきばの中に入れる。ので、餌やりどころか、餌を出すそぶりを見せただけで、ものすごい速さでゼロ距離まで寄ってくる。両手をパーにして「ないよ」と示すとスッ…と真顔で離れていく。愛想はないがそこがいい。十数頭のアルパカたち、みんな顔も性格も違って、みんなかわいい。

もす
  • 羊の丘牧場:柵越しに餌やりができる。数種類のヒツジがいて、凶暴なやつには餌をやれない。柵越しではあるが、かなり近い距離まで迫ってくる。アルパカはエサをもしょもしょ食むが、ヒツジはべよんべよん舐めとっていく。角のかたちや頭の感触がひとつひとつ違う。

可愛い顔して鳴き声はめちゃでかい
  • 剣淵町と士別町:アルパカ牧場と羊牧場への通り道。道すがらはまだ雪がたくさん残っていたけれど、もう春が始まっていることがわかる色。

    眠っている重機たち

バギーで雪山も走った

光が降ってくるよ
  • 美瑛:でかい、ひろい。広大さがうつくしさ。写真で見る美瑛はたいてい真夏か真冬で、春になりかけの美瑛を見たのは初めて。大地が目覚めんとする季節独特の空気があって、この時期に来てみてよかったなと思った。

おはよう

びゅーん
  • 東川町:小さな町だけど、志ややりたいことを持った人々が集まっている感じで、おしゃれなカフェや飲食店をけっこうたくさん見かけた。大きくてきれいなアートギャラリーもある。生まれた子どもに名前入りの小さな木の椅子を贈る町の施策がすてき。道の駅には地元の特産品やお土産類のほか、良い素材を使ったスコーンやクッキー、東川町限定のKINTOとコラボしたおしゃれなタンブラーなどが置いてあった。

聞いた話・読んだ話
  • 車で道民についていくと一般道で80㎞/hを出してしまうので注意。
  • 釣りができる川が多い。忠別湖も釣りができる。釣りをするのにお金はかからないし、好きに釣っていいが、釣り具レンタルショップなどはない。
  • 有名な青い池は冬は雪に覆われて真っ白になってしまうので、行くなら雪のない季節のほうがいい。
  • アルパカは偶蹄目。ウシのように胃袋が複数あり、反芻してモノを食べる。ウシは4つでアルパカは3つ。しかしウシ科ではなくラクダ科。なので攻撃するときは唾を飛ばしてくる。しかもそれは唾液でなく反芻した食物の混ざった胃液なので、とんでもない臭いがする。
  • 東川町は道外からの移住者が増え続けている。その影響もあってか、レストランの料理の質やカフェの接客なども、道内の他の地域と比べると質が高いと感じる。道外の人が知らない地域では、いまだに「昔ながら」が残っていると感じることも多いらしい。
食べたもの
  • サフォーク:特産の羊肉。ふつうのジンギスカンとは格が違った。食べればわかる。やわらかくてうまいの一言に尽きる。

  • 旭川ラーメン:初めて食べた味。脂がしっかり感じられるけれど、しつこくない。こうばしい。旭川で醬油ベースを食べ、空港で山頭火の塩ベースを食べたけれど、個人的には醤油のほうが好みだった。
  • そのほか、旭山動物園スープカレーを食べたり、地元の居酒屋でホルモン焼きやホタテの浜焼きを食べたり。北海道小豆のソフトクリーム、小樽醸造ピルスナー、おいしかった。今回は海鮮を食べる機会がなかったのが残念だったけれど、北海道でここまでお肉類をたくさん食べたことがなかったので良い経験だった。次は海沿いで海鮮食べるぞ。

各所でおいしいコーヒーもたくさん飲みました
  • 帰りの飛行機で出された昆布スープがおいしすぎて思わず箱で買った。AIR DO機内のみで期間限定発売とのことなので、これから乗る機会がある人はぜひ。16袋で800円とお値段もかなり良心的。

パッケージもGOOD
感想とか
  • 1日目の夜に翌日朝からの予定を急遽変更せざるを得なくなったけれども、ふたを開けてみれば変更したその2日目が一番思い出深い旅になった。事前に計画を立てて目的や期待に沿った旅行をするのも楽しいが、予想外のことが起こるのもまた旅であり、状況をいかに楽しむか考えるワクワクを久しぶりに思い出した。
  • 急な変更がある中でも楽しく旅ができたのは、一緒に行ったのが夫だったからだと思う。誰と旅をするかは、どこに行って何をするかと同じか、それ以上に重要なこと。夫いつもありがとう。
  • どんな人と行くのがベストかは人それぞれだけど、しいて言うなら、体力が同じくらいで、同じ景色を見ることを楽しめて、一部別行動もOKで、共通の趣味か目的がひとつ以上あって、疲れや空腹でも不機嫌を表に出さない気遣いができて、でも自分のしたいことや行きたい場所は正直に言う、とかかなあ。
  • 夫とわたしは、旅の仕方や性格は全然違う。夫は乗りものに乗って観光名所に行くのが好きなタイプで、わたしは歩いて地元のスーパーや居酒屋を見て回るのが好き。それでも二人でよく一緒に旅行をする(できる)のは、たぶんお互いが先ほどの条件を満たし、ほどよい気遣いをしあえているからだと思う。

この旅のベストショット、美瑛のでっかい木と夫
  • 今回、北海道の中でも旅先を旭川周辺に選んだのはいくつか理由があるが、中でも「ココ企画」という会社が作っているモトクラシーというフリーペーパーがおもしろかったから、というのがある。ココ企画さんやモトクラシーは、つい最近インスタで採用説明会の広告を見て知った。本当にたまたま。そんな出会いから、フリーペーパー一冊に心を動かされて東京から北海道へ飛んだと思うと、やはり書き言葉の力ってすごい(もちろん、それを作ったココ企画の皆さんもすごい)と実感する。
    モトクラシーは、なんだろう、一言でいえば、東川という土地の風のにおいと人を感じるフリーペーパー。社名の由来通り、「ここ」に生きる人たちだからこそ作れるものだと思う。紹介されているコンテンツそれ自体が魅力的なのはもちろんなのだけど、こんな人たちがいる場所に行ってみたい、この場所に出合ってみたい、という思いから、今回旅程に東川町を組み込んだ。フリーペーパーやZINEなんかは好きでよく読むが、そのなかでもモトクラシーは抜群。仕事のお邪魔になるかなと思いつつ、どうしてもお礼が伝えたかったのでちょこっと訪問したら、とても温かく迎えてくださりうれしかった。東川という場所が好きになったのは、間違いなくココ企画さんのおかげ。皆さんもぜひ。

東川の玄関口、忠別川

ここにも春が来るね
  • 今回の旅は、予期せず動物たちとたくさん触れ合う旅になった。もともと夫は内向的で、あまり人好きなほうではないが、その夫がぽつりと「自分は生きものと触れ合うことがすごく楽しくて気持ちが安らぐんだってわかった」とつぶやいていたのが印象的だった。知らなかった自分のことを知ることができるのも、旅の醍醐味のひとつ。

パカにエサをカツアゲされる夫
番外編 空港の写真

朝の空港

ペッパーさんの朝は早い

夜の空港もわくわくするよね

 

文章、退職、回復、

文章を書くことを忘れていたわけではない。というよりむしろ、ここではない媒体で、短い文章をたくさんたくさん書いていた。野球の1000本ノックみたいに。ひたすら投げるように、バットを振るように。推敲もしないし読み返しもしない、ただあふれてくる言葉をそのままに書き落とす。

頭の中身を言葉にして書き落としていると、あるところで手がとまる。その先にはいけない、と感じる壁にぶつかる。壁のところまではとめどなく言葉が出てくるのに。壁を乗り越えるには、かがんで、足をためて、ジャンプする必要がある。このブログに関しては、かがんだところのまま下書きに放り込んでしまった文章が2月だけで5本くらいある。「書き終える」って1月に宣言したばっかりなのに。

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2月いっぱいで丸4年勤めた会社を辞めた。大学時代から数えると、足掛け8年ほどお世話になった。会社は人間の集合であり、つまり個人と会社のかかわりというのは人間同士のことなので、相容れないことやわかりあえないこともそれなりにあった。あったけれど、あなたたちなりのやり方で、誠意をもってわたしを大切にしてくれて、必要としてくれて、与えてくれて、ほんとうにありがとう、と思っている。後悔もさみしさも一切ない。気持ちよく離れ、送り出してもらえた。自分の社会人(という言葉を使うのはあまり好きではないけれど。人間は生まれた瞬間から社会に巻き込まれてるのであり、社会人である)生活においてこの会社で過ごした時間は何にも代えがたいと本心で思っている。これはとても、とても幸いなこと。

ざっと10年ほど「教える仕事」をしていたわけだけど、10年やったので、今度は少し違うことをするつもり。これまでの仕事で培った土台を異なる文脈で生かせたらおもしろいしかっこいいよね。「あ、そんな文脈でそんな需要があるのか」みたいなすじを見つけられたらうれしい。

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にしても、退職に際して「次の仕事は決まっていない」と言うとほぼ100%驚かれたり心配されたりすることにびっくりした。仕事をしているときは毎日目の前の山を乗り越えるのに精いっぱいで、自分のこれまでのことを振り返ったり、次にしたいことを考えたりする余裕なんて全然なかった。だから2月後半に有給消化で2週間ほど休みをもらって、何も生産しなくていい、誰の期待に応えなくてもいい時間をただただ過ごして、そうしてやっと見えてきたことがたくさんあった。回復。少しずつ自分のことを考える時間を増やして、何が好きとか何がしたいとかを思い出す時間がとれなければ、次の仕事など決められっこない。一度働き始めてしまうと、働いていない期間があることのほうがおかしいと感じられるのだろうか。「次、決まってないの?大丈夫なの?」と言われるときの心配と好奇が入り混じった目は、あまり好きじゃないな、と思った。大丈夫です。考える余裕のないまま決めることのほうが大丈夫じゃない。

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そう、働いていると、「その仕事をしているときの自分の頭」の枠の中でしか物事を考えられなくなる。いや、もしかしたらそうじゃないひともいるかもしれないのだけど、少なくともわたしはそうだった。その枠を超えたり外したりして考えるというのがすごくむずかしい。ということに、回復期間を経て気づいた。枠は自分の思考の輪郭を作り、中身をたたき上げていくための強力なツールである一方で、同時に自分の物の見方を強く規定する。「あ、自分、それが”いい”とか”好き”と思ってそうやっていたわけじゃなくて、単に、”そういう見方”以外の見方を知らなかったから、それによりかかるしかなかったんだな」みたいな気づきが2月後半から最近にかけてたくさんあった。抽象的過ぎて何を言っているのかよくわからないと思いますが、わかる人にはわかるかもしれない。

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ブログの名前を変えました。数年ぶりに。汽水域という名前も好きだったけれど、いまの自分の書き言葉を置いておく場所としては少し言葉が離れてしまった気がしたから。「きみのお祭り」をどうぞよろしく。各々死ぬまで盛り上がっていけ。

2023冬 祖母の記録

そのとき彼女は、「うちの前に不審者がいる」と思った。

コンビニの夜勤を終え、深夜二時。自転車で帰路につき、自宅の敷地に入ろうとしたら、玄関の数メートル手前にうずくまっている人影がある。その人は身動きひとつせず、ちいさく丸まって、じっと下を向いているようだった。

反射的に物音を殺して足を止め、じっと目を凝らすと、なんとその人影は隣家に住人、夜勤を終えた従妹の祖母であり、すなわちわたしの祖母であった。

真冬の深夜二時、空っ風が強く吹きさらす真っ暗な空の下、祖母はひとりじっとうずくまっていた。従妹は慌てて自転車を止め、祖母を驚かせないようにそっと後ろから背中に手を当て、話しかけた。

「おばあちゃん、こんな夜中にどうしたの?」

祖母は顔を上げると、「なっちゃん?」と従妹の名を呼んだ。

「起きたら、まーちゃん(わたしの母)も、訪看さん(訪問看護師)も、ヨシノリ(伯父)も、みんないなくなっちゃったから、探しに来た」

祖母はその日、いつも通りひとりで起きて、ひとりで着替え、ひとりで顔を洗い、ひとりで朝ごはんを食べた。デイサービスの車が迎えに来て、夕方にまた送り届けられて、ひとりの家に帰り、ひとりで夕ご飯を食べ、ひとりで着替え、そしてひとりで眠ったのだった。

「みんな」はきっと彼女の夢のなかか、事実と区別のつかなくなった現実のなかにいたが、いずれにせよ祖母は深夜に目を醒まし、そうして自分がいつの間にかひとりであったことを知ったのだった。認知症だけでなく難病も患っている祖母は、ほとんどよちよち歩きで足元もおぼつかない中、杖だけを頼りにみんなを探しに行ったのだ。真冬の真夜中に、たったひとりであることのさみしさに気がついて。

「もう遅いから、一緒に家に帰ろう。おぶってあげるよ」と従妹が背を向けると、祖母は「いい、歩ける」と言い、ゆっくりゆっくり立ち上がり、地面に落とした杖を拾って、手を引かれて家に帰った。ベッドに入った祖母に、従妹が毛布をかけながら「みんなは今日はいないんだよ。たぶんおばあちゃん、夢見てたんだよ」と言うと、祖母は「あ、そうか」とにっこり笑って、「おやすみ」と、すぐに眠りに落ちたという。

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「おばあちゃんって、なんか持ってるのよねえ」

「まーちゃん」こと母は、大皿に乗ったてかてか光る黒酢肉団子を箸でつつきながら言う。

今回祖母が発見されたのは、「たまたま」従妹がコンビニの夜勤の日だったからだ。しかも従妹は、夜勤上がりの帰りは知人の家に寄り、小一時間話し込んでから帰宅するのが常である。その日はこれも「たまたま」知人の家に寄らず、珍しく真っすぐ帰ってきたところに祖母を見つけたのだった。

その前の梅雨。夏本番が目の前に迫ったうだるような午後、祖母は庭で倒れた。これも運良く伯父がすぐさま発見し、救急車を呼んで事なきを得たのだった。その日、伯父には来客がある予定だったが、これも「たまたま」その客が予定よりも数十分早く来て、伯父は内心舌打ちをしつつ、玄関先でその応対をした。客が帰って、祖母の家のほうにふと目をやると、いつもは昼間飛び回って姿を見せないはずの祖母の猫が、庭のほうを向いてじっと座っているのが見えた。あれ、と思い庭に回ってみたら、伯父の家の玄関からは死角になっていたところに祖母が倒れていたのだという。診察した医師によると、「倒れておそらく10分ほどだったので、軽い熱中症で済みました」とのことだった。

さらにその前の初冬、祖母は突然の心不全に見舞われ、玄関で倒れた。もともと心臓が弱く、そのときすでにあまり自由の利かない体になっていたが、玄関先に置いてある電話になんとか手を伸ばし、東京にいる母に助けを求めた。「胸が痛い、息が苦しい」と訴える祖母に仰天し、母は東京からすぐさま救急車を呼んだ。そうしたら、搬送された先の病院の当直が「たまたま」心臓外科のスペシャリストで、そして「たまたま」都合よく麻酔科医も居合わせていたので、その場ですぐに緊急手術が決まり、一命をとりとめたのだった。

「あの人はね、なーんか持ってるのよ。いつも、普通なら死んでてもおかしくないよねってところで、なんでか助かってる。信心深い人だからかね。雰囲気が観音さまにちょっと似てるし」

と、母はいたずらっぽく笑って、肉団子をぱくっと食べた。

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最近の祖母は、いっそう認知症が進んでいる。空腹と満腹の境目を忘れ、家中の菓子袋やパンの袋の封を片っ端から切っては母に叱られる。「お腹がすいているの?」と訊くと、「すいていないけど、見ると口がさみしい気がして」と恥ずかしそうに笑う。昼と夜の境目を忘れ、20時に床に就いたかと思うと、2時間後には起きだして、顔を洗い、着替えて居間にやってくる。「ちょっと早いけど、もうすぐ迎えに来ると思って」と、毎朝9時に迎えに来るデイサービスの車を待っている。外が真っ暗でも、時計の針が22時を指していても、彼女にとってそれは何も関係のないことなのだ。

祖母はいよいよ、彼女のなかだけに広がる世界を生きる時間が長くなった。祖母の生きている世界と彼女の周りの人びとの生きている世界のあいだには、ずれや凹凸がいくつもあって、「現実」と呼ばれる側を生きる人びとは、それらに苛立ったり落ち込んだりする。けれど当の本人である祖母は、疑うことも悲しむこともなく、5分と持たない記憶のなか、「たったいま」だけが存在する世界を淡々と生きている。日ごと少しずつ、溶けてほどけていくように。

本来きっと、世界はそういうものなのだ。確かなことなどほんとうはひとつもなく、「たったいま」だけに支えられている。瞬間の連続を、わたしたちは線と錯覚しているに過ぎない。過ぎていった時間やこれからやってくるだろう時間はすべて想像のなかにしか存在しえず、手応えのないそれらを「確からしいこと」と思い込むことで、皆なんとか足場を保っている。

わたしたちの住む世界、たくさんの約束と想像を重ねてあまりに複雑になってしまったここを、ずっと遠くの明るいほうから、祖母がにこにこ笑って見ている。色素の薄い、日が当たると橙色にきらきら透きとおる目で。

その軽やかさを、わたしはときどき少しうらやましく思うのだ。